4月15日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第3月曜日 旧暦  3月 7日、先負(己酉)、月齢  6.4  
グレゴリオ暦で年始から106日目、年末まであと260日。
誕生花 キンギョソウ・カスミソウ(白)・ハクサンチドリ。

東京ディズニーランド開園の日。
1983(昭和58)年4月15日、東京湾沿いの千葉県浦安市舞浜に アメリカ国外では初となる「ディズニー・テーマパーク」であり、「夢と魔法の王国」をキャッチコピーとした東京ディズニーランド(Tokyo Disneyland:TDL)が開園した。開園当日の入園者数は約2万5,000名で、1983(昭和58)年度の入園者数は約993万名であった。東京ディズニーランドは、東京ディズニーシー(TDS)等と共に、東京ディズニーリゾート(TDR)を形成するディズニーパークである。主役は、ネズミをモチーフにしたアメリカ文化のシンボル的キャラクター、ミッキーマウスである。建設計画当時、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州に本社を置くエンターテインメント会社で、世界有数のメディア・エンターテインメント系総合企業体、ウォルト・ディズニー・プロダクションズ(当時、現:ウォルト・ディズニー・カンパニー)は、EPCOT Center(エプコット、アメリカ合衆国東南部、フロリダ州オーランドのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートにある4つのディズニーパークの内の1つ)の設計・建設の真っ只中で、初の海外投資には消極的であり、リスクを軽減するために、ディズニー・プロダクションズによる直接経営を避けた。そのため、京成電鉄(東京都と千葉県に路線を有する大手私鉄)、三井不動産(東京都に本社を置く、日本最大手の不動産会社)、朝日土地興業(かつて千葉県船橋市浜町に存在した総合レジャー施設、「船橋ヘルスセンター」を経営していた企業で、後に三井不動産に吸収合併される)が主要株主となったオリエンタルランド(OLC)が、ディズニー・プロダクションズとのライセンス契約の下、施設を所有運営し、ディズニー・プロダクションズ側がパークの設計をすると共に、版権、及び運営の指導・クオリティー管理を行ない、その全ての費用をオリエンタルランド(OLC)が負担する方式を取った。香港ディズニーランド・リゾートを含め、世界で5つあるディズニーのテーマリゾートの内、運営会社にウォルト・ディズニー・カンパニーが全く出資していないのは、東京ディズニーリゾートを運営しているオリエンタルランドだけである。パークの名称については、決定時点では、ディズニー・プロダクションズとオリエンタルランドの名称を合わせた「オリエンタルディズニーランド」や、日本を意識した「ディズニーランド・ジャパン」等も候補に挙がったが、最終的には、世界的に有名な都市「東京」圏内にあり、名称で所在地が明確になる等で「東京ディズニーランド」に決定したと言われている。ディズニーの主だったキャラクターは大抵登場するが、中でも「ビッグ5」(アメリカでは "FAB 5" や "fabulous 5")と呼ばれる、ミッキーマウス、ミニーマウス、ドナルドダック、グーフィー、プルートの5名のキャラクターは、パレードやショー等でもほぼ必ず登場し、別格とされているメイン・キャラクターである。それらのキャラクターは、パーク内のトゥーンタウン(ディズニーアニメをテーマにした「ミッキーと仲間たちの住む街」という設定のテーマランド)に居住しており、本籍もそこにある。これは、同エリアの「ミッキーの家とミート・ミッキー」に展示されている「彼」のパスポートに明記されている。建設候補地は千葉県浦安市舞浜の他、長野県下伊那郡大鹿村、静岡県清水市(現:静岡市清水区)、静岡県御殿場市、神奈川県横浜市、神奈川県川崎市、千葉県我孫子市、茨城県ひたちなか市、岩手県盛岡市等があったが、東京都心に近い立地の良さに加え、かつて行徳塩田と呼ばれ、塩田独特の少雨・乾燥の気候であったため、ディズニー・プロダクションズ側は、かなり早い段階から舞浜に決めていた。しかし、誘致合戦でオリエンタルランドからより良い条件を引出すために、最後まで長野県下伊那郡大鹿村と静岡県清水市を候補地として残し、最終的にディズニー・プロダクションズ首脳陣は、「日本の象徴である富士山が常に見える場所では、人工物が引立たなくなってしまう」という、表向きの理由を付けて舞浜に決定した。それぞれのテーマに分かれたエリアが7つあり、それらを「テーマランド」と呼ぶ。各テーマランドに配置されるアトラクションや物販店・飲食店、及び装飾類は、そのテーマに合わせてイメージの統一が図られている。園内の施設は、アトラクション以外の施設も全てオリエンタルランド直営である。ワールドバザールをシンデレラ城へと抜けた場所の芝生には、カルガモが多く生息している。パーク内には、ショップ、レストラン、サービス施設が多数点在する。園内には多くの「ヒドゥン・ミッキー(隠れミッキー)」(壁画やオブジェの一部にさりげなくミッキーフェイスがあしらわれている)なるものが多く存在している。具体的な位置は、「トゥーンタウンの車のタイヤ跡」や「男性用トイレの洗浄ボタン」(いずれも東京ディズニーランド)等で、これは、東京ディズニーシーでも見られる。また、ヒドゥン・ピノキオも存在し、これは東京ディズニーランドの、イッツ・ア・スモールワールド内で見ることができる。トゥーンタウンのミッキーの家とミート・ミッキーにある電子オルガンの穴の中に、ヒドゥン・グーフィーも存在する。アトラクションは、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州アナハイムのディズニーランドと基本は同じものが多いが、同じアトラクションでも、日米双方のアトラクションでは、若干ダイジェストされているものがある。2001(平成13)年9月4日には、東京ディズニーランド(TDL)等と共に東京ディズニーリゾート(TDR)を形成する、7つの港をテーマにしたディズニーパーク、東京ディズニーシー(TDS)が開園した。当初は、日本で2番目のディズニーパークとして、アメリカ合衆国東南部、フロリダ州オーランドのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートや、フランスのディズニーランド・リゾート・パリにもある映画スタジオ系施設の建設を予定していた。しかし、マーケティングの結果、日本では映画文化に馴染みがないという判断から、1993(平成5)年に世界のディズニーパークで初めての海をテーマにした施設に変更された。これは、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州ロサンゼルスのロングビーチに開園の予定であったものの、地元自治体の賛同を得られずに計画が頓挫してしまった施設「ディズニーシー」(仮称)のコンセプトを流用したものである。日本導入に当たっては、東京ディズニーリゾートを経営・運営するオリエンタルランド(OLC)も関わり、共同で新たに企画・開発された。そのため、開園当初の東京ディズニーランド(TDL)の様に「全てがアメリカ版の導入・アレンジ」という訳ではない。なお、東京ディズニーリゾート(TDR)は、2つのディズニーパーク(東京ディズニーランド[TDL]、及び東京ディズニーシー[TDS])とディズニー関連ホテルを核に、ショッピング施設等から構成される。経営・管理・運営に関してはオフィシャルホテルを除いて、株式会社オリエンタルランド(OLC)、及び同社の関連会社で構成される「OLCグループ」が行なっている。世界のディズニーリゾートでは唯一、ライセンス契約による経営・運営であり、経営・運営会社にディズニーの資本が全く入っていないが、ディズニー関連の著作権や商標権ビジネスはウォルト・ディズニー・ジャパンが担当しており、オリエンタルランド(OLC)は、東京ディズニーリゾートの経営・運営のみ担当している。