4月17日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

恐竜の日。
1923(大正12)年にアメリカの動物学者ロイ・チャップマン・アンドリュースが、ゴビ砂漠(中国北部の内モンゴル自治区からモンゴルにかけて広がる砂漠)へ向けて、現在の中国の首都北京を出発した日。その後、約5年間に及ぶ旅行中に、恐竜の卵の化石を世界で初めて発見し、その後の本格的な恐竜研究の始まりとなった。ロイ・チャップマン・アンドリュースは、ゴビ砂漠やモンゴル等、中国への探検で主導的な役割を果たし、アメリカ自然史博物館の館長も務めた。この探検により、初めて恐竜の卵の化石が発見され、博物館に展示された。ロイ・チャップマン・アンドリュースは、危機一髪の状況に何度も遭遇し切抜けてきたが、それらの多くが今も伝えられている。クジラ、サメ、ニシキヘビ、オオカミ、盗賊や中国兵に襲われたこともあった。これらの経験から、ロイ・チャップマン・アンドリュースは、インディアナ・ジョーンズ(アメリカの映画監督・映画プロデューサー・脚本家、ジョージ・ルーカスとアメリカの映画監督・映画プロデューサー、スティーヴン・スピルバーグが、1930年代のアクション・ヒーローへのオマージュ[創作物や作者等に捧げる敬意、賛辞]として創造した架空の考古学者・冒険家で、『インディ・ジョーンズ』シリーズ[連続活劇の現代版といえる映画、ドラマ、小説シリーズ等]の主人公)のモデルの1人と言われている。恐竜は、脊椎動物の分類群の1つである。現在から約2億5,100万年前に始まり、約1億9,960万年前まで続く中生代三畳紀に現れ、中生代(約2億5,100万年前から約6,600万年前)を通じて繁栄した。多様な形態と習性のものに適応放散し、陸上動物としては非常に大きくなったものもあったが、約6,600万年前の白亜紀と新生代との境(中生代末)に多くが絶滅した。但し、北アメリカ大陸に生息していた、アラモサウルス等の一部の属については、この後も暫く生き延びていた可能性を主張する研究者もいる。恐竜は、英語の「dinosaur」を意訳したもので、「dinosaur」は、ギリシャ語の「恐ろしい」と「とかげ」の合成であり、1842(天保13)年に、それまでに発見されていた3種の化石爬虫類(恐竜研究史の最初期に発見された鳥脚類[主に二足歩行の鳥盤目に属す草食恐竜の分類群]であるイグアノドン、ヨーロッパ・北アメリカ・アジア等の広範囲に分布していた二足歩行の肉食恐竜であるメガロサウルス、イギリスに生息していた草食恐竜の一種であるヒラエオサウルス)の新しい分類名として、イギリスの生物学者・比較解剖学者・古生物学者、リチャード・オーウェンによって命名されたものである。語根の「 -saur- 」には「竜」を充てるのが通例である。「○○サウルス」と言えば、「恐竜の名前」として認識され勝ちであるが、実際には、トカゲ型の動物や爬虫類には、現生のものであっても「-saurus」と学名の付いたものが少なくない。例えば、エリマキトカゲの学名は「Chlamydosaurus kingii」であり、カタカナに直せば「クラミドサウルス・キンギイ」となる。通俗的には、「恐竜」という言葉は往々にして、「大昔の爬虫類」という程度の把握し易いイメージで認識されており、同じ地質時代に生息していた翼竜や魚竜・首長竜の他に、古生代に生息していた一部の非哺乳類型の単弓類(いわゆる哺乳類型爬虫類)等も含めた概念として呼ばれる場合が少なくない。「恐竜展」や子ども向けの「恐竜図鑑」等では、これらの各種爬虫類や、さらには、恐竜絶滅後の生物(マンモス[約7万年前に始まり、約1万年前に終了した、地球の気候が長期に亘って寒冷化する期間、氷河期に生息していた、現生の象の類縁]等)まで含めて展示、又は掲載するものがよく見られる。しかし、正確には「恐竜」は、系統的に異なる翼竜、魚竜、首長竜等は一切含まない、独立した分類群である。この分類群、即ち恐竜類は、その最も際立った特徴をして「直立歩行に適した骨格をもった爬虫類」と呼ぶことができ、ほぼすべて地上棲である。非鳥類型恐竜は、白亜紀末期に絶滅した。この大量絶滅は、恐竜のみならず、数多くの動植物を巻込んだという意味で、大規模な絶滅であった。恐竜はよく関心を持たれる動物群であり、ことさらその絶滅の原因に関する仮説は多い。絶滅の主要因に関する仮説には、短時間で滅んだとする激変説(隕石衝突説・すい星遭遇説等)と、長時間掛かったとする漸減説(温度低下説・海退説・火山活動説等)等がある。その内、確定的とされているのは、巨大隕石の衝突である。1980(昭和55)年、アメリカの地質学者であるウォルター・アルバレスと、その父で物理学者のルイス・アルバレスは、世界的に分布が見られる中生界白亜系と新生界古第三系を境する粘土層(通称K-T境界層)に含まれるイリジウム(原子番号77の元素)の濃度が、他の地層の数十倍であり、かつ、イリジウムは地殻には殆ど存在しないことから、これが隕石の衝突によってもたらされたものであると考え、大量絶滅の原因を隕石の衝突に求めた。その後、1991(平成3)年にメキシコ南東部のユカタン半島で、直径約180kmの巨大クレーター(チチュルブ・クレーター)が再発見され、このクレーターを形成した隕石の衝突が、恐竜絶滅の原因とする説が提唱された。この説では、地球規模の大火災で生態系が破壊され、衝突後に生じた塵埃が大気中に舞い、日光を遮断することで起きた、急速な寒冷化が絶滅の原因であると主張された。しかし、一方で、衝突で大気中に浮遊した微小粉塵量を過大評価しているとし、寒冷化よりも、むしろ衝突で大気中に浮遊した粉塵・衝突による巨大な森林火災の煤煙等が、地表への太陽光を遮った結果、地上や海中の生態系が破壊され、食物連鎖の底辺の光合成を行なう生物の様相が大きく変わり、隕石衝突の直接の影響を生き抜いた恐竜達も、餌の不足により絶滅した、とする説明が提示されている。なお、鳥類が恐竜から進化した事実から、「恐竜は絶滅を逃れた」「絶滅を逃れて進化した恐竜が鳥類である」という観点も存在する。そのような観点からは、むしろ「何故恐竜(鳥類)は、白亜紀末の大絶滅を免れ、生き延びたのか」という疑問が成立すると言える。現代に生きる鳥の系統を除いても、恐竜は長期間に亘って陸上で繁栄した一群であり、その形態は多様であった。その身体のサイズも、ニワトリ程度の大きさのものから、陸上においては最大級のものまで様々であった。最大のものは竜脚類(長い頸を持った非常に体の大きい草食恐竜)で、クジラ類を除けば、地球の歴史上最も大きな動物である。恐竜は、それ以外の多くの爬虫類とは異なり、胴体の直下に四肢を持つ。この特徴は、側方型の四肢に比べて体重を支えるのに都合がよく、大型化したグループが出現する素地となった、とする考えがある。また、歩行の際に身体を捻る必要がないため、軽快な移動を可能にしている。この特徴は、やや遅れて哺乳類も獲得しているが、異なる点としては、恐竜は二足歩行の種が多い点である。これは、二足歩行が初期主竜類から受継いだ祖先的な形態であることから、とされる。恐竜の二足歩行はヒトとは異なり、後足を中心に、長い尾によって上半身と下半身のバランスをシーソーのように取っていた、と考えられている。恐竜の巨大な尾は、バランスを取るための必然であり、北アメリカ大陸に生息していた肉食恐竜、ティラノサウルスや、近縁の属に見られる縮小した前肢は、巨大化した頭部と釣合いを取るためとされる。恐竜の二足歩行形態は、現在では子孫の鳥類へと受継がれている。しかし、祖先と異なる点は、尾が短縮したことで、重心が前方へと移ったため、大腿骨がほぼ身体に対して水平に保持されていることである。そのため、歩行は膝関節を中心としたものとなっている。