4月26日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

よい風呂の日。
4月26日の「4」と「26」を、「よい(4)風呂(ふ[2]ろ[6])」と読む語呂合せから。また、毎月26日は「風呂の日」になっている他、2月6日の「2」と「6」で、「風呂(ふ[2]ろ[6])」と読む語呂合わせから、2月6日は「お風呂の日」とされ、「い(1)い(1)風呂(ふ[2]ろ[6])」の語呂合わせから、東京都中央区日本橋蛎殻町に所在する浴用剤(入浴剤)メーカーによる業界団体、日本浴用剤工業会が制定した「いい風呂の日」が11月26日とされている。日本語の風呂の語源は、元々「窟(いわや)」や「岩室(いわむろ)」の意味を持つ「室(むろ)」が転じたという説と、抹茶を点てる際に使う釜の「風炉」から来たという説の2説ある。入浴は、主に人が身体の清潔を保つことを目的として、湯や水・水蒸気等に身体を浸すことを指す。元々、日本では神道の風習で、川や滝で行なわれた沐浴(身体を水で洗い潔めること)の一種と思われる禊(みそぎ)の慣習が、古くより行なわれていたと考えられている。仏教が伝来した時、建立された寺院には湯堂、浴堂と呼ばれる、沐浴のための施設が作られた。元々は、僧尼のための施設であったが、仏教においては、病を退けて福を招来するものとして入浴が奨励され、『仏説温室洗浴衆僧経』と呼ばれる経典も存在し、施浴によって、一般民衆への開放も進んだと言われている。特に、第45代天皇、聖武天皇の皇后である光明皇后が建設を指示し、貧困層への入浴治療を目的としていたと言われる法華寺(現在の奈良市法華寺町にある仏教寺院)の浴堂は有名である。当時の入浴は湯に浸かる訳ではなく、薬草等を入れた湯を沸かし、その蒸気を浴堂内に取込んだ蒸し風呂形式であった。風呂は元来、蒸し風呂を指す言葉と考えられており、現在の浴槽に身体を浸からせるような構造物は、湯屋・湯殿等といって区別されていた。平安時代になると、寺院にあった蒸し風呂様式の浴堂の施設を、上級の公家の屋敷内に取込む様式が現れる。次第に宗教的意味が薄れ、衛生面や遊興面での色彩が強くなったと考えられている。浴槽にお湯を張り、そこに体を浸かるというスタイルがいつ頃発生したかは不明である。古くからある、桶に水を入れて体を洗う行水というスタイルと、蒸し風呂が融合してできたと考えられている。この入浴方法が一般化したのは、江戸時代に入ってからと考えられている。戸棚風呂と呼ばれる、下半身のみを浴槽に浸からせる風呂が登場。慶長年間(江戸時代初期)の終わり頃に、すえ風呂、又は、水(すい)風呂と呼ばれる、全身を浴槽に浸からせる風呂が登場した。元々、客が入浴できるようにした公衆浴場の業者には、分類として風呂屋と湯屋があり、水蒸気に満ちた部屋に入って蒸気を浴びて汗を流す、蒸し風呂タイプの入浴法で営業している業者を風呂屋と呼び、沸かした湯を浴槽に入れ、湯を身体に掛けたり、浸かったりするタイプの入浴法で営業している業者を湯屋と呼んで区別していた。しかし、江戸時代中頃に、入浴法の発達や、兼業して営業する業者が出るようになって、地域によって呼び方は異なることはあるが、風呂屋と湯屋は混同されて使用されるようになった。1877(明治10)年頃、「改良風呂」と呼ばれる、石榴口(江戸時代の銭湯で、浴槽の前方上部を覆うように仕切り、客がその下を腰をかがめてくぐり抜けて浴槽に入るようにした入口)を取払って、天井が高く、湯気抜きの窓を設けた、広く開放的な風呂が評判になって、現代的な銭湯の構造が確立した。政府は1879(明治12)年に石榴風呂式浴場を禁止して、旧来型の銭湯は姿を消していき、外国への配慮から混浴は禁止となったが、銭湯そのものは、都市化の進展や近代の衛生観念の向上と共に隆盛を極めた。大正時代になると、銭湯はさらに近代化し、板張りの洗い場や木造の浴槽は姿を消し、陶器のタイル敷きの浴室が好まれた。昭和時代になると、水道式の蛇口が取付けられるようになった。第二次世界大戦後、本格的に都市人口が増大すると、至るところで銭湯が建築された。しかし、第二次世界大戦後の日本経済が飛躍的に成長を遂げた、1954(昭和29)年12月から1973(昭和48)年11月までの約19年間の時期である高度経済成長期以降、風呂付住宅が一般的になったことや、平成期に入って「スーパー銭湯」と呼ばれる入浴施設が増え、銭湯の利用客と軒数は減少傾向にある。露天風呂は、温泉入浴の原風景とも言える。野湯のような状態であった温泉に、浴槽を整備したものが始まりである。温泉における露天風呂の人気は高い。景色を眺めながら入浴できることや、入浴時に開放感を味わえること、また、浴室内に熱が籠るようなことがないため、のぼせにくいこと等、様々な要因が挙げられる。そのため、多くの旅館や日帰り入浴施設では、内湯だけでなく露天風呂も併設している。近年は、旧来からの温泉に限らず、多くのスーパー銭湯(公衆浴場の一種で、一般的な「銭湯」とは、露天風呂、各種アイテムバス、サウナ等の付加的な風呂設備を充実させたり、食堂や理髪店等の各種施設・店舗を併設することで差別化している)等においても露天風呂が設置されるようになった。共同浴場の延長線上にあるような、小規模な風呂のみの施設から、バリエーションのある浴槽に、休憩設備や料飲サービスを備えた大規模な施設まで、その範囲が広い日帰り入浴施設は、日頃の風呂場として使われる共同浴場よりも、施設空間を通じたリラクゼーションや娯楽(アミューズメント)を、サービスとして提供するスーパー銭湯の側面が強くなっている。主に、温泉を使用している施設を指す場合が多い。但し、温泉の代わり(湧出しない地域の場合等)に、海水(海洋泉)や井戸水(鉱泉)の沸かし湯を用いている施設もある。全国各地、さまざまな温泉地に存在し、日帰り入浴施設のみの温泉地も数多い。新規に源泉(地中から温泉が湧き出て来る場所)開発を行なった場合に、このようなケースが多く見られる。鉄道駅に併設される例や、高速道路のサービスエリア、道の駅等、交通の便がよい場所に設置される例もある。かつては旅館であったが、宿泊営業を廃止して、日帰り入浴施設化する場合もある。地方においては、「町おこし」の一環として温泉を掘削し、公営で入浴施設が営業されていることが多い。それに対し、都会ではレジャー産業の一種として、テーマパークやパチンコ店への併設、全国展開する専業企業を始め、一般企業の不動産再開発によって新設されることも多く見受けられる。 
テルマエ・ロマエ よい風呂の日。
2012(平成24)年に公開され、大ヒットを記録した映画『テルマエ・ロマエ』。その続編『テルマエ・ロマエⅡ』を手掛けた「テルマエ・ロマエⅡ」製作委員会(フジテレビジョン、東宝、電通、KADOKAWAの4社)が制定。『テルマエ・ロマエⅡ』は、古代ローマの浴場設計技師が現代日本にタイムスリップするという内容の映画で、キャッチコピーは「世紀のSF(すごい風呂)超大作」。日付は、「テルマエ・ロマエⅡ」の公開日である2014(平成26)年4月26日の「4」と「26」で、「よい(4)風呂(ふ[2]ろ[6])」の語呂合わせから。題名の「テルマエ・ロマエ」は、ラテン語で「ローマの浴場」という意味である。映画『テルマエ・ロマエ』は、主演の俳優、阿部寛を始め、主要なローマ人の登場人物を、日本人屈指の「濃い顔」俳優達が演じている。日本各地の銭湯や温泉地でのロケに加え、イタリアの首都ローマ郊外にある映画撮影所、チネチッタでのオープンセットで、1,000名のエキストラによる2週間に及ぶ撮影も行なわれた。2012(平成24)年4月28日の公開から9月3日までに観客動員約469万名、興行収入約59億4,000万円を記録し、イタリア全土でも配給された。
日本入浴協会・よい風呂の日。
東京都中央区銀座に所在する、日本唯一の風呂に特化した専門団体で、安全な入浴法の普及を発信する日本入浴協会が制定。毎日の温浴の習慣を持つ日本人。健康、美容効果が高い「日本人の宝の習慣」とも言える入浴の素晴らしさを意識してもらうと共に、より多くの人に楽しいお風呂時間を過ごしてもらうことが目的。日付は、4月26日の「4」と「26」を、「よい(4)風呂(ふ[2]ろ[6])」と読む語呂合せから。日本入浴協会は「健康になるための正しい知識と安全な入浴法の普及」を発信し、人々の健康的な身体と幸福度の獲得・維持・向上に貢献する、としている。