4月16日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

早慶レガッタ復活の日。
1978(昭和53)年4月16日、早稲田大学対慶應義塾大学のレガッタが17年振りに復活した。レガッタとは、原動機のない船を使った、複数の人数によるボート競技である。早稲田大学対慶應義塾大学による硬式野球、早慶野球戦に次いで行なわれた早慶の対校戦である早慶レガッタは、概ね毎年4月中旬の日曜日に東京都江東区域の隅田川(東京都北区の新岩淵水門で荒川から分岐し、東京湾に注ぐ全長約23.5kmの一級河川)で開催される。一般的に「早慶レガッタ」という言葉はメインレースである「対校エイト」を指すことが多いが、実際は「対校女子舵手付クォドルプル」「対校舵手付フォア」を含めた全3種目の対戦であり、OB・OG戦、招待試合等を含めると当日は10種目以上のレースが行なわれている。第1回は1905(明治38)年5月8日、隅田川で開催された。第二次世界大戦時中に中断し、第二次世界大戦終戦後の1947(昭和22)年に復活したが、隅田川でのレースは橋梁工事や水質汚濁の影響に伴ない、1961(昭和36)年の第30回大会を最後に再び中断。戸田漕艇場(埼玉県戸田市の戸田公園内にあるボート競技コース)や荒川(埼玉県、及び東京都を流れ東京湾に注ぐ河川)、相模湖(神奈川県相模原市緑区にある人造湖)等に会場を移しながら開催を続けた。しかし、多くのファン、OBから隅田川での開催復活が望まれ、川の水質浄化も進んだことから、1978(昭和53)年に再び隅田川へ回帰。以降は現在まで、隅田川でレースが開催されている。但し、2011(平成23)年の第80回は、3月の東日本大震災の発生に伴なう社会的状況を考慮し、開催場が当初予定の隅田川から戸田漕艇場に変更された。1905(明治38)年5月8日、隅田川で初開催された早慶レガッタは、野球同様、早稲田大学が先輩格の慶應義塾大学に試合を申入れた事ことに端を発している。レースは、慶應義塾大学有利の下馬評を覆して早稲田大学が勝利した(第1回のみ「エイト」ではなく「シックス」によるレース)。その後、早慶レガッタは、隅田川の春の風物詩として、周囲の住民に春の訪れを告げるだけではなく、長い歴史の中に秘められた思いは、選手、応援団、観客の声援、さらには、隅田川の情景からさえも、多くの人々の心に刻み込まれている。 
エスプレッソの日(イタリア エスプレッソ デー)。
東京都千代田区有楽町に本社を置く、コーヒーマシン等を手掛ける電化製品の輸入販売企業、デロンギ・ジャパン株式会社(イタリアの家電ブランド、デロンギ等の電化製品の輸入販売会社)が制定。イタリアの豊かなカフェ文化の1つ、エスプレッソの普及が目的。コーヒーの知覚・感覚的な価値を計る科学的方法を確立し、広めていくことを目的に、イタリアで設立された非営利協会、イタリア国際カフェテイスティング協会も、この日を「イタリア エスプレッソ デー」としている。 エスプレッソは、1906(明治39)年4月に開幕したミラノ万国博覧会(イタリア北部にあるミラノで開催された国際博覧会)で、イタリアの電器メーカー、Bezzera(ベゼラ)社が『Caffe Espresso(カフェ エスプレッソ)』と表記したのが始まりとされ、イタリア国際カフェテイスティング協会も、この日を「イタリア エスプレッソ デー」としている。1806(文化3)年、フランス第一帝政皇帝ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)が、イギリス製品をボイコットする大陸封鎖令を発したことから、フランス植民地で砂糖やコーヒー豆が極端に不足した。このことがきっかけで、チコリコーヒー(葉や根に独特の苦味があるキク科の多年生野菜、チコリや穀物を焙煎した、カフェインを含まないコーヒー風味の飲み物)等の多くの代用品や、新しいコーヒー飲料が生まれることになる。ドイツを代表する文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテも、イタリア滞在の際には寄ったと言われる、イタリアの首都ローマにあるカフェ『カフェ・グレコ』の当時のオーナーが、苦肉の策として、それまで出していたコーヒーの量を単純に3分の2にして、価格を下げることで当座を凌いだ。これは多くの客に受入れられ、『カフェ・グレコ』は多くの姉妹店を出した。これが、デミタスカップの起源である。ドリップコーヒーやサイフォン式のコーヒーのように、圧力を一切掛けずに抽出するのと違い、高圧力で抽出し濃厚なコーヒーを淹れる方法として、エスプレッソマシンは、デミタスカップの誕生から1世紀後の1901(明治34)年に、ルイジ・ベゼラ(ベゼラ社の創業者)によって開発された。この特許を買い取ったデジデリオ・パボーニという人物が、ミラノ万国博覧会に出品したのがエスプレッソの起源であり、1杯ずつ注文に応じて淹れる手法が、トルココーヒー(水から煮立てて、上澄みだけを飲む方法)で既に定着していたイタリアで広く受入れられた。現在多く用いられている電気式のマシンは、1961(昭和36)年にイタリアの機械技術者、エルネスト・バレンテによって開発された。日本でエスプレッソドリンクが広く受入れられるようになったのは、スターバックス等のシアトル系チェーン店(エスプレッソ[深煎りで微細に挽いたコーヒー豆を充填したフィルターに、沸騰水を加圧状態で濾すことで抽出されたコーヒー]をメイン商品として、テイクアウトと歩き飲みが可能なスタイル、シアトルスタイルでのドリンク販売のチェーン店)がチェーン展開されたことが大きい。エスプレッソの語源は、「急速」との説と、「特別に、あなただけに」との説、「抽出する」という意味の動詞の過去分詞形から派生したとする説がある。誰が最初に名付けたのかは、はっきりしていない。ただ、当時の時代背景から蒸気機関車の図版を用いて宣伝活動を行なっていたエスプレッソマシンメーカーもあったことから、「急速」のイメージは強く関わっていることが分かる。また、イタリア語の鉄道用語で、エスプレッソは「急行」を指す。イタリアでは、カフェと言えばエスプレッソのことを基本的に指すため、カフェ・ラッテとは、エスプレッソに牛乳を加えたものである。「ラッテ(latte)」はイタリア語で「牛乳」の意である。日本では、ドリップコーヒーに牛乳を加える飲み方を従来「カフェ・オ・レ」と称した。これに対し、エスプレッソに牛乳を加えたメニューを紹介した、アメリカのコーヒーチェーンに倣って「カフェ・ラッテ」の名称が広まったため、「オ・レ」と「ラッテ」が区別されることになったと考えられる。
ヴィラデスト・田園記念日。 
エッセイ集『田園の快楽』等の著作で知られるエッセイスト・画家・農園主の玉村豊男が、自ら長野県東御市にワイナリー農園&カフェ「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」を、2004(平成16)年4月16日に開設したことから制定。玉村豊男は、病気療養を機に自分達の生き方を見詰め直し、「畑をやろう」と志したことをきっかけとして、長野県東御市に移住。当時、酒類メーカーの宝酒造株式会社が主催していた「TaKaRa酒生活研究所」で所長を務めていた玉村豊男は、宝酒造株式会社のワイナリー建設計画に参画し、東御市へと誘致した。その計画は、諸々の事情で頓挫するが、玉村豊男は地元の人達の理解を求め、醸造免許を取得して、2003(平成15)年にワイナリーを開設。そして、翌年には、ショップとレストランをオープンさせている。東御市は、日本でも有数の小雨で日照量の多い地域であり、850mという標高から、冷涼で昼夜の気温差が大きく、ぶどう栽培に適しているとされる。ぶどう畑の風景を眺めながら、その畑で作られたワインを飲む。野菜畑やガーデンを眺めながら、そこで採れたばかりの新鮮な野菜料理を囲んで楽しい時間を過ごす。美しい風景の中で、自然と向き合いながら暮らす。ワイナリー農園&カフェ「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」は、そんな田園のリゾート生活を提案している。 
SWEET SIXTEEN文化の日。
愛知県豊橋市三本木町字新三本木で、フォトスタジオの運営等を手掛けるACreation合同会社と、大阪市西区南堀江でレンタルドレス事業等を手掛ける株式会社micia luxury。そして、株式会社micia luxuryが事務局の「SWEET16委員会」が制定。SWEEET SIXTEENは、主に欧米で行なわれている「大人としての自覚と責任を持つ16歳の誕生日を盛大に祝う」ための特別な誕生日イベント。日本にもSWEET SIXTEENの文化を広く普及させて、16歳の誕生日を祝われる人、祝う人の双方にとって、特別な楽しい思い出づくりのきっかけを作ることが目的。本来のSWEET SIXTEENは、各々の16歳の誕生日であることから、特定の日付は設定されていないが、日本で広めるために、その象徴になるような日を作りたい、との思いから制定された。日付は、「Sweet」が英語の発音で「シー(4)」と聞こえることと、若者のお祝いの記念日であることから、草木が芽吹く季節がふさわしい、との想いから4月で、16歳の「16」を合わせて4月16日としたもの。