4月12日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

パンの記念日。
東京都中央区日本橋兜町に所在する、大手の製パン業で構成される業界団体、社団法人(現在は、一般社団法人となっている)日本パン工業会内に事務局を置き、パン食普及を目的に活動をしている、パン食普及協議会が1983(昭和58)年3月に制定。1842(天保13)年4月12日(旧暦)、伊豆国の韮山(現在の静岡県伊豆の国市韮山)代官(韮山代官所の支配地域は、伊豆国[現在の静岡県伊豆半島]を中心とし、駿河国[現在の静岡県中部・北東部]・相模国[現在の神奈川県の北東部を除く、神奈川県の大部分]・武蔵国[現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部]に及び、幕末には甲斐国[現在の山梨県]も管轄しており、江戸幕府の直轄領[天領]の支配者である代官は、韮山代官所の場合、江川家によってほぼ世襲されている)で砲術の研究家、江川太郎左衛門英龍(号は坦庵)が、自宅でパン焼きかまどを作成し、軍用携帯食糧として乾パンを作った。これが、日本で初めて焼かれたパンと言われている。また、パン食普及協議会は、毎月12日を「パンの日」としている。江川太郎左衛門英龍は洋学、特に、近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、反射炉(熱を発生させる燃焼室と精錬を行なう炉床が別室になっているのが特徴で、燃焼室で発生した熱[熱線と燃焼ガス]を天井や壁で反射、側方の炉床に熱を集中させる金属融解炉の一種)を築き、日本に西洋砲術を普及させた。地方の一代官であったが、海防の建言を行ない、老中直属の機関である江戸幕府の重職、勘定吟味役まで異例の昇進を重ね、幕閣入りを果たしている。16世紀後半の安土桃山時代に、ポルトガルの宣教師によって西洋のパンが日本へ伝来した。しかし、江戸時代に日本人が主食として食べたという記録は殆ど無い。一説には、キリスト教と密着していたために製造が忌避されたとも言われ、また、当時の人々の口には合わなかったともされる。江戸時代の料理書にパンの製法が著されているが、これは、現在の中国におけるマントウ(小麦粉に酵母を加えて発酵させた後、蒸して作る中国の蒸しパンで、日本の饅頭のルーツになったと言われる)に近い製法であった。徳川幕府を訪れたオランダからの使節団にも、この種のパンが提供されたとされる。明治時代に入ると文明開化(明治時代の日本に西洋の文明が入ってきて、制度や習慣が大きく変化した現象)の波の下、パンも本格的に日本に上陸するものの、コメ志向の強い日本人には、主食としてのパンは当初受入れられなかった。この状況が変化するのは、1874(明治7)年に東京の尾張町(現在の東京都中央区銀座付近)にある木村屋總本店の木村安兵衛と、その次男の木村英三郎が、あんパンを発明してからである。これは好評を博し、以後これに倣って次々と菓子パンが開発され、さらに、その流れで惣菜パンも発達した。次いで、ドイツの軍医テオドール・ホフマンがパン食を勧めて脚気が治り評判となり、脚気防止のためにパン食導入の流れができる。日本海軍では1890(明治23)年、「海軍糧食条例(明治23年2月13日勅令第14号)」の公布によって、逸早くパン食が奨励されていた。第二次世界大戦後、学校給食が多くの学校で実施されるようになると、アメリカからの援助物資の小麦粉を使って、パンと脱脂粉乳(生乳や牛乳、又は特別牛乳の乳脂肪分を除去したものから殆ど全ての水分を除去し、粉末状にしたもの)の学校給食が開始され、これが日本におけるパンの大量流通のきっかけとなった。これにより、1955(昭和30)年以降、日本でのパン消費量は急増していった。現在、日本においてパン食の割合が特に高いのは近畿地方である。パンの年間生産量の内、約半分を食パンが占めている。主食であるコメの消費量が減少を続けていることから、相対的にパンの比重が増加し、2011(平成23)年度の総務省家計調査においては、1世帯当たりのパンの購入金額が史上初めてコメを上回った。パンの製造には、火力の強い焼き釜、オーブン等の設備器具が必要であり、また、生地(生パン)を作るための手間(発酵、延ばし等)が掛かる。そのため、現代においては、日本は元より、パンが主食である欧米においても、家庭で日常の家事(食事)として、パンを焼くことは、一般的であるとは言えない。一方で、冷凍パン生地の流通や、ホームベーカリー(家庭用パン焼き器)等も販売され、自宅での「焼きたてパン」を気軽に楽しむ機会も増えている。パンは、食品小売業における分類としては、生鮮食料品に次いで賞味期限の短い「日配品」として位置付けられることが多い。大手メーカーのナショナルブランドによるものの他、パンの特徴として、「焼きたての香りや柔らかさ」や「様々な味覚の惣菜パン」も好まれるために、ベーカリーチェーンや中小製造業者、街角の「パン屋さん」に至るまで、様々な規模・業態の製造業者が共存していることも、製パン業界の特徴である。調理パンは、通常のパン製造工程とは別に調理した具材を、乗せたり挟み込んで作られるパン、又は、パン製造過程における加熱を、乗せた具材の調理に用いたパンで、通常のパンに比べ、消費期限が短い。狭義の場合サンドイッチそのものを調理パンと呼ぶ場合もある。「菓子パン」と「調理パン」は、それぞれ、流通システムの合理化、標準化を行なう一般財団法人、流通システム開発センター(DSRI)が運用しているJANコード統合商品情報データベース(JICFS/IFDB)分類基準の「111303」と「111305」で定義されているが、いわゆる「惣菜パン」は定義されておらず、食品表示は各製造者が独自判断で行なっている。調理パンには、サンドイッチ、ホットドッグ、ハンバーガー、ピロシキ、ミートパイ、焼きそばパン、コロッケパン、カレーパン、ロールパン等が分類されているが、その中では、焼きそばパン、コロッケパン、カレーパン等が「惣菜パン」とされるケースも多い。日本独自のパンの加工品である焼きそばパンは、コッペパンの間に焼きそばを挟んだ調理パンである。製法としては、コッペパンの上面にパンの長軸方向と平行な切れ目を1本入れ、パンをV型に開いて、そこに焼きそばを挟むのが一般的である。その際、食感を重視し、焼きそば・ソースの水分がパンに染み込むことを避けるため、切れ目の部分に予めバターやマーガリンを塗っておく場合もある。また、アクセントとして、紅しょうがやマヨネーズ、青のり、パセリ等を少量添えることもある。焼きそばの麺の太さは、製造者・地域によって多少の差異が見られる。また、味付けとされる調味料の差、ソースの濃さ、焼きそばの具材として定番であるキャベツの有無等も、製造者によって異なってくる。パンが湿ってしまう、又は保存の問題から、水分が比較的少ない焼きそばが使用されることが多く、焼きそばがボロボロとパンからこぼれてしまい易い。そのため、ラップ等でしっかりと巻かれて店頭に並べられることが多く、場合によっては、二重の包装になっているものもある。高等学校等の構内に設置される売店で販売されているパン類の中でも、定番商品の1つとなっている。その理由は、高価な食材を使用していないため、販売価格が比較的安価であること、きちんと食卓に座る必要はなく、食器を必要としないこと、濃い味付け等が挙げられる。そのため、ドラマ・漫画・ゲーム等のようなフィクションの中でも、いわゆる「学園もの」における生徒や学生の食生活や、構内売店のアイコンとして、小道具的に登場し、ストーリーの1つ等で、「焼きそばパン争奪戦」が展開されることもある。それ以外の世代においても多く食べられており、総菜パン売り場で見掛けることは一般的となっている。焼きそばの代わりに、ナポリタンスパゲティやスパゲティサラダ等のパスタ料理を挟んだものや、ソース焼きそばと共に、コロッケ・ハムカツ・ポテトサラダ・コーン・ウインナーソーセージ・鷄のから揚げ等を組合わせた商品も存在する。