4月7日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

鉄腕アトムの誕生日。
鉄腕アトムは、漫画家・アニメーター・アニメ監督で、 医学博士でもあり、第二次世界大戦後の日本において、ストーリー漫画の第一人者として、現代にまでに繋がる日本の漫画表現の基礎を作ったことから、「マンガの神様」と評された漫画家、手塚治虫原作の漫画のキャラクターで、国産初のテレビアニメとして広く知られる『鉄腕アトム』の主人公のロボットである。公式設定によれば、誕生日は、2003(平成15)年4月7日。アトムは、初登場の作品である光文社(大手総合出版社、講談社が形成する通称「音羽グループ」に属する大手出版社)発行の月刊少年漫画雑誌「少年」連載の漫画『アトム大使』では脇役であった。その作品自体の人気も今1つであったが、「少年」編集長の金井武志(当時)は「弱さや人間らしい感情のあるロボットを主人公にすれば、読者に受入れられる」と手塚治虫に提案し、アトムを主人公として、設定を少し変更した上で描かれたのが『鉄腕アトム』である。『アトム大使』連載最終回には、次号からは『鉄人アトム』が始まります、と予告されていたが、『鉄腕アトム』になった。製作者は天馬博士で、交通事故死した天馬博士の息子の「天馬飛雄」に似せて作られ、当初は「トビオ」と呼ばれていた。トビオは、人間とほぼ同等の感情と様々な能力を持つ優秀なロボットであったが、人間のように成長しないことに気付いた天馬博士は、トビオをサーカスに売ってしまう。サーカスにおいて、団長に「アトム」と名付けられる。やがて、法律が制定され、感情を持つロボットに対して、人間と同等に暮らす権利が与えられるようになると、アトムの可能性に着目していたお茶の水博士に引取られた。そして、情操教育としてロボットの家族と家を与えられ、人間の小学校に通わされるようになる。学校での生活は、同級生達と紆余曲折しながらも仲良くやっている。性格は真面目で正義感が強く、困窮した者には自身を犠牲にしてでも手を差伸べる優しい心を持つが、時にロボットである自分に苦悩や葛藤することも多い。なお、誕生日として設定された4月7日は、『鉄腕アトム』の連載が始まった「少年」の発売日であった。物語の中では苦労して市民権を得たが、現実の2003(平成15)年4月7日には、鉄人アトムはお茶の水博士を世帯主として、手塚プロ(アニメーションの企画・制作、及び著作権管理を主な事業内容とする企業)の所在地である埼玉県新座市の市民に登録され、市役所の前でアニメキャラクターとしては初の、鉄腕アトムの特別住民票が配付された。1963(昭和38)年から1966(昭和41)年にかけて、フジテレビ系で、日本で初めての国産テレビアニメとしてアニメ化された、『鉄腕アトム』アニメ第1作の人気が絶頂であった時期に、手塚治虫は、「ぼくはアトムをぼく自身の最大の駄作の1つとみているし、あれは名声欲と、金儲けのために描いているのだ」という自虐的な評価をエッセイで記している。手塚治虫としては、一雑誌連載作品に過ぎない『鉄腕アトム』が、自らの代名詞のように扱われ、しかも、アニメ版はオリジナルのストーリーによって原作から遊離しているという意識があった。また、『鉄腕アトム』アニメ第1作のスポンサーは、菓子類を中心とした食品メーカー、明治製菓(現在は、明治乳業との共同持株会社、明治ホールディングスの完全子会社で、旧社名が明治乳業である株式会社明治に菓子、牛乳、乳製品や一般用医薬品の製造・販売の事業を譲渡し、明治製菓は医療用医薬品事業に特化した、Meiji Seika ファルマへ商号変更している)であった。マーブルチョコレート(日本初の粒状のチョコレートで、明治製菓から事業を引継いだ株式会社明治の菓子製品のロングセラーである)に入っている応募券を送ると、アトムシールをプレゼントする、というキャンペーンを行なったところ、担当郵便局の能力がパンクした、等というような逸話もある。現在の日本のロボット工学学者達には、幼少時代に『鉄腕アトム』に触れたことがロボット技術者を志すきっかけとなっている者も多く、現在の日本の高水準のロボット技術力には、『鉄腕アトム』の貢献が大きいとも言える。俳優・声優・ナレーター、下條アトムの「アトム」という名前は本名であり、父である俳優の下條正巳が、第二次世界大戦後間もなく生まれた息子を、将来は日本でも、アメリカのように名前・苗字の順に呼ぶようになり、ローマ字の順に名簿も作られるだろうと考え、ならば、アルファベットの「A」で始まる名前なら最初に呼ばれるという理由で、さらに、「今後の原子力は戦争ではなく、発電等、平和のために使われる筈である」という願いを込めて、原子を意味する英語「atom」から名付けた。手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』は、下條アトムの命名より後に描かれたものであり、同名となったのは偶然の一致である。『鉄腕アトム』の連載当時、アトムという名の少年が実在することが話題となり、当時少年であった下條アトムは手塚治虫と対面している。また、賀来ウランという名の女性が、下條アトムの小学生時代の同級生におり、日本放送協会(NHK)総合テレビで放送されていたクイズ番組『私の秘密』(1955[昭和30]年4月14日から1967[昭和42]年3月27日まで、全601回放送された番組で、一般視聴者からの参加者が登場し、その参加者の持つ特技、趣味、自慢等を4人の著名人で構成された解答者が質問を通じて当てる、という内容であり、後のクイズ番組のように、最多正解者を表彰するルールはなく、トークショー的な要素が強く、解答者ゆかりの人物を当人に秘密で登場させる「ご対面」のコーナーが併設されており、初代司会者で、日本放送協会[NHK]アナウンサーから、日本初のフリーアナウンサーとなり、テレビ界に「フリーアナウンサー」の概念を初導入した、高橋圭三による番組冒頭の決まり文句「事実は小説より奇なりと申しまして、世の中には変わった珍しい、或いは貴重な経験や体験をお持ちの方が沢山いらっしゃいます」は流行語となり、この番組は、高橋圭三にとって出世作となった)に、2人で出演したこともある。2人共、現在の日本においても珍しい名前であり、これは非常に稀で、貴重なできごとと言える。さらに、下條アトムは、日本テレビ系列局で放送されていたトーク・コントバラエティ番組『今夜は最高!』にゲスト出演した時、『鉄腕アトム』のパロディで鉄腕アトムを演じ、最後に「これ、一度やってみたかった」と呟いている。 
スーチーパイの日。 
人気麻雀ゲーム「スーチーパイ」シリーズを開発したゲームソフト開発会社、株式会社ジャレコが制定した日。日付は、中国語で「4」= スー、「7」= チーと発音することから4月7日に。なお、東京都品川区西五反田に本社を置いていた株式会社ジャレコは、2013(平成25)年に事実上の事業停止状態となっている。コンピュータとの対戦麻雀を基本とした美少女対戦麻雀ゲーム「スーチーパイ」シリーズは、機種により、全年齢向けのものと、年齢制限があるものが存在する。キャラクターデザインは、漫画家・イラストレーターの園田健一である。園田健一は、魅力的なキャラクターや、洗練されたメカニックが人気で、VHS、レーザーディスク、DVD、Blu-ray Disc等の記録媒体での発売、又はレンタルを主たる販路として作られる商業アニメ作品、オリジナル・ビデオ・アニメーション(OVA)作品のキャラクターデザインも手掛けている。