4月27日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第4土曜日 旧暦  3月19日、先負(辛酉)、月齢 18.4   
グレゴリオ暦で年始から118日目、年末まであと248日。
誕生花 シャガ(著莪)・スイレン(白)。

哲学の日。
紀元前399(孝昭天皇77)年4月27日、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受け、刑の執行として、獄中で毒を飲んで亡くなった。ソクラテスは、アテナイ(現在のギリシャの首都アテネ)で活動し、対話的問答を通じて相手にその無知(無知の知)を自覚させようとしたが、アテナイ市民には受入れられず、告発され死刑判決が下された。弟子達は脱獄を勧めたが、ソクラテスは「悪法も法」と言って、毒杯をあおったとされる。ソクラテス自身は著述を行なっていないので、その思想は弟子の哲学者プラトンや軍人・哲学者・著述家クセノポン、哲学者アリストテレス等の著作を通じ知られる。ソクラテスは、ギリシャ神話に登場する男神アポロン(詩歌や音楽等の芸能・芸術の神として名高いが、羊飼いの守護神にして光明の神でもあり、古代ギリシャのアオイドス[吟遊詩人]ホメーロスによって作られたと伝えられる長編叙事詩で、最古期の古代ギリシャ詩作品『イーリアス』においては、ギリシャ兵を次々と倒した「遠矢の神」であり、疫病の矢を放ち男を頓死させる神であると共に、病を払う治療神でもあり、神託を授ける予言の神としての側面も持つ等、付与された性格は多岐に亘る)の託宣(神のお告げ)を通じて、最も知恵のある者とされた。ソクラテスはこれを、自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、その自覚のために、他の無自覚な人々に比べて優れていると考え、その結果、ソクラテスは、知者を僭称(身分を越えた称号を勝手に名乗ること)する独断論者達の無知を暴くための論争に明け暮れることになる。プラトンが描くソクラテス像に則るならば、ソクラテスの業績・営みの特徴は、人生や社会に関わる抽象概念や曖昧な事柄を、明確化しようとしたことにあると言える。ソクラテスは、自説を著作として残さなかったため、今日では、その生涯・思想共に他の著作家の作品を通して窺い知ることができるのみで、これは「ソクラテス問題」として知られる、一連の問題を発生させている。ただ、ソクラテスの弟子である、古代ギリシャの哲学者プラトンの記した一連の対話篇には、ソクラテスが頻繁に登場する。プラトンの思想は、西洋哲学の主要な源流とされ、現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手としている。アリストテレスはプラトンの弟子でもあり、ソクラテス、プラトンと共に、しばしば「西洋」最大の哲学者の1人とされ、その多岐に亘る自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。哲学の原語であるギリシャ語の「philosophia」は、知を愛することを意味する。哲学という訳語は、江戸時代後期から明治時代初期の江戸幕府幕臣・官僚・啓蒙思想家・教育者の西周による。愛知(知を愛すること)としての哲学は、様々な学問の中の1つではなく、人間の知識欲に根ざす根源的活動の1つとされるが、中世では神学、現代では科学との関係が問題となっている。ソクラテス以前の初期ギリシャ哲学では、対象は(現在の意味とは異なっている自然ではあるが)「自然」であった。ソクラテスは「 不知の知」の自覚を強調し、その弟子のプラトンや、孫弟子のアリストテレスになると、人間的な事象と自然を対象とし、壮大な体系を樹立した。東洋にも哲学はあり、インドと中国は大きな影響を持っている。日本哲学は、伝統的には中国の影響を受けて来たが、現代では、ヨーロッパの影響も無視できないものがある。これと同時に、日本におけるヨーロッパ哲学の研究は、全く異なる生活現場で、ヨーロッパ同様にヨーロッパ哲学を扱うことは奇妙であり、伝統を汲まない、必然性を欠いたものである、といった指摘もある。哲学と宗教は、共に神の存在に関連している分野である。そのため、厳密な区分は難しい。宗教と神学と哲学の境界は、必ずしもはっきりしない。ただ、合理的な追求を試みる態度によって異なっている、とする人もいる。また、哲学と宗教との差異として、何がしか「疑ってみる」態度の有無が挙げられることがある。広義の哲学は、思索を経て、何かの意見や理解に辿り着く営みであり、そのような営みの結果、形成されたり選ばれたりした思想、立場、信条を指すこともある。例えば、「子育ての哲学」「会社経営の哲学」等と言う場合、このような意味での哲学を指していることが多い。さらに、哲学は、個々人が意識的な思索の果てに形成、獲得するものに限定されず、生活習慣、伝統、信仰、神話、伝統芸能や慣用表現、その他の文化的諸要素等と結び付いて存在している感受性、価値観、世界観等を指す場合もある。つまり、物事の認識・把握の仕方、概念、或いは発想の仕方のことである(こうしたものは、思想と呼ばれることも多い)。  
悪妻の日。
紀元前399(孝昭天皇77)年4月27日、時の権力者から死刑宣告を受け、刑の執行として、獄中で毒を飲んで亡くなった、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの妻、クサンティッペが、悪妻として有名であることから。ソクラテスは「悪妻と結婚したから哲学者になれた」との名言を残したという。クサンティッペとは、ギリシャ語で「黄色い馬」を意味する。クサンティッペは悪妻であったとされ、西洋では悪妻の代名詞ともなっているが、これは後世の作り話である部分も多く、クサンティッペの実際の姿については、殆どが不明である。ソクラテスの弟子、古代ギリシャの哲学者プラトンの中期対話篇(複数の登場人物の間での対話形式を採った作品)『パイドン』(日常にある「正義」や「美」は二次的なものに過ぎず、それらの概念の実体は、天上界[イデア界]にある、とする、プラトンが説いた学説、イデア論が初めて登場する重要な哲学書とされる)の中では、「クサンティッペは妻としても母としても何ら貢献をしなかった」と述べている一方で、獄中にあるソクラテスを思って嘆き悲しみ、取乱すという描写がある。クサンティッペを悪妻とするエピソードとして、ある時、クサンティッペは、ソクラテスに対して激しく捲し立てたが、ソクラテスが動じないので、水を頭から浴びせた。しかし、ソクラテスは平然と「雷の後は雨は付きものだ」と語ったという。他にも、ソクラテスが語ったとされる言葉として、「セミは幸せだ。なぜなら、物を言わない妻がいるから」があり、クサンティッペが口やかましい妻であったという話や、「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば、私のように哲学者になれる」等の名言が残っている。作家の佐藤愛子は、短編小説『ソクラテスの妻』を発表し、この『ソクラテスの妻』は、1963(昭和38)年度上半期の芥川龍之介賞(芥川賞、純文学の新人に与えられる文学賞)候補となったが、後に「ソクラテスのような男と結婚すれば、女はみんな悪妻になってしまう」との旨を述べている。佐藤愛子は、2度目の夫、作家の田畑麦彦が始めた会社が倒産したことから、夫の借金を背負う。債権者に追われ、原稿料が会社の債務返済に消えていく日々が続くが、その体験を描いた短編集『戦い すんで日が暮れて』で、1969(昭和44)年度上半期の直木三十五賞(直木賞、無名・新人及び中堅作家による大衆小説作品に与えられる文学賞)を受賞している。