4月28日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0711年 - ムーア人(北西アフリカのイスラム教教徒)が、ジブラルタル海峡(ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てる海峡で、西の大西洋と東の地中海を繋いでいる)を渡ってヨーロッパの南西に位置するイベリア半島に侵入し、アルハンブラの丘(現在のスペイン南部にある丘)を占領して定住する。 
0866年 - 応天門の変。平安京大内裏(平安京[現在の京都市中央部に所在]の宮城内にある天皇在所)の応天門(朝廷内での政務・重要な儀式を行なう場であった朝堂院[八省院]の正門)が放火により焼失する。大納言伴善男は、左大臣源信の犯行であると告発したが、太政大臣藤原良房の進言により無罪となる。その後、密告があり、伴善男父子に嫌疑が掛けられ、伴善男父子は有罪となり流刑に処される。応天門の変は、藤原氏による他氏排斥事件の1つとされ、これにより、古代からの名族伴氏(大伴氏)は没落する。 
0960年 - 天徳内裏歌合が行なわれる。天徳内裏歌合は、第62代天皇、村上天皇によって行なわれた歌合(歌人を左右二組に分け、その詠んだ歌を一番毎に比べて優劣を争う遊び、及び文芸批評の会)である。歌題の提示から当日まで1ヶ月の期間を置き、進め方や左右双方の衣裳、歌を書いた色紙を置く州浜(入り江等を模った飾り台)に至るまで周到に準備されたもので、その典雅さ等で後世の歌合の手本となる。 
1192年 - 第3回十字軍: エルサレム王即位直前のコンラート1世が暗殺される。イタリア出身で、現在のイスラエル東部に所在する、キリスト教の聖地エルサレムを、ヨーロッパのキリスト教諸国が奪還するために開始された十字軍、第3回十字軍側の英雄の1人であったコンラート1世は、サラーフッディーン(サラディン、現在のエジプト、シリア、イエメン等の地域を支配したイスラーム王朝であるアイユーブ朝の始祖)率いるアイユーブ朝の大軍を撃破する。しかし、サラーフッディーンを始めとするイスラム側にとっては脅威でしかなく、十字軍内部でも敵が多かったコンラート1世は、刺客に襲われて暗殺されている。 
1423年 - 室町幕府第5代将軍、足利義量の将軍宣下(天皇が、武家政権の長であり、日本国の統治大権を行使する征夷大将軍職に任ずる儀式)が行なわれる。 
1708年 - 宝永の大火。京都で大火が発生し、約14,000軒が焼失する。京都御所(現在の京都市上京区京都御苑に所在する皇室関連施設)や佛光寺(現在の京都市下京区高倉通仏光寺下ル新開町にある真宗佛光寺派の本山)、下鴨神社(賀茂御祖神社、現在の京都市左京区下鴨泉川町にある神社)等の諸寺社も火災の被害を受ける。火災後、一部の町、及び民家が鴨川の東や内野(現在の京都市街の北部地域)等の郊外に移され、京都の市街が拡大されることになる。
1788年 - メリーランド州がアメリカ合衆国憲法を批准し、アメリカ合衆国7番目の州となる。 
1789年 - 南太平洋中央部の洋上に浮かぶトンガのフレンドリー諸島で、バウンティ号の反乱が起こる。イギリス海軍の武装船(貨物船を買い上げて臨時の軍艦としたもの)『バウンティ号』で、12名の乗組員が艦長に反乱を起こし、艦長以下19名が救命艇に乗せられて追放される。 
1856年 - 江戸幕府が、江戸の築地鉄砲洲(現在の東京都中央区東部)に講武所(武芸訓練機関)を開校。1866年11月に廃止となる。 
1862年 - 南北戦争・ニューオーリンズの戦い: ジャクソン砦とセントフィリップ砦が、デヴィッド・ファラガット率いる北軍に降伏。 
1895年 - 歴史学者・国語学者の三宅米吉等が考古学会(現在の日本考古学会)を設立。弥生時代(紀元前5世紀頃から紀元後3世紀頃までの約800年間とされる、考古学上の時代区分)・古墳時代(概ね250年頃から600年代の末頃とされる、考古学上の時代区分)を中心とした考古学分野を担っていた日本考古学会は、考古学界では最も権威ある団体で、埋蔵文化財行政等にも強い影響力を持つ日本考古学協会とは全く別の団体である。 
1908年 - 第1回ブラジル移民を載せた鋼製貨客船『笠戸丸』が神戸港を出港する(6月に到着)。『笠戸丸』は、6,000総tで平均速度約10ノット。船足は遅いが長距離航行に優れており、明治時代後期から昭和初期にかけて、外国航路や内台航路(当時)用の船舶として用いられる。ハワイやブラジルへ移民が開始された時に移民船として使われたことでもよく知られている。移民用としては、船底の貨物室を蚕棚のように2段に仕切って使用したという。最大1,000名程度の移民を収容できたようである。 
1908年 - 世界エスペラント協会(UEA)が設立される。世界エスペラント協会(UEA)は、世界最大の人工言語エスペラント話者・使用者の国際組織であり、国際連合、及び国際連合教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)と公式な協力関係にある。 
1920年 - 朝鮮の王世子李垠と日本皇室の方子女王が結婚。 
1925年 - イギリスが金本位制(一国の貨幣価値[交換価値]を金に裏付けられた形で金額で表わすもの)に復帰。 
1925年 - フランスの首都パリで、現代産業装飾芸術国際博覧会(1925年パリ万国博覧会)が開幕する。この博覧会には、アール・デコ博覧会との略称もある。これは、博覧会の名前の内「Arts Décoratifs(装飾芸術)」の部分の短縮からきている。この博覧会で出品された服飾品や建築にみられる、同時代の精巧で官能的な装飾芸術やデザインを言い表わすために、「アール・デコ(Art Deco)」という言葉が登場した訳である。 
1936年 - ファールーク1世が、エジプト王国(現在のアフリカ大陸北東部に位置するエジプト)国王に即位する。 
1937年 - 初の文化勲章授章式が行なわれる。文化勲章は、科学技術や芸術等の文化の発展や向上に目覚ましい功績のある者に授与される勲章で、「文化勲章令(昭和12年2月11日勅令第9号)」を以て制定されている。 
1939年 - ドイツがポーランド不可侵条約を破棄。
1945年 - 第二次世界大戦: イタリアの独裁者であったベニート・ムッソリーニが、パルチザン(自発的に武器を持って戦う、正規軍に入っていない遊撃兵)に捕縛され、即決裁判により銃殺される。  
1947年 - ノルウェーの人類学者・海洋生物学者・探検家のトール・ヘイエルダールらが、インカ文明(南アメリカ大陸西部に中心にケチュア族という民族が作った国の文明で、文字を持たない社会、そして文明であった)が太平洋上にある絶海の孤島、イースター島に伝播したとする仮説を証明するため、大型筏「コンティキ号」で南アメリカ西部に位置するペルーの首都、リマ西部にあるカヤオ港を出港する。
1948年 - 夏時間(サマータイム)を実施するために制定された「夏時刻法(昭和23年4月28日法律第29号)」が公布される。後に「夏時刻法を廃止する法律(昭和27年4月11日法律第84号)」が制定され、1952年4月11日に廃止となる。夏時間とは、夏(正確には晩春から初秋)の間だけ、中央標準時に1時間を加えたタイムゾーンを採用する制度である。実施期間は「五月の第一土曜日の翌日(日曜)から九月の第二土曜日まで」とされている。この法律により、夏時間は1948年5月から毎年実施される、しかし、4回の実施を経て、5回目直前の1952年4月11日に「夏時刻法」は廃止される。以後、日本では法律に基づく全国一斉の本格的なサマータイムは実施されていない。
1949年 - 内閣が当用漢字1,850字の字体を規定する「当用漢字字体表」を発表。当用漢字は、様々な漢字の内、制定当時使用頻度の高かったものを中心に構成されており、公文書や出版物等に用いるべき範囲の漢字として告示され、その後学校教育、日本新聞協会加盟メディア等を通じて普及する。複雑かつ不統一であった従来の正字体の一部に代えて、略字体を正式な字体 (新字体) として採用したのが特徴である。、日本国憲法で使用される漢字は、全て当用漢字表に採用されている。1981年、当用漢字を基にしつつ緩やかな「目安」である常用漢字表が告示されたことに伴なって、当用漢字表は廃止され、書換えに強制力はなくなったが、現在においても、公文書を始めとした用字の指針となっている。