4月5日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1923年 - 日本共産党系の青年組織、日本民主青年同盟の前身となる、日本共産青年同盟が設立される。 
1924年 - イタリア総選挙で、ファシスト党(ファシズム思想の創始者である政治家ベニート・ムッソリーニが、自身の理論を具体化する為に設立した政党)が勝利する。 
1927年 - 兵庫県神戸市に所在した総合商社、鈴木商店が倒産。鈴木商店は、樟脳、砂糖貿易商として世界的な拠点網を確立すると共に、製糖・製粉・製鋼・タバコ・ビール等の事業を展開。さらに、保険・海運・造船等の分野にも進出し、バルチック海運取引所(イギリスの首都ロンドンにある海運取引所)で日本企業として2番目のメンバーとなる。鈴木商店の子会社の1つ、日本商業会社は岩井産業と合併して総合商社日商岩井へ、更に総合商社ニチメンと合併し、現在の総合商社双日のルーツの1つとなっている。 
1927年 - 「花柳病予防法(昭和2年4月5日法律48号)」公布。後に「性病予防法(昭和23年7月15日法律第167号)」の制定により廃止される。なお、「性病予防法」は「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法、平成10年10月2日法律第114号)」の成立により廃止となるが、その内容は現在、「感染症法」へ引継がれている。
1930年 - 西武西武園線が、東村山駅 - 村山貯水池前駅(仮駅)間(路線距離2.8km)で開業。
1931年 - 大刀洗陸軍飛行場(現在の福岡県三井郡大刀洗町、福岡県朝倉郡筑前町と福岡県朝倉市に跨る地域にあった日本陸軍の飛行場で、第二次世界大戦対米英戦の終戦後は廃止される)で竜巻が発生。4名が死亡し、陸軍機19機が大破する。
1937年 - 「日本通運株式会社法(昭和12年4月5日法律第46号)」公布。総合物流国内最大手の日本通運株式会社は、第二次世界大戦中の戦時経済統制の一環として、戦時物資を円滑供給するため、自動車(トラック)を用いて、貨物列車での集荷・配達業務を行なう、全国の通運業者を統合して、「日本通運株式会社法」の下で国営企業として成立する。第二次世界大戦後の1950年に、「日本通運株式会社法を廃止する法律(昭和24年12月7日法律第242号)」が施行され、民間企業として再出発し、「引越しは日通」(一時は「引越し王日通」も)等のキャッチコピーを用い、一般には、引越業務に強い会社との印象が強い。日本通運株式会社は、「日通で運べない物はない」と言われる程、運ぶものを選ばない運送会社であることが、他の運送会社と大きく異なる。中でも、俗に「ゲテモノ」と称される、重量・大型品輸送・美術品輸送・動物輸送・鉄道輸送(通運)・大規模事業所移転・国際輸送の分野においては、右に出る事業者はいない。また、運送会社の中で唯一、陸運・海運・空運と、全ての輸送モードをカバーしている。法人向けの貨物輸送・物流業務を得意としており、特に、国際航空貨物輸送(日通航空の名称で展開)は最も競争力を持っており、大きな収益源である。なお、かつては「通運」と呼ばれていた鉄道利用運送事業は、コンテナ等を使った鉄道貨物輸送で、荷主の発戸口から着戸口まで貨物を取扱うことである。比較的小さな荷物を各戸へ配送する輸送便、宅配便が登場するまでは、唯一のドア・ツー・ドアの運送形態であった、とされる。
1938年 - 「有限会社法(昭和13年4月5日法律第74号)」公布。後に、有限会社制度は廃止され、「会社法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成17年7月26日法律第87号)」の施行により、「有限会社法」も廃止となる。 
1939年 - 「映画法(昭和14年4月5日法律第66号)」公布。この法律によって、日本の映画の各パートに働く者は政府に登録しなければ、いかなる部門にも従事することはできなくなり、登録するためには、春と秋の年2回行なわれる「技能審査」という試験を受けなければならなくなる(第二次世界大戦後の1945年12月26日に廃止されている)。 
1942年 - 第二次世界大戦: セイロン沖海戦が始まる。日本海軍機動部隊の航空母艦(空母)5隻から発進した艦載機群の急降下爆撃により、イギリス東洋艦隊の重巡洋艦『コーンウォール』と『ドーセットシャー』が沈没する。 
1945年 - 第二次世界大戦:ソビエト連邦が日ソ中立条約の不延長を日本に通告。ソビエト連邦は、8月に宣戦布告する。 
1945年 - 小磯國昭内閣が総辞職。 
1946年 - 対日理事会が初会合。対日理事会は、連合国が日本を占領するに当たり、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国、オーストラリア、ニュージーランド、インドの7ヶ国で構成された連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の諮問機関である。極東国際軍事裁判(東京裁判)にも影響力を持っていた他、ソビエト連邦の斡旋により、日本の総選挙で当時の反動分子(軍国主義者・国粋主義者)が数多く選出された場合には、新議員の資格審査を厳しく行ない、場合によっては選挙のやり直しをさせる、という決議を採択する。 
1947年 - 第1回統一地方選挙。統一地方選挙は、地方公共団体における選挙日程を全国的に統一して実施される、日本の地方選挙である。ある一定期間に任期満了となる都道府県や市区町村の首長、及び地方議会議員について4年に1度(卯年、未年、亥年)実施される。1947年5月の日本国憲法施行を前に、首長・議会議員選挙が実施されたことが始まりである。4年毎に、全国の多くの地方公共団体において、一斉に改選時期を迎えることとなることから、選挙への関心を高めたり日程の重複を避けるため、「地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律(統一地方選挙特例法、最新のものは平成26年11月27日法律第125号)」により、日程を統一的に調整している(統一地方選挙が実施される度に、その前年に臨時特例法が制定されるので、同名の法律が何度も成立している)。 
1951年 - ローゼンバーグ事件で、スパイ容疑によりアメリカのユダヤ人夫妻、ジュリアス・ローゼンバーグとエセル・グリーングラス・ローゼンバーグに死刑判決。なお、ローゼンバーグ事件とは、ドイツ出身の核科学者であるクラウス・フックスが、スパイ容疑で逮捕されたのが発端となり、1950年にアメリカで発覚した、ソビエト連邦によるスパイ事件である。ローゼンバーグ夫妻は、妻エセル・グリーングラス・ローゼンバーグの実弟で、ソビエト連邦のスパイであったデイヴィッド・グリーングラスから原爆製造等の機密情報を受取り、それをソビエト連邦に売った容疑でアメリカ連邦捜査局(FBI)に逮捕されており、裁判では無実を主張していたが、最終的に死刑が執行される。 
1954年 - 初の集団就職列車(青森駅 - 上野駅間)が運行される。集団就職とは、かつて日本で行なわれていた雇用形態の1つであり、地方の新規中等教育機関卒者(中学校・高等学校卒)が大都市の企業や店舗等へ集団で就職することである。 
1955年 - イギリス首相ウィンストン・チャーチルが、健康状態を理由に辞任を表明。 
1956年 - 自由民主党(自民党)党大会で、初代総裁に鳩山一郎が選出される。 
1958年 - オープン戦で7本の本塁打を放つ等、活躍の期待が高まる中で開幕戦を迎えた、読売ジャイアンツ(読売巨人軍)の長嶋茂雄がデビュー。開幕戦での長嶋茂雄は、国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)の金田正一投手を相手に、4打席連続空振三振の成績で終わる。 
1964年 - 町田米軍機墜落事故。アメリカ海軍のジェット戦闘機チャンス・ヴォート(現在のヴォート・エアクラフト・インダストリーズの前身の1つ)F8U-2 クルセイダーが、神奈川県綾瀬市と大和市に跨る地にある厚木海軍飛行場(厚木基地)へ向かう途中で故障を起こし、午後4時30分頃に東京都町田市中心部の原町田(現:原町田二丁目)にある洋裁店を兼ねた民家に墜落。墜落地周辺では衝撃、及び火災が発生して、民家7戸が全焼、7戸が半壊する。この事故により、一般市民4名が死亡、32名の重軽傷者を出す。なお、乗員1名は墜落前にパラシュートで脱出している。 
1970年 - よど号ハイジャック事件(3月31日に、新左翼党派の1つである共産主義者同盟赤軍派[赤軍派]を名乗る9名が起こした、日本航空便ハイジャック事件)の人質が無事帰還。