4月13日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

喫茶店の日。
1888(明治21)年4月13日、東京府東京市下谷区上野西黒門町(現在の東京都台東区上野の一部)に、日本人による初めての喫茶店で、本格的ヨーロッパ風カフェ「可否茶館」が開店した。1階がビリヤード場、2階が喫茶室の2階建ての洋館(敷地は200坪あったという)で、1階ではビリヤードの他、トランプや玉突き、囲碁、将棋等をすることができた。また、硯に便箋や封筒も置き、更衣室、化粧室、シャワー室、調理場等の設備の他に、「内外の新聞、雑誌類、その他和漢洋書、書画を蒐集縦覧に供す」部屋を設け、2階が喫茶室で、丸テーブル、角テーブルを配置し、椅子は籐であった。コーヒーの他に、一品料理やパン、カステラ等も出していた。但し、値段が高過ぎたこともあり、この「可否茶館」は数年後には閉店となっている。その後、「可否茶館」という店名の喫茶店は、日本各地に開店しており、京都市右京区太秦東蜂岡町にある映画のテーマパークで、時代劇の殺陣ショーや俳優のトークショー、撮影会、握手会等が開かれ、京都観光の名所の1つともなっている、「東映太秦映画村」の敷地内にも、昔ながらの喫茶店として「可否茶館」がある。喫茶店とは、コーヒーや紅茶等の飲み物、菓子・果物・軽食等を客に供する飲食店のことである。日本では、フランス等、ヨーロッパの都市に見られるカフェ(新聞や雑誌がそこで読め、時の話題について談笑し、情報交換のできる場所として親しまれている飲食店)を意識した店舗等を中心に「カフェ」と呼ばれることも多い。和風の「茶房(さぼう)」や「茶寮(さりょう)」という呼び方もある。また、見晴らしの良いテラス(屋外席)で、「カフェテラス」を行なっているところもある。ヨーロッパ風の店を「ヨーロピアン・カフェ」、イタリア風の店を「イタリアン・カフェ」と呼ぶこともある。英語流に呼ぶ場合、特に、コーヒーを主力商品とする場合「コーヒーショップ」、紅茶を主力商品とする場合は「ティーハウス」「ティールーム」等とも呼ばれる。中国茶を出す店は「茶館(ちゃかん)」等と、別の名で呼ばれることが多い。「喫茶(きっさ)」とは、元々は鎌倉時代前期(鎌倉幕府第3代将軍源実朝の時代)に、中国から伝わった茶を飲用し、効用を嗜む習慣や作法を指す言葉であった。しかし、現在では(緑の)茶に限らず、紅茶、コーヒーも含めて「喫茶」と言い、さらには、果汁や清涼飲料水等も含めて、これらを飲み菓子を食べることも「喫茶」の概念に含めることが多い。喫茶店は、俗に略して「茶店(さてん)」とも呼ばれる。都市部では、朝の比較的早い時間帯には、サラリーマンや学生等が朝食を取るために利用している。また、昼食の時間帯になると、喫茶というよりも、食事を取ることを目的に、軽食やランチセットや昼限定メニューを利用する人が多くなる。その昼食の時間帯を過ぎると、飲み物や菓子の売上の割合が増え、軽食は減る。営業を担当しているビジネスマン(営業職、いわゆる「営業担当」「営業マン」)は(顧客先を訪問する直前の)時間を調整のために利用することがある。さらに、PCやタブレットでe-mailを送受信するため、同僚との簡易な打合わせをするため、余り構える必要がない商売相手と打合わせをするため、等々で利用していることがある。店内に設置されていることが多い、新聞や雑誌を目当てに入る人もいる。1920年代には、喫茶店ブームが到来したとされ、第二次世界大戦後の1950年代後半には、ジャズ喫茶(JAZZ喫茶)、歌声喫茶(アコーディオンを伴奏に、客がリクエストした曲を客全員で歌う喫茶店)、名曲喫茶(クラシック音楽を、音響装置によって客に提供する喫茶店)等が流行した。1960年代後半から1970年代には、酒類を扱わない、純粋な喫茶店である「純喫茶」が流行した。味に一家言持つようなオーナー店主が、自らコーヒーを淹れて供する拘りの店が増える。明治時代の終わりに、大阪府豊能郡箕面村(現在の大阪府箕面市)で、コーヒーを提供する「カフェー・パウリスタ」が開店した。また、同時期、東京府京橋区日吉町(現在の東京都中央区銀座)には、「カフェー・プランタン」が開業した。パリのカフェのような、文人や画家達が集い芸術談義をできるサロンを目指したが、本場のカフェでは、男性が給仕をするのに対し、「カフェー・プランタン」では女給を置いた。これが評判になり、多くのカフェーが出店したが、社交喫茶等、コーヒーよりもアルコール類を提供する風俗営業の業態に変質していった。大正時代にはさらに大衆化し、女給らによる接客を主な目的とした店も増えていった。このような店では、夜には主に酒類を出し、隣に座る接客係の女性らに客がチップを払うといった、現在のバーやクラブのような業態となる。これらは昭和初期には隆盛を見るようになるが、やはり「カフェー」や「喫茶店」とも呼ばれていた。一方、酒類を扱わない本来の意味の喫茶店も一般的な存在となり、酒類とホステスを供給する前者を「特殊喫茶店」と呼び、後者は本来の喫茶店との意味で「純喫茶」と呼ぶようになった。スナック等の酒場としてのカフェーの差別化のためであった、とされる。また、1970年代には、スペースインベーダー(「敵キャラクターが攻撃を仕掛けてくるゲーム」としては、世界で初めて大ヒットしたゲーム)の登場に始まるブームが興り、多くの喫茶店にテーブル筐体が設置された(ゲーム喫茶)。ゲームが子どもの教育上良くないと思われたことにより、学校の校則に喫茶店への入店を制限するものが日本全国で見られた。1980年代には、セルフ式コーヒーチェーン店(客がレジで注文を済ませ、料理を席まで自分で運ぶ店)の「ドトールコーヒーショップ」(主にコーヒーを扱う日本の商社[卸業]である株式会社ドトールコーヒーが、日本で展開するセルフ式のコーヒーショップチェーン)が誕生、そして1990年代になると、日本へ「スターバックス」(1971[昭和46]年、アメリカ合衆国西北部、ワシントン州シアトルで開業した、世界規模で展開するコーヒーのチェーン店)等のシアトル系チェーン店(エスプレッソ[深煎りで微細に挽いたコーヒー豆を充填したフィルターに、沸騰水を加圧状態で濾すことで抽出されたコーヒー]をメイン商品として、テイクアウトと歩き飲みが可能なスタイル、シアトルスタイルでのドリンク販売のチェーン店)が進出。コーヒー1杯を、概ね300円から500円で提供する。「スターバックス」を始めとしたアメリカ西海岸が発祥とされる、コーヒー豆のオリジナルロースティング(独自の焙煎)で差別化を図るカフェスタイルが、世界のカフェビジネスに波及し始める。日本のカフェもその影響から、「バリスタ」と呼ばれる専門職によってデザインされたコーヒーを提供する店が増えている。同様に、店舗の構造も開放的なバックヤードとテイクアウトカウンターを備えたカフェが主流となっている。一方で、古民家を改築した和風喫茶等もブームとなる。喫茶店チェーン『珈琲所 コメダ珈琲店』は、愛知県名古屋市東区葵に本社を置く株式会社コメダが運営しており、店舗は愛知県を中心に約900店舗を展開し、2019(令和元)年6月7日の青森県1号店オープンにより、全都道府県への出店を達成した。2012(平成24)年には、公益財団法人日本生産性本部(社会経済システムに関するシンクタンク[諸分野に関する政策立案・政策提言を主たる業務とする研究機関])サービス産業生産性協議会による顧客満足度調査において、「カフェ」部門の第1位を獲得した。地域的には、愛知県、岐阜県で、飲食店の内でも喫茶店の占める割合が高い。喫茶店の密度(面積1平方km当たりの事業所数)に着目すると、1番多いのは大阪府であり、市町村レベルの人口1万人当たりの店舗数でも、大阪市が全国1位となっている。 
花キューピットの日。
東京都品川区北品川に所在し、花のある生活の普及拡大を目指す、日本国内における生花の通信配達を目的とし設立された業界第1位規模の法人、一般社団法人JFTDが制定。一般社団法人JFTDが展開する「花キューピット」は、全国どこからでも届け先近くの加盟店を通じて、新鮮な花を贈ることができるサービス。「手軽に花を贈る」ことを世の中に広め、全国の加盟店による「手作り・手渡し」の花贈り文化を創造してきた。2023(令和5)年で1953(昭和28)年のサービス開始から70年、これまで以上に「花を贈る」ことで、癒しや感動が溢れる社会を目指す。日付は、前身の任意団体「日本生花商通信配達協会(JFTD)」の設立日、1953(昭和28)年4月13日から、4月13日を記念日としたもの。