4月26日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1336年 - イタリアの詩人・修辞学(弁論・叙述の技術に関する学問分野)者・人文主義者、フランチェスコ・ペトラルカが、フランス南東部にある標高1,912mの独立峰で、「プロヴァンスの巨人」という異名を持つ山、モン・ヴァントゥに初登頂。フランチェスコ・ペトラルカは、学者としては、ラテン語(ギリシャ語と並んで西欧の古典語で、古代ローマ帝国の公用語であり、中世から近代の初めに至るまで、カトリック教会を中心とする全ヨーロッパの知識層の、言わば共通の文語として用いられた)の文法を整備し、また、詩人としては、一連の抒情詩(詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩)集(カンツォニエーレ)を物する。名声を博したフランチェスコ・ペトラルカは、1341年には、古代ローマ時代の七つの丘であり、都市ローマの基礎を形作った「ローマの七丘」の1つ、カンピドリオの丘(「ローマの七丘」でも最も高い丘で、ローマ神の最高神であったユピテルやユノーの神殿があり、ローマの中心であり、現在もローマ市庁舎が位置する)において「桂冠詩人」の栄を受けている。古代ギリシャ・古代ローマ時代には、詩作や音楽も、体育競技と並んで公開の競技であり、その勝利者には、詩神アポロンに縁の月桂樹の編んだ冠が授けられている。この冠は月桂冠と呼ばれ、中世からルネサンス(古典古代[ギリシャ、ローマ]の文化を復興しようとする文化運動)にかけてのイタリア人達がこれに習い、13世紀末から14世紀初頭頃に活躍し、イタリア文学最大の詩人ともされる、詩人・哲学者・政治家のダンテ・アリギエーリ、フランチェスコ・ペトラルカ、16世紀イタリアの叙事詩人で、数奇な生涯が多くの作家の題材とされたトルクァート・タッソらが、その時代第一流の詩人として月桂樹を戴く。とりわけ、フランチェスコ・ペトラルカは、ローマ元老院(古代ローマの統治機関で、後のローマ帝国皇帝の諮問機関ともなり、現在では、多くの国が上院の呼称に用いる語でもある)から桂冠詩人の称号を与えられている。フランチェスコ・ペトラルカは、政治に失望し、後半生を北イタリアを旅行しつつ、学者として過ごしている。 イタリアと国境を接しており、フランス南東部にあるモン・ヴァントゥの「ヴァント」は、フランス語で「風」を意味し、その名の通りに山頂部は風が強く、ミストラル(フランス南東部に吹く地方風で、寒冷で乾燥した北風)の季節ともなると、秒速45mを越す突風が吹荒れ、山頂へ至る道路が閉鎖されることも間々ある。独立峰で、山頂部には木立どころか潅木(丈の低い木)すらなく、剥き出しの石灰岩が転がる、荒涼とした景観が広がる。山頂近くには、相当古くから陸軍の観測所があり、近年(2000年代)では、ラジオやテレビのための巨大なアンテナが立てられている。また、中腹はスキーの好適地になっている他、フランチェスコ・ペトラルカが、1336年に登山したことを記す記念碑がある。昆虫の行動研究の先駆者であり、研究成果を纏めた『昆虫記』で有名な、フランスの生物学者・昆虫学者・詩人、ジャン・アンリ・ファーブルは、モン・ヴァントゥに前後25回も上っている。この山の植物や昆虫がジャン・アンリ・ファーブルを惹き付け、自分は「モン・ヴァントゥの生き字引」と語っている。
1865年 - イタリアの天文学者アンニーバレ・デ・ガスパリスによって、83番目の小惑星「ベアトリックス」が発見される。小惑星帯(太陽系の中で第四惑星、火星と第五惑星、木星の間にある小惑星の軌道が集中している領域で、アステロイドベルトとも呼ばれる)に位置する「ベアトリックス」は、直径81.37kmで、その名は、イタリア文学最大の詩人とされるダンテ・アリギエーリの詩文集『新生』や叙事詩『神曲』に登場する、ベアトリーチェに因んで命名される。
1478年 - パッツィ家の陰謀事件。イタリア中部にあるフィレンツェで、金融業を営み、古くから続いた家系のパッツィ家が、銀行家・政治家として台頭した、新興のメディチ家当主らを暗殺しようとして失敗する。 
1867年 - 中央ヨーロッパの東から西へ流れるマイン川(ドイツにとって、特に重要な川とされるライン川右岸の支流中、最長の川)以北の22ヶ国で、現在のドイツ連邦共和国の前身に当たる国家で、ドイツ帝国(ドイツ国)の母体となる、北ドイツ連邦が成立する。なお、北ドイツ連邦は連邦国家ではなく、領邦や自由都市の緩やかな連合体、即ち、国家連合であるとし、北ドイツ同盟と訳す考えもある。プロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけてを領土とした国)とオーストリア帝国との戦争、普墺戦争に勝利したプロイセン王国は、オーストリア帝国の主導するドイツ連邦(旧神聖ローマ帝国を構成していた、ドイツの35の領邦と4つの帝国自由都市との連合体)を解体し、プロイセン王国を中心としたドイツの諸邦国によって形成された関税同盟(外部に対する関税に、共通の制度を適用することを伴なう自由貿易地域)、ドイツ関税同盟によって、予てから結び付きの強かったドイツ北部諸邦と連合する連邦国家を成立させる。連邦主席はプロイセン王国国王が務め、宣戦・講和・条約締結、並びに陸海軍を指揮する権利を占有する。北ドイツ連邦の連邦宰相は、プロイセン王国首相であるオットー・フォン・ビスマルクが務め、また、連邦参議院議長も兼任する。プロイセン王国だけで国土・人口の約8割以上を占めたが、主権は各領邦に残される。 
1880年 - 日本地震学会設立。日本地震学会は、日本の地球科学系学会で、「地震学に関する学理及びその応用についての研究発表、知識の交換、及び内外の関連学会との連携を行うことにより、地震学の進歩・普及を図り、もってわが国の学術の発展に寄与することを目的」としている。 
1903年 - スペインの首都マドリードを本拠地とするサッカークラブチーム、アトレティコ・マドリードが設立される。同じく、マドリードを本拠とするライバルのレアル・マドリードが、主に富裕層の支持を受けるクラブであったのに対し、アトレティコ・マドリードは、主に労働者階級の支持を受けて発展してきたクラブであり、サポーターは熱狂的なことで有名である。「総合スポーツ」の意となる「アトレティコ」という名称が付くサッカークラブは、世界中に多数存在するが、略称としての「アトレティコ」は、このアトレティコ・マドリードを指すことが一般的である。
1915年 - 第一次世界大戦: イタリアが連合国側に参戦する代わりに、南チロル(アルプス山脈東部の地域)・ダルマチア(クロアチアのアドリア海[イタリア半島とバルカン半島に挟まれている地中海の海域の1つ]沿岸地域)等の「未回収のイタリア」(19世紀において、イタリア王国が領土と主張した地域の内、イタリア統一戦争後もオーストリア領内に残った地域)を得る秘密協定、ロンドン条約(ロンドン密約)が結ばれる。
1918年 - 第一次世界大戦: フランス北部にあるヴィレ=ブルトヌーで、イギリス陸軍のマークIV戦車とドイツ陸軍のA7V突撃戦車が、史上初の戦車同士の戦闘を行なう。 
1924年 - 東京府東京市麹町区西日比谷町(現在の東京都千代田区日比谷公園)にある日比谷野外音楽堂で、日本軽体重級拳闘選手権試合を開催(日本初のボクシングタイトルマッチとされる)。 
1925年 - 1925年ドイツ大統領選挙の第二回投票で、パウル・フォン・ヒンデンブルクがヴィルヘルム・マルクスらを破り当選する。 
1933年 - ドイツ北東部、プロイセン州の秘密警察としてゲハイメ・シュターツポリツァイ(ゲシュタポ)が創設される。1936年にドイツ全土に活動範囲を拡大し、ドイツ警察の中の秘密警察部門となる。 
1937年 - スペイン内戦: ゲルニカ爆撃。ドイツ空軍がスペイン中北部の町ゲルニカを無差別攻撃し、非戦闘員2,000名以上が死亡する。この爆撃は、焼夷弾が本格的に使用された世界初の空襲であり、「史上初の都市無差別爆撃」や「史上初の無差別空爆」とされることもある。この爆撃は、敵国民の戦意をそぐために行なわれる、戦略爆撃の先駆けと考えられており、戦略爆撃は第二次世界大戦で本格化している。
1938年 - ドイツで試作された、単発プロペラの高速記録機メッサーシュミットMe 209試作第1号機V1が、時速755.13kmを記録。レシプロ陸上機の速度記録を更新する。 
1942年 - 日中合弁事業として採掘が開始された、満州国(現在の中国東北部に所在)にある、40万トンから50万トン級の産出量を持っていた本渓湖炭鉱で、鉱山内の可燃性ガスと石炭の粉塵による爆発が発生。坑夫1,549名が死亡する。現在に至るまで、最も多くの犠牲者を出した炭鉱事故となっている。 
1944年 - ゲオルギオス・パパンドレウがギリシャ亡命政権の首相に就任。ギリシャの政治家、ゲオルギオス・パパンドレウは、偉大な指導者であったことを示す「民主主義の親方」と呼ばれ、第二次世界大戦後も、ギリシャ首相を二度に亘って努めている。