4月26日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

世界知的所有権の日 (World Intellectual Property Day)。 
知的財産が日常生活で果たす役割についての理解を深め、発明者や芸術家の社会の発展への貢献を記念するために、世界知的所有権機関(WIPO)が2000(平成12)年に制定。1970(昭和45)年4月26日、「世界知的所有権機関を設立する条約」が発効し、世界知的所有権機関が発足したことを記念したもの。この日には、世界知的所有権機関(WIPO)、及び世界各国で種々の記念行事が開催される。日本では、現在の「特許法(昭和34年4月13日法律第121号)」の元となる「専売特許条例(明治18年4月18日太政官布告第7号)」が、1885(明治18)年4月18日に公布された史実を記念した、4月18日の「発明の日」が定着していることもあり、約1週間しか離れていない、4月26日の「世界知的所有権の日」を記念するイベントは少ない。知的財産権とは、有体物(動産と不動産)に対して認められる所有権とは異なり、無体物(情報)を客体として与えられる財産権のことで、知的所有権とも呼ばれる。知的財産とは、知的財産権を含むより広い概念であり、その性質から、「知的創作物(産業上の創作・文化的な創作・生物資源における創作)」と「営業上の標識(商標・商号等の識別情報・イメージ等を含む商品形態)」及び、「それ以外の営業上・技術上のノウハウ等、有用な情報」の3つに大別される。日本や世界において、法律で定められ認められている知的財産権には、「知財四権」とも称される特許権、実用新案権、意匠権、商標権からなる産業財産権(工業所有権)、著作権と著作隣接権の他、半導体回路配置を保護する回路配置利用権や、種苗の品種を保護する育成者権がある。知的財産の内、一定の明確な法律的権利が認められているのが知的財産権であって、部分集合である。知的財産として有益な発明発見であっても、特許権取得せず公知(世間一般に広く知られていること)となった場合は、知的財産権を与えられない。知的財産権にならない知的財産とは、公知となり、又は知的財産権が終了した知的財産、「不正競争防止法(平成5年5月19日法律第47号)」の適用による不正表示・誤認表示による侵害が認められるもの、ノウハウ・ライセンス等、又は意図的に特許等に出願していない営業秘密とも定義できる。これは、肖像権も知的財産に含める考えである。また、現在の日本では、コンピュータソフトウェアを著作権の対象として保護することが基本であり、場合によっては、特許権でも保護するケースがある。半導体回路配置権は、「知的財産基本法(平成14年12月4日法律第122号)」で明記されていないが、知的財産権として保護の対象となる。但し、半導体回路配置権と同一の保護を、アメリカ法では著作権法の一部の章で保護されているのに対して、日本では別途特別法で保護する等、保護の根拠法が異なるケースがある。日本等、殆どの国の特許法では先願主義により、同一の内容の出願では先に出願した者に権利が発生するのに対し、アメリカでは先発明主義により、実際に発明した日が先の者に権利が発生するという違いもある。但し、アメリカも先発明主義の放棄に合意し、2011(平成23)年9月には特許改革法(リーヒ・スミス米国発明法)が成立し、先願主義への移行が図られた。この法律は2013(平成25)年3月16日に施行し、この日以降の有効出願日を有した特許出願に適用される。一般に、知的財産に関する民事訴訟は、特許権等の知的財産権が侵害された場合に、その差止めや損害賠償を求める侵害訴訟と、特許等の有効性等を争う訴訟とに大別される。 日本では、2005(平成17)年の知的財産高等裁判所(知的財産に関する事件を専門に取扱う東京高等裁判所の特別の支部)の設置と時期を同じくして、侵害訴訟の内、特許等に関する訴訟につき、知的財産権専門部を有する東京地方裁判所と大阪地方裁判所の専属管轄とし、その他の著作権、商標、意匠、不正競争に関する訴訟については、東京地方裁判所・大阪地方裁判所と各地の地方裁判所との競合管轄とし、知的財産の専門的知見を有する裁判官が対応する体制を強化した。また、特許等の有効性等を争う法的手続については、従来から、まず経済産業省の外局(特殊な事務、独立性の強い事務を行なうための組織で、独任制の庁)である特許庁での審判手続によることとし、同手続での特許庁の審決に不服がある場合に、知的財産高等裁判所へ審決取消訴訟を提起するという制度が取られている。知的財産を業務分野とする専門職には、弁護士、弁理士、行政書士等があり、それぞれの業務範囲も明確に規定されている。弁護士は、特に試験を受けることなく、弁理士、及び行政書士の資格登録が可能である他、登録するまでもなく当該分野に関する業務を行なうことができる。また、弁理士は行政書士となる資格を有している。弁理士は、特許権、実用新案権、意匠権、商標権に関する登録、及び異議申立て手続きを独占業務として行なう他、移転や専用実施権の申請手続きについても行なう。また、著作権に関する契約代理・媒介業務等を行なうことができる。特定侵害訴訟代理権がある弁理士は、弁護士と共に訴訟代理人となり訴訟活動ができる。行政書士は、著作権、育成者権に関する登録・その他の手続に関する書面の作成を独占業務として行なう他、特許権、実用新案権、意匠権、商標権に関する移転や、専用実施権の申請手続き等を行なう。また、特に分野を限定されず、契約代理業務を行なうことができる。知的財産の戦略とは、ごく最近の考え方なのではなく、本質的には、遙か昔から形成されていた考え方である。つまり、製造方法の秘密である。1980年代の世界貿易は、先進国、アジア地域の高い経済成長につれて順調に推移した。日本は特に、1980年代前半の円安期に輸出を伸ばし、1986(昭和61)年には世界シェアが約10.5%になり、アメリカと並ぶまでになった。しかし、日本によるアメリカへの集中豪雨的な輸出のため、アメリカの輸出は伸び悩み、世界輸出市場に占めるアメリカのシェアは11%台で低迷。1980年代を通して見ると、アメリカでは輸入が急増し、1984(昭和59)年には貿易赤字が1,000億ドルを超え、アメリカの産業競争力は著しく低下した。そこで、アメリカ合衆国第40代大統領ロナルド・レーガンは、1983(昭和58)年6月、アメリカのコンピュータ関連企業、ヒューレットパッカード社のジョン・ヤング社長を委員長に迎え、学界、業界の代表者からなる「産業競争力についての大統領委員会」を組織した。ジョン・ヤング委員長は、アメリカの競争力の低下を1年半に亘り広範に検討し、その結果を「地球規模の競争-新たな現実」と題する報告書として、1985(昭和60)年1月25日にロナルド・レーガン大統領に提出した。これが「ヤングレポート」として有名な報告書である。報告の骨子は、「アメリカの技術力は依然として世界の最高水準にある」とした上で、それが製品貿易に反映されないのは、「各国の知的財産の保護が不十分なためである」と分析し、その回復のために、プロパテント政策(知的財産権の重視、強化政策)を推進することを提言した。この提言と同様な政策は、その後の大統領通商政策アクションプラン(1985[昭和60]年9月)や、アメリカ通商代表(USTR)の知的財産政策(1986[昭和61]年4月)等にも見い出すことができる。1995(平成7)年10月、国会は連立与党の共同提案に基づいて、科学技術基本法案を採択。日本が「キャッチアップの時代は終焉を迎え、フロントランナーの一員として、自ら未開の科学技術分野に挑戦し、創造性を最大限に発揮し、未来を切り開いて行かなければならない時機に差掛かっている」として、「真に豊かな生活の実現のためには、科学技術創造立国を目指す」ことが必要であるとした。また、1996(平成8)年12月に、「21世紀の知的財産権を考える懇談会」が特許庁で開催された。これは、アメリカの国家戦略としてのプロパテント政策の推進等、近年の急激な環境変化に対して、21世紀に向けた日本の知的財産権のあり方を明らかにする目的で開かれたもので、1997(平成9)年4月に、「21世紀の知的財産権の目指す方向」が発表された。2001(平成13)年10月から、経済産業省において、「産業競争力と知的財産を考える研究会」が開催され、2002(平成14)年6月に報告書が纏められた。2002(平成14)年3月に内閣は、内閣総理大臣小泉純一郎主催の「知的財産戦略会議」を設置。同2002(平成14)年7月に「知的財産戦略大綱」を発表し、政府では、知的財産立国を目指し、知的財産政策を推進することが明確化された。同2002(平成14)年12月に「知的財産基本法」が成立し、この「知的財産基本法」の施行に伴ない、知的財産戦略本部、及び、その事務局である知的財産戦略推進事務局が設置された。