4月23日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

シジミの日。
島根県松江市玉湯町林に所在し、食品として優れ、水質浄化にも役立つシジミの有用性をアピールするために、長年シジミの研究を続けてきた企業、有限会社日本シジミ研究所が制定した日。日付は、4月23日の「4」と「23」で、「シ[4]ジ[2]ミ[3]」と読む語呂合わせから。島根県松江市と出雲市に跨る宍道湖は、国内で有名なシジミの産地の1つである。島根県松江市千鳥町に所在する、有限会社日本シジミ研究所が管理運営を行なっているシジミ展示館は、宍道湖産のヤマトシジミを、様々な角度から科学的に説明する資料が揃う宍道湖しじみ館内にあり、日本で唯一のシジミの展示館となっている。シジミは、淡水域や汽水域に生息する小型の二枚貝である。通常目にする二枚貝の内では小型なので、「縮み」が転じて名付けられたとする説がある。日本本土の在来種としては、汽水性のヤマトシジミと淡水性のマシジミ、セタシジミ(琵琶湖固有種)の計3種が生息し、大きさは何れも2cmから3cm程度である。しかし、20世紀末期以降、中国や台湾を中心とした東アジアの淡水域に生息するタイワンシジミ類が外来し繁殖するようになり、場所によっては非常な高密度で生息し、在来種のマシジミの存続を危ぶませる等の問題も起こるようになった。タイワンシジミ類は、比較的廉価に販売される。また、日本国内産との識別が難しく、種の特定も困難なため、産地偽装等も多いとされる。味噌汁の具に利用される二枚貝としては、アサリと並んで日本人に最も馴染み深いものである。佃煮(砂糖と醤油で甘辛く煮付けたもの)や時雨煮(生姜を加えた佃煮の一種)等にもされる。因みに、シジミは江戸時代には、大名の正式な本膳料理(「食事をとる」という行為自体に儀式的な意味合いを持たせているのが特徴で、室町時代に確立された、武家の礼法から始まり江戸時代に発展した形式の料理であるが、明治時代以降には殆ど廃れてしまい、現在では、冠婚葬祭等の儀礼的な料理に面影を残す程度となっている[婚礼の際の固めの儀式の1つ、三々九度等])にも使われていた。食味では、セタシジミが最も美味とされ、次いでヤマトシジミ、マシジミがおいしいとされる。アミノ酸の1種で、尿素回路(殆どの脊椎動物に見られる代謝回路の1つ)を構成する物質の1つであるオルニチンが肝臓に作用するため、俗に「シジミの味噌汁は二日酔いに効く」と言われている。そのため、酒を飲んだ翌日の朝食に、味噌汁にして食べる習慣のある家庭も見られる。また、鉄分が多く貧血に良いともされ、更に、うま味成分の一種であるコハク酸を豊富に含んでおり、江戸時代の昔より肝臓に良い食材とされている。健康食品として、「シジミエキス」等も販売されている。日本国内の市場に出回るシジミの内、国産として最も一般的なのは、主に塩分濃度が約1.5%以下(海水は約3.5%前後)の水域で採れるヤマトシジミで、有名な産地としては、北海道の網走湖・パンケ沼・天塩川中下流域、青森県の十三湖・小川原湖、宮城県の北上川、 茨城県の涸沼川・利根川、島根県の宍道湖(宍道湖七珍の1つ)等がある。また、琵琶湖に固有のセタシジミも流通する。しかし、1980年代以降は国内漁場の環境悪化や価格高騰等により国内産シジミが減り、それを補うように中国、韓国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、ロシアを原産国とする、輸入シジミの市場に占める割合が増えるようになり、2001(平成13)年には、輸入シジミが国産シジミを上回るようになった。なお、ロシアや朝鮮半島ではヤマトシジミも漁獲されており、外見上で日本産のヤマトシジミと識別するのは困難とされる。シジミやアサリ、ハマグリ等の貝類、エビやシャコ等の甲殻類を採取する際に使用される漁具の1つに、鋤簾(じょれん)というものがある。鋤簾は、水を含んだ砂や泥の除去、又は、それらに生息する魚介類を捕獲する道具で、発掘調査においても使用される。漁具として使用される鋤簾は、大型の熊手に似るが、刃先の後ろに、引上げた際に砂や小石だけ抜けるよう、バケット(箕や金網)が付いている。船で使う大型のものは約2m前後の大きさがあるが、浅瀬や波打ち際で使う小型のものは約1m以下となる。但し、労せずして大量の漁獲が得られるため、各県の条例や漁業調整規則で禁止漁具とされている場合がある。
地ビールの日/ビールの日/クラフトビールの日。
兵庫県西宮市剣谷町に本部を置く業界団体、日本地ビール協会を中心とする「地ビールの日選考委員会」が1999(平成11)年に制定し、2000(平成12)年から実施。日付は公募により、応募数543通の中から選定された。1516(永正13)年、ドイツ南東部からオーストリアにかけての地域をを支配したバイエルン大公ウィルヘルム4世が発布した「ビール純粋令」により、水、ホップ、大麦・小麦の麦芽、酵母だけがビールの醸造に使用できることとなって、「ビールとは何か」が、世界で初めて明確に定義された。また、この日は1995(平成7)年から、ドイツの「ビールの日」にもなっている。「クラフトビールの日」は、全国地ビール醸造者協議会、日本地ビール協会、日本ビアジャーナリスト協会等で構成された日本クラフトビール業界団体連絡協議会(略称:クラビ連)が制定した。クラフトビールの普及、ビール文化の向上発展に寄与し、ビールの愛飲家、製造者、販売者、原料・機器生産者等、生産から消費に関わる全ての人が一体となる環境を生み出すことが目的。「クラフトビールの日」は、近年「クラフトビール」という言葉が一般的となってきたことを踏まえ、より一層の業界発展と、クラフトビールファンの人々とが一体となれる環境づくりを促進したい、という思いから再制定された。地ビールは、小規模ビール会社が製造するビールである。日本では、1987(昭和62)年5月に発表された経済対策で、1985(昭和60)年秋以降の急速な円高を背景として、停滞を余儀なくされた日本経済と、増大する対外不均衡の是正を図るために、総額約6兆円に及ぶ公共投資と、その前倒し執行、政府調達等の輸入促進策を柱とした緊急経済対策の一環として、1994(平成6)年4月の「酒税法(昭和28年2月28日法律第6号)」改正により、ビールの最低製造数量基準が2,000klから60klに緩和されたことを受けて、全国各地に誕生した地域密着・小規模醸造のビール会社による、地方ローカルブランドのビールを指す。英語圏ではクラフトビールとも呼ばれ、また、地ビールを醸造するビール会社や醸造所をマイクロ・ブリュワリーと呼ぶ。日本国内でも、2000年代に入ってからのブームでは、クラフトビールと呼ぶことが多い。一時は地ビールブームとなり、最盛期には300社以上のメーカーが存在したが、次第に沈静化する。価格の安い発泡酒の攻勢を受けたことで、高価格の地ビールは一気に窮地に立たされることとなり、廃業する業者も出るようになった。実際に大手ビールメーカーですら、地ビール提供のレストランを閉館せざるをえない状況になった。これは、日本では大手メーカーによるピルスナースタイル(現在、世界中で醸造されているビールの大半を占める、ホップの苦味を特長とするビールで、チェコ中西部のプルゼニ[ピルゼン]地方を発祥とするビールのスタイルの一種)の大量生産が主流であるため、他のスタイルの味が普及せず、加えて、割高な少量生産では、一部マニアにしか浸透しなかったためである。その後、クラフトビールと呼び名を変えて再びブームとなり、日本のクラフトビール市場は、2009(平成21)年以降は毎年10%を超すペースで成長を続けている、とされる。 
明治おいしい牛乳の日。
東京都中央区京橋に本社を置き、菓子、牛乳、乳製品、食品、一般用医薬品の製造販売等を手掛ける大手食品会社、株式会社明治が制定。新鮮な生乳本来のおいしさを実現するナチュラルテイスト製法を取入れ、ほのかな甘みとまろやかなコクはそのままに、すっきりとした後味で仕上げた「明治おいしい牛乳」を、さらに多くの人に味わってもらうことが目的。日付は、「明治おいしい牛乳」が全国発売を開始した2001(平成13)年4月23日から。発売当初、株式会社明治の「明治おいしい牛乳」は、パック入り牛乳としては異例のヒット商品となり、対抗として、株式会社明治のライバル企業、森永乳業株式会社(設立時期が近く、製菓と乳業の2部門間の歴史や、商品構成が類似していることから、業績面でよく比較対象として挙げられる)も「おいしい牛乳」を投入した。なお、両社とも「おいしい牛乳」の商標登録は一切行なっていなかった。