4月26日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1954年 - 東南アジアのインドシナ半島東部に位置するベトナム民主共和国(現在のベトナム社会主義共和国)の独立を巡って、ベトナム民主共和国とフランスとの間で戦われた戦争、第一次インドシナ戦争休戦のためのジュネーヴ和平会議が開催される。 
1954年 - 黒澤明監督の長編映画『七人の侍』が公開される。 
1956年 - 「首都圏整備法(昭和31年4月26日法律第83号)」公布。「首都圏整備法」は、首都圏の整備に関する総合的な計画を策定し、その実施を推進することにより、「日本の政治、経済、文化等の中心としてふさわしい首都圏の建設とその秩序ある発展を図る」ことを目的として制定された法律である。 
1959年 - この年に入団した読売巨人軍(読売ジャイアンツ)の高卒新人の一塁手、王貞治が初ホームランを放つ。それまでは、開幕以来26打席連続無安打。 
1964年 - 中央アフリカ東部に位置するタンガニーカ(大陸部)とザンジバル(島嶼部)が合同し、タンザニア連合共和国が成立する。 
1966年 - 第二次世界大戦後最大の交通ゼネラル・ストライキ(全国的な規模で行なわれるストライキ)。私鉄大手10社が24時間スト、当時の国労(国鉄労働組合)・動労(国鉄動力車労働組合)・全自交(全国自動車交通労働組合連合会)が共闘して時限ストに突入し、約1,300万の乗客等に影響が出る。 
1966年 - 1972年の夏季オリンピックの開催地が、ドイツ南東部にあるミュンヘンに決定(ミュンヘンオリンピック[第20回オリンピック競技大会])。また、1972年の冬季オリンピックの開催地は、札幌に決定する(札幌オリンピック[第11回オリンピック冬季競技大会])。 
1970年 - 東京都を放送対象地域として超短波放送(FMラジオ放送)を行なう特定地上基幹放送事業者、エフエム東京(TOKYO FM)が開局。 
1970年 - アイジャック事件。大阪府吹田市の千里丘陵で開催された国際博覧会、日本万国博覧会(大阪万博)のテーマ館の一部として建造された「太陽の塔」の右目部分に男が籠城し、約159時間後に投降する。
1972年 - イースタン航空(アメリカの大手国内線航空会社で、1991年に破産)が、ワイドボディ(客室1階に通路が2本ある機体)3発ジェット旅客機ロッキード L-1011 トライスターを初就航させる。ロッキード L-1011 トライスターは、アメリカの航空機メーカー、ロッキード社(現在のロッキード・マーティン社)が開発・製造した、同社唯一のワイドボディ3発ジェット旅客機で、初のジェット旅客機でもある。1960年代に旅客機メーカーとしての地位が大きく低下してしまっていたロッキード社が、起死回生を狙って投入した航空機で、現在のいわゆる「ハイテク機」の元祖ともされる。
1974年 - 山形県最上郡大蔵村で、大規模な地すべり(斜面を形成する地塊[土砂・岩塊]が、地下の地層中に円弧状、又は平面状に形成される地質的不連続面、即ち「すべり面」を境にして、すべり面上の地塊がゆっくりと移動する現象)が発生。住戸20戸が全壊し、17名が死亡する。
1977年 - 近鉄バファローズ(後の大阪近鉄バファローズ、2004年に消滅)の鈴木啓示投手が、対ロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)前期3回戦(日生球場[大阪市中央区森ノ宮中央にあった野球場で、1997年に閉鎖])で救援登板・完了して、通算200勝を達成。この年は、20勝で最多勝となり、翌1978年には、25勝で2年連続最多勝投手となる(この年の鈴木啓示を最後に、日本プロ野球で年間25勝以上を挙げた投手は現れていない)。その後、1985年まで現役を続けた鈴木啓示の通算317勝は、日本プロ野球歴代第4位(左投手としては歴代第2位)、その内、先発勝利数288勝は日本記録となっている。
1982年 - 韓国南東部の慶尚南道で、警官が無差別殺人事件を起こす。犯人は、夜から翌日朝にかけて57名を殺害し、手榴弾で自殺する。 
1986年 - チェルノブイリ原子力発電所事故。ソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉が炉心溶融(世間一般でいう「メルトダウン」)の後に爆発し、放射性降下物がウクライナ・白ロシア(ベラルーシ)・ロシア等を汚染する。後に決められた国際原子力事象評価尺度 (INES) において、最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される事故である。 
1991年 - 自衛隊ペルシャ湾派遣。海上自衛隊の掃海派遣部隊が、湾岸戦争によるペルシャ湾の機雷除去へ出発する。日本にとって初の国際連合平和維持活動(PKO)派遣であり、自衛隊にとっては、初の海外実任務である。練習艦隊等による遠洋航海以外の海外実任務で、日本海軍・海上自衛隊の艦隊がインド洋を渡るのは、第一次世界大戦の地中海派遣、第二次世界大戦のインド洋作戦以来のできごとで、また、他国領海付近における掃海作業は、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が、国境線と化していた38度線(第二次世界大戦末期に朝鮮半島を横切る北緯38度線に引かれた、アメリカ軍とソビエト連邦軍の分割占領ライン)を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した朝鮮半島の主権を巡る国際紛争、朝鮮戦争での海上保安庁の特別掃海隊による活動(1950年)以来のこととなる。1990年8月2日の、中東・西アジアに位置するイラクによるクウェート侵攻(イラクが、隣国のクウェートに侵攻した事件)をきっかけに、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆して始まった戦争、湾岸戦争は、2月23日から陸上部隊による進攻が始まり、多国籍軍はこれに圧倒的勝利を収め、クウェートを解放する。4月11日に停戦が発効した後、防衛庁長官は海上幕僚長に対し、「ペルシャ湾における機雷等の除去の準備に関する長官指示」を発出する。4月24日、防衛庁長官は海上自衛隊に対し、「我が国船舶の航行の安全を確保するため、ペルシャ湾における機雷の除去及びその処理を行う」ことを目的とする「ペルシャ湾における機雷の除去及びその処理の実施に関する海上自衛隊一般命令(平成3年4月24日海甲般命第18号)」を発令する。この命令は、「自衛隊法(昭和29年6月9日法律第165号)」第99条(機雷等の除去、2015年現在では、第84条の2)を根拠として行なわれる。法的には、公海上の作業ということで、海上自衛隊の通常業務、という解釈がされた形である。自衛艦隊司令官に直属する「ペルシャ湾掃海派遣部隊」が、掃海母艦『はやせ』、掃海艇『あわしま』『さくしま』『ゆりしま』『ひこしま』と、補給艦『ときわ』で編成され、4月26日に日本を出発する。そして、6月5日から9月11日までの99日間に亘り、アメリカ合衆国、及び他の多国籍軍派遣部隊と協力して掃海作業を実施する。このペルシャ湾派遣に際し、隊員家族との連絡手段のため、補給艦『ときわ』内に「海上自衛隊ときわ船内郵便局」が設置される。海上自衛隊の艦艇内に船内郵便局が設置されたのは、自衛隊創設後初のことで、そのため、艦内郵便局の消印欲しさに激励手紙が送られる事態となり、寄港時を見計らって、未使用切手に押印に押してもらおうとする業者も出ている。 
1994年 - 中華航空140便墜落事故。台湾北部、台北にある台湾桃園国際空港から名古屋空港(通称:小牧空港、現:名古屋飛行場)に向かっていた中華航空(現:チャイナエアライン)140便エアバスA300-600R型機が着陸進入中に失速し、滑走路東脇に墜落。乗客256名、乗員15名の合わせて271名の内、乗客249名と乗員15名の合わせて264名が死亡、乗客7名が重傷を負う。運輸省(現在の国土交通省の前身の1つ)事故調査委員会の調査は、操縦乗員の自動操縦装置の誤操作があったことを指摘した上で、エアバスによる操縦システム設計も不適切であったとしている。 
2001年 - 小泉純一郎が第87代内閣総理大臣に任命され、第1次小泉内閣が発足する。 
2002年 - エアフルト事件。ドイツ中部にあるテューリンゲン州のエアフルトで、少年が17名を殺害した後に自殺する。 
2006年 - 耐震強度偽装事件: 建築士、建設会社幹部、民間検査機関幹部等、8名が逮捕される。 
2007年 - 東南アジアのインドシナ半島西部に位置するミャンマーが、1983年10月のラングーン事件(ラングーン爆破テロ事件)以来断交していた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国交を約24年振りに回復する。 
2011年 - アメリカに本社を置く世界最大のコンピューター・ソフトウェア会社、マイクロソフトから、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で延期されていたウェブブラウザ『Internet Explorer9』の日本語正式版が公開される(当初の公開予定日は3月12日)。