4月28日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1951年 - モハンマド・モサッデクが、西アジア・中東に位置するイランの首相に就任。 
1952年 - 「日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約、昭和27年条約第5号)」が発効し、日本の主権が回復する。 
1952年 - 「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約([旧]日米安保条約、昭和27年条約第6号)」発効。条約は前文と5条からなり、アメリカ軍が引続き日本国内に駐留し続けることが骨子となっている。条約の期限は無く、駐留以外に援助可能性には触れているが、防衛義務は明言されていない。また、内乱対応への言及もある。このため、防衛義務の明言や内乱条項の削除等を行なった「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約([新]日米安保条約、昭和35年条約第6号)」が締結され、1960年に発効したことにより「(旧)日米安保条約」は失効する。 
1952年 - 日本と中華民国の間で「日本国と中華民国との間の平和条約(日華平和条約、昭和27年条約第10号)」が調印され、1937年から1945年まで行なわれた日本と中華民国との戦争、日中戦争が正式に終了する。 
1954年 - 東南アジアと南アジア、5ヶ国首脳によるコロンボ会議が開幕。この会議に参加した5ヶ国は「コロンボ・グループ」を結成、翌1955年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の開催に尽力する。 
1960年 - 沖縄県祖国復帰協議会結成。沖縄県祖国復帰協議会は、沖縄教職員会等の諸団体が母体となって結成された、本土復帰運動の中心的団体である。関係諸機関に対する復帰要請や、復帰に関する宣伝活動を主たる目的とし、後の復帰(1972年5月15日)へと繋げることになる。復帰5年後の1977年5月15日に解散する。 
1964年 - 日本が経済協力開発機構(OECD)に加盟。経済協力開発機構(OECD)は、ヨーロッパ、北アメリカ等の先進国によって、国際経済全般について協議することを目的とした国際機関である。第二次世界大戦前の「五大国」の1国で、戦後の復興が進んでいた日本は、早くから経済協力開発機構(OECD)加盟に関心を示し、経済協力開発機構(OECD)が、従来の枠であるヨーロッパ(非共産圏)と北アメリカという地理的制限を取払い、アジアやヨーロッパの共産圏にも加盟国を拡大した直後に加盟する。原加盟国以外では、初めての加盟となっている。 
1964年 - 数多くの雑誌を発行している出版社、平凡出版(現:マガジンハウス)の男性向け週刊誌『平凡パンチ』が創刊される。『平凡パンチ』は、セクシー色の強いグラビアやファッション面に長じていたが、1988年に休刊となる。 
1965年 - ドミニカ内戦: アメリカ海兵隊が、南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海の海域洋上にあるドミニカ共和国に上陸する。 
1969年 - アルジェリア戦争(1954年から1962年にかけて行なわれた、フランスの支配に対するアルジェリア[北アフリカ西部に所在する国]の独立戦争)によって混乱に陥っていたフランスを立直し、約10年間に亘りフランスの大統領を務めていたシャルル・ド・ゴールが、フランス大統領を辞任する。 
1975年 - 陸軍軍人・政治家のズオン・バン・ミンが、南ベトナム(ベトナム共和国)大統領に就任する。 
1977年 - 特許手続上の微生物の国際寄託に関する「特許手続上の微生物の寄託の国際承認に関するブダペスト条約(ブダペスト条約、昭和55年条約第22号)」が調印される。発効は1980年8月19日。 
1988年 - アロハ航空243便事故。太平洋中央部の洋上にある、アメリカ合衆国ハワイ州ハワイ諸島で最大の島、ハワイ島のヒロ国際空港から、アメリカ合衆国ハワイ州に属し、州都ホノルル市があるオアフ島のホノルル国際空港へ向かっていたアロハ航空(原油価格の高騰等の影響を受け、2008年に破産)243便ボーイング737-200型機が、ハワイ島とオアフ島の間にあるマウイ島付近の太平洋上を飛行中、金属疲労によって機体外壁が損壊し(屋根が吹飛ぶもの)、大きな穴が空いたにも係わらず、操縦系統が僅かに機能しており、最寄りのマウイ島にあるカフルイ空港への緊急着陸に成功。乗客89名、乗員5名の合計94名の内、乗員1名が機体の穴から吸出され、行方不明になる。機体の破片や猛烈な風圧を受けた65名が重軽傷を負い、機体も全壊する。 
1989年 - 宮崎県延岡市の延岡駅から宮崎県西臼杵郡高千穂町の高千穂駅を結んでいた、JR九州(九州旅客鉄道)高千穂線(路線距離50.0km)が、沿線自治体等の出資による第三セクター方式の鉄道会社、高千穂鉄道に転換。後に2005年9月の平成17年台風第14号(広い暴風域を維持したまま、ゆっくりとした速度で進んだため、日本各地に甚大な被害を与えた台風)による被害で運行休止となり、2008年12月28日に全線が廃止となる。 
1992年 - ヨーロッパ東南部に位置するユーゴスラビア社会主義連邦共和国に留まっていたセルビアとモンテネグロが、ユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)を設立。その後の2003年に国家を再編し、国家連合セルビア・モンテネグロに移行する。その国家連合も2006年に解消され、セルビアとモンテネグロは共に独立国となる。 
1994年 - 羽田孜が80代内閣総理大臣に就任し、羽田孜内閣が発足。6月30日まで。羽田孜の在任期間は、日本国憲法下では最短となる。 
1996年 - ポートアーサー事件。オーストラリア最南部、タスマニア州(タスマニア島)の観光地ポート・アーサーで男が無差別に発砲し、死者35名、負傷者15名を出す惨事となる。 
2001年 - 史上初の自費による宇宙旅行者であるアメリカ合衆国の技術者で企業家、デニス・チトーが乗ったソユーズTM-32(国際宇宙ステーション[ISS] への往来を目的としたソユーズ[ロシア連邦の1人 - 3人乗り有人宇宙船]のミッション)が打上げられる。 
2003年 - 日経平均株価が、バブル崩壊(1991年3月から1993年10月までの景気後退期)後の最安値7,603.76円を記録。 
2008年 - 全国初の緊急地震速報(EEW)が発表される(未明に沖縄県宮古島近海で発生した地震で、実際の最大震度は震度4[中震])。緊急地震速報(EEW)とは、地震発生後、大きな揺れが到達する数秒から数十秒前に警報を発することを企図した地震早期警報システムの1つで、気象庁が中心となって提供している予報・警報である。2004年に一部試験運用を開始、2007年10月1日からは一部の離島を除いた国内ほぼ全域全ての住民を対象とした本運用を開始する。同種のシステムとしては世界初で、推定震度5弱(強震)以上の時に発表され、テレビ放送や携帯端末等で「(震度4以上の)強い揺れとなる地域」を伝える「一般向け」(地震動警報)と、発表基準が低く誤報の可能性が高いものの、「各地の震度や揺れの到達時間」等が分かる「高度利用者向け」(地震動予報)の2種類がある。
2011年 - コートジボワール危機に関する国際連合安全保障理事会決議が採択される。西アフリカに位置するコートジボワールで2010年末、大統領選挙の決選投票の結果、両候補が勝利を主張したことに端を発し、約4ヶ月以上に亘って大統領が2名存在する異常事態となり、コートジボワールは事実上の内戦状態に陥る。国際連合事務総長の要請を受け、コートジボワールに駐留しているフランス軍が、国際連合の作戦を支援する形で事実上の軍事介入を行ない、二重政府状態は正常化されることとなる。
2017年 - 奈良県吉野郡吉野町吉野山に所在する吉野ロープウェイ(路線距離:千本口 - 吉野山間349m、高低差:103m)のゴンドラが、駅舎と接触する事故が発生。乗客らに負傷者はいなかったが、ロープウェイは長期間の休業に入る。当初は、接触で破損した駅施設や滑車のフレーム等の損傷部分の修繕で終わる見込みであったが、ワイヤロープやゴンドラの走行輪の摩耗等が発見され、復旧は、乗客が増えるサクラの開花時期に間に合わず、2018年夏頃の見込みとなる。しかし、資金難から運行再開がさらに延期された後、2019年3月23日、桜のシーズンを前に、約2年振りに運転を再開する。2019年5月7日からは、ロープウェイは祝日を除く火曜日・水曜日・木曜日を運休とし、代行バスでの運行となっている。