4月26日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

七人の侍の日。 
1954(昭和29)年4月26日、黒澤明監督の名作長編映画『七人の侍』が公開されたことから、映画ファンらが制定。『七人の侍』は、東宝(日本映画界や興行界に不動の地歩を占め続ける、映画・演劇の製作配給・興行等の会社)の製作・配給で、主演は「世界のミフネ」と呼ばれた名俳優の三船敏郎と、黒澤明監督作品には欠かせない俳優の志村喬。白黒、スタンダード、207分。当時の通常作品の7倍程に匹敵する製作費を掛け、何千名ものスタッフ・キャストを動員、1年余りの撮影期間が掛かったが、興行的には大成功し、約700万名の観客動員を記録した超大作である。日本の戦国時代(劇中の台詞によると1586[天正14]年)を舞台とし、野武士の略奪により困窮した百姓に雇われる形で集った七人の侍が、身分差による軋轢を乗越えながら協力して、野武士の一団と戦う物語となっている。黒澤明監督が初めてマルチカム方式(複数のカメラで同時に撮影する方式)を採用し、望遠レンズを多用した。ダイナミックな編集を駆使して、豪雨の決戦シーン等、迫力あるアクションシーンを生み出した。さらに、その技術と共に、シナリオ、綿密な時代考証等も高く評価され、アクション映画・時代劇におけるリアリズムを確立した。黒澤映画、並びに日本映画界の最高傑作と評され、国内外で今なお高い人気と評価を得ている、文字通りの名作である。黒澤明監督が尊敬するアメリカの映画監督、ジョン・フォードの西部劇映画から影響を受け、この作品自体も、世界の映画人・映画作品に多大な影響を与え、また、他国の映画監督にもファンが多い。1960(昭和35)年にはアメリカで『荒野の七人』として、舞台を西部開拓時代のメキシコに移してリメイクされている。アメリカ映画『荒野の七人』は、1950年代中盤から、アクション映画や歴史大作でエキゾチックな魅力を発揮するようになった、ロシア出身の俳優、ユル・ブリンナーが、『七人の侍』に感銘を受け製作したオマージュ(芸術や文学において、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作すること)色の強い作品のため、大まかなあらすじや、登場人物の設定、台詞等の多くが、忠実に再現されている。当初の構想では、監督をユル・ブリンナーが担当する予定であったが、スタッフ間の対立により、ユル・ブリンナーは、主役で、7人のリーダー格、クリス・アダムスを演じている。『荒野の七人』には、ユル・ブリンナーの他、スティーブ・マックイーン、ロバート・ヴォーン、チャールズ・ブロンソン、ホルスト・ブッフホルツ、ジェームズ・コバーン等、多くのスターが出演し、後に第二作『続・荒野の七人』(1966[昭和41]年)、第三作『新・荒野の七人 馬上の決闘』(1969[昭和44]年)、第四作『荒野の七人・真昼の決闘』(1972[昭和47]年)等の続編が制作された。アメリカの映画監督・映画プロデューサー・脚本家、フランシス・フォード・コッポラは「影響を受けた映画」と言い、アメリカの映画監督・映画プロデューサー・脚本家、ジョージ・ルーカスは「『スター・ウォーズ』シリーズは、SFという舞台で黒澤のサムライ劇を再現したかった」と述べている。幼少期に黒澤作品に触れて多大な影響を受けたというアメリカの映画監督・映画プロデューサー、スティーヴン・スピルバーグは、映画の撮影前や製作に行詰まった時に、もの作りの原点に立戻るために、必ずこの映画を見ると発言している。撮影は、一部砧スタジオ(東京都世田谷区にある東宝の映画・テレビのスタジオ)で行なわれた分を除き、大部分が東宝撮影所付近の田園(現在の世田谷通り大蔵団地前)に作られた巨大な村のオープンセットと、静岡県東部から神奈川県南西部にある伊豆や箱根等の地域、静岡県東部にある丹那トンネル直上や静岡県東部の伊豆半島北部等、各地の山村でのロケーション撮影で行なわれた。ロケ地にも、オープンセットと違和感なく繋がるように村の一部を建設したため、建設費も大きくなった。劇中、三船敏郎が演じる七人の侍の1人、菊千代が、左卜全(老け役の名手として活躍した俳優)の演じる村の百姓与平の裸馬に跨り、己の馬術を披露し、小杉義男(三船敏郎のデビュー作から共演することが多かった俳優)の演じる村の百姓茂助の小屋の影で落馬するコミカルなシーンがあるが、この茂助の小屋には、当時電柱が建てられており、そのままでは撮影ができない状態であったが、黒澤明監督が一言「どかせ」といい、撮影の為、撤去された。このエピソードは「クロサワ天皇」の逸話の最初期のものと言える。黒澤明は、『七人の侍』の後も、『生きものの記録』『蜘蛛巣城』『どん底』『隠し砦の三悪人』を撮影し、「黒澤」の名を国際的に高めている。1965(昭和40]年)、ヒューマニズムの傑作と謳われる長編映画『赤ひげ』を発表したが、枠を填められることを嫌っていた黒澤明が、その完全主義を徹底させ、『赤ひげ』は、撮影期間約1年を要して大幅な予算超過となり、東宝との関係は悪化する。そして、黒澤明は、東宝との専属契約を解除された。1976(昭和51)年11月、黒澤明は、日本政府から文化功労者として顕彰され、1980(昭和55)年には、長編映画『影武者』を発表し、フランス南部、コート・ダジュール沿いの都市カンヌで開かれている、世界で最も有名な国際映画祭の1つ、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを獲得した。『影武者』は、黒澤明の作品では唯一、実在の戦国武将に纏わるエピソードを取上げたスペクタクル巨編で、戦国時代に小泥棒が、甲斐国(現在の山梨県)を本拠とした戦国大名、武田信玄の影武者として生きる運命を背負わされた悲喜劇を描いている。1985(昭和60)年11月、文化勲章(科学技術や芸術等の文化の発展や向上に目覚ましい功績のある者へ授与される勲章)を受章した。黒澤明は、映画業界の人物としては、初の文化勲章受章者となった。 
エイリアンの日。
東京都港区東新橋に所在する、広告コミュニケーションを中心に、幅広いソリューション(問題や課題に対して提案される解決策や方法)を提供する、広告代理店としての規模は国内最大にして、世界第5位の規模を誇る株式会社電通のグループ企業、株式会社電通ランウェイが制定。アメリカの映画会社、20世紀スタジオ(アメリカ合衆国の映画会社・映画スタジオで旧社名は20世紀フォックス映画)が、アメリカ合衆国の人気長編SF映画『エイリアン2』の公開30周年を記念し、2016(平成28)年4月26日に「エイリアン・デー」を発表。日本においても、「エイリアン」が歴史的な作品であることをプロモーションするために制定。日付は、映画に登場する宇宙貨物船「ノストロモ号」の乗員がエイリアンに遭遇した惑星「LV-426」に因んで4月26日に。「エイリアン」シリーズの第2作、『エイリアン2』は、ホラー要素が強かった前作の長編SF映画『エイリアン』から打って変わって、当時、アメリカ合衆国の長編SFアクション映画『ターミネーター』で一躍名を馳せたカナダの映画監督、ジェームズ・キャメロンを脚本・監督に迎え、複数名詞である原題の「Aliens」が示す通り、無数に繁殖したエイリアンと未来兵器に身を固めた兵士との戦いを描く、アクション映画として制作された。1986(昭和61)年のアカデミー賞(アメリカ映画の健全な発展を目的に、キャストやスタッフを表彰し、その労と成果を讃えるための映画賞)では、視覚効果賞、音響効果編集賞を受賞。2009(平成21)年には、イギリスの月刊映画雑誌『エンパイア』が発表した「史上最高の続編映画」で第1位となっている。
オンライン麻雀の日。 
東京都大田区蒲田に本社を置き、健全な娯楽としてのオンライン麻雀の普及、振興を目的に、オンライン麻雀『Maru-Jan』を運営するコンピュータゲームソフト開発会社、株式会社シグナルトークが制定。日付は、4月26日の「4」と「26」で、麻雀のメンバーを集めるという意味の「4人でつる(26)む」、門前(メンゼン)派の「for(4)ツモ(26)」、鳴き派の「四副露(スー(4)フー(2)ロ(6))」等の語呂合わせで、全ての雀士が自分のスタイルで、オンライン麻雀を楽しんで欲しい、という願いも込められている、とされるが、実際には、株式会社シグナルトークが提供するオンライン麻雀ゲーム『Maru-Jan』が、2004(平成16)年4月26日、正式にリリースされたことを記念する日である。中国を起源とし、世界中で親しまれているテーブルゲーム、麻雀は、家庭や麻雀店(雀荘)で麻雀卓を囲んで対局する他、1990年代後半から2000年代にかけての、インターネットの普及や通信対戦の発展により、自宅やゲームセンター等でオンラインによる対局も可能になった。 
Dな日。
東京都港区南青山に所在する、1990年代にダンスと歌を融合させた音楽を急成長させ、レコード業界での一大勢力を築き上げたエイベックス・グループの音楽事業を担う中核企業、エイベックス・エンタテインメント株式会社が制定。韓国出身の5人組男性アーティストグループで、アジアが世界に誇るモンスターグループ『BIGBANG』のメンバーの1人であるD-LITEの誕生日、1989(平成元)年4月26日を、「D-LITEの日 = Dな日」として、毎月26日にはさまざまな情報を届ける。ファンとD-LITEが出会うために最も大切な日、との思いが込められている。なお、D-LITEは日本活動名で、韓国活動名はデソンであり、D-LITEの名前の由来は、楽しませる等の意味の英語「delight」からで、いつも明るいという意味も込められている。