4月16日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

えのすいの日。
神奈川県藤沢市片瀬海岸の湘南海岸公園にある水族館、新江ノ島水族館(通称:えのすい)が制定。日付は、新江ノ島水族館がグランドオープンした、2004(平成16)年4月16日から。新江ノ島水族館では、この日に館の基本テーマである「つながる命」に感謝するイベントを開催。そのことを、より多くの人に知ってもらうことが目的。新江ノ島水族館は、1954(昭和29)年7月1日に、日本初の近代的な水族館としてオープンした、江の島水族館が前身である。館内で目を引くのが、巨大な「相模湾大水槽」であり、浅瀬から海中にいる約8,000匹のマイワシ(シラス)の群泳といった、相模湾の環境を再現している。また、大水槽では、首都圏唯一のシノノメサカタザメの飼育も行なわれていた。その他、「深海コーナー」や「クラゲファンタジーホール」等がある。新江ノ島水族館では、江の島水族館に続いて、1957(昭和32)年5月3日にオープンした二番館、江ノ島水族館マリンランド(当時東洋一の大プールを有していた第二水族館)の頃から、ハンドウイルカ(バンドウイルカと呼ばれることが多い、最も良く知られたイルカの1つで、熱帯から温帯の陸近くの世界中の海に生息する)の繁殖に積極的に取組んでおり、1988(昭和63)年には、展示飼育下にあるバンドウイルカの繁殖に、日本で初めて成功している。
チャップリン・デー。
20世紀最大とも称されるイギリス出身の映画人、チャールズ・チャップリンの誕生日(1889[明治22]年生まれ)。チャールズ・チャップリンを偲ぶために設けられた。チャールズ・チャップリンは、映画の黎明期において、数々の傑作コメディ映画を作り上げ、「喜劇王」の異名を持つ。同年代に活躍したアメリカの喜劇俳優、バスター・キートンやハロルド・ロイドと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。チャールズ・チャップリンは、ハリウッド(アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州ロサンゼルス市にある地区で、映画産業の中心地とされ、アメリカ映画のことを指してハリウッドとも呼ばれる)において極めてマルチな才能を示した人物であり、徹底した完璧主義で知られていた。依然、多くのファンを獲得する不世出の天才であるが、その作品には毒性もあり、ユーモアの陰に鋭い社会諷刺、下町に生きる庶民の哀愁や怒り、涙までも描かれているため、純粋に笑いのみを追求する、他の喜劇俳優とは一線を画す存在であることは、特筆すべきである。大正時代から日本では「変凹君」「アルコール先生」という愛称で親しまれた。これは、当時の日本人にはチャールズ・チャップリンの名が発音しにくかったため、配給会社があだ名での紹介をしたためで、酔いどれ役も多かったことから、そのように呼ばれた。チャールズ・チャップリンが映画の中で使用した有名な根鞭ステッキは、滋賀県草津市の特産品で、地元の竹(寒竹)で作られており、しなりが強い。但し、最初からステッキを使っていた訳ではなく、当初は雨傘を用いていた。1932(昭和7)年5月14日に初来日。東京駅には推定約4万の群衆が押寄せた。翌日には首相官邸で歓迎会に出席する予定であったが、ただならぬ五・一五事件(武装した海軍の青年将校達が総理大臣官邸に乱入し、犬養毅首相を殺害した反乱事件)に遭遇して、多大な衝撃を受けたという。チャールズ・チャップリンは、犬養毅首相との面会予定をキャンセルし、犬養毅首相の息子である犬養健と国技館(現在の東京都墨田区両国に所在した旧両国国技館)で相撲を観戦した後、散歩をしていたため、事件そのものには遭わなかった。しかし、狙われている可能性があると、運転手(後に秘書)として採用されていた高野虎市と親しかった元陸軍少将の櫻井忠温からの情報により助けられた。帝国ホテル(現在の東京都千代田区内幸町にある日本を代表する高級ホテルの1つ)に定宿し、和牛ステーキを大変気に入ったという。また、神奈川県足柄下郡箱根町の宮ノ下温泉にある老舗ホテル、富士屋ホテルや、神奈川県横浜市中区にあるホテルニューグランドに逗留。東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区)日本橋浜町で創業した老舗天ぷら店『花長』では、海老の天ぷらを36尾も平らげ、その後の来日でも好んで海老の天ぷらを食べたことから、「天ぷら男」のあだ名が付いた。さらに、『花長』で修行した調理師が乗船しているということで、帰国時の船を、北太平洋航路で長らく運航された12,000t級貨客船『氷川丸』(現在は神奈川県横浜市中区山下町にある山下公園で博物館船として公開されている)に決めたのは、この時であった。なお、『花長』での記録は、現在も破られていないという。1932(昭和7)年5月19日、五・一五事件で殺害された犬養毅首相の葬儀が総理官邸の大ホールで執り行なわれた。その際にチャールズ・チャップリンは、「憂国の大宰相・犬養毅閣下の永眠を謹んで哀悼す」との弔電を寄せた。このことに驚く参列者も多かったとされる。1940(昭和15)年、チャールズ・チャップリンは、ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)指導者兼首相(総統)アドルフ・ヒトラーの独裁政治を批判した、長編映画『独裁者』を発表する。チャールズ・チャップリンが監督・製作・脚本・主演を務めた『独裁者』は、チャップリン映画初の完全トーキー作品として有名であり、さらに、チャールズ・チャップリンの作品の中で最も、商業的に成功した作品として映画史に記録されている。初公開当時、ドイツと同盟関係にあった日本では公開されず、日本初公開は、第二次世界大戦の終戦から15年後の1960(昭和35)年であった。なお、アドルフ・ヒトラーの誕生日は1889(明治22)年4月20日で、チャールズ・チャップリンの誕生日、1889(明治22)年4月16日とは4日違いである。 
康成忌。
日本人で初めてノーベル文学賞を受賞した作家、川端康成の1972(昭和47)年の忌日。川端康成は4月16日の夜、神奈川県逗子市小坪相模湾沿いにある、マリーナ(ヨットハーバー)を中心とした複合施設「逗子マリーナ」のマンションに構えていた自室・仕事部屋で死亡している(ガス自殺とみられている)のが発見された。死亡当時、死因は自殺と報じられ、それがほぼ既定となっている。その一方で、遺書がなかったことや、死亡前後の状況から事故死とする見解もある。川端康成は、大正から昭和の第二次世界大戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の1人である。大阪府出身。死や流転の内に「日本の美」を表現した作品、連歌と前衛が融合した作品等、伝統美、魔界、幽玄、妖美な世界観を確立させ、人間の醜や悪も、非情や孤独も絶望も知り尽くした上で、美や愛への転換を探求した数々の日本文学史に燦然と輝く名作を遺し、日本文学の最高峰として不動の地位を築いた。日本人として初のノーベル文学賞を受賞した際、受賞講演で、日本人の死生観や美意識を世界に紹介した。代表作は、短編小説『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽獣』、長編小説『雪国』『千羽鶴』『山の音』『古都』等。初期の小説や自伝的作品は、川端康成本人が、登場人物や事物等について、随想でやや饒舌に記述している。そのため、多少の脚色はあるものの、純然たる創作(架空のできごと)というより、実体験を元にした作品として、具体的実名や背景が判明し、研究・追跡調査されている。川端康成は新人発掘の名人としても知られ、数多くの新しい才能を育て、自立に導いた。さらに、数々の茶器や陶器、仏像や埴輪、俳画や日本画等、古美術品の蒐集家としても有名である。
雄老忌。
眼科医・作家、藤枝静男の1993(平成5)年の忌日。出身地の静岡県藤枝市では、この日に同藤枝市五十海の岳叟寺にて、藤枝静男墓前祭「雄老忌」が開催される。「雄老忌」という名は、同藤枝市出身の作家、小川国夫が命名したものである。静岡県浜松市で、眼科医を営む傍ら、文筆生活に入藤枝静男は、私小説の世界と、幻想奇想の世界とを併せ持つ作品を生み出す。2007(平成19)年には、藤枝静男や小川国夫等の文学世界を展示紹介する藤枝市文学館が、市民憩いの場所となっている、蓮華寺池公園の郷土博物館に接続する形で開設された。 
桜風忌。
シンガーソングライター・俳優、河島英五の2001(平成13)年の忌日。男の強さや哀しさ、優しさ、父親としての心情を唱い上げた数々の曲は、時代を越えて男性の共感を呼び、歌い継がれている。若い頃にギターを持って世界を放浪し、庶民の暮らしに触れ、音楽を通して、共に喜怒哀楽を共有し合った経験が、河島英五の音楽の礎を築いている。 
内外のミュージシャンが驚く程パワフルな音量と大声で唱い上げる姿、「男らしさ」に拘った歌詞が特徴である。肝臓疾患のため48歳で急逝しており、代表曲の1つ、『野風増』の歌詞には、息子が20歳になれば2人で酒を酌み交わしたい、という内容があったが、河島英五本人は、歌詞通りに息子・翔馬と杯を交わすことは叶わなかった。