4月4日 記念日 その7 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

獅子の日。
4月4日の「4」と「4」で、「獅子(し[4]し[4])」の語呂合せから。獅子とは、ライオンが元になっている伝説上の生物である。また、世界的に百獣の王として有名であり、一般的には、最も強い動物と思われている、ライオンの別称でもある。7世紀から8世紀頃に、中国の唐朝の時代の獅子が、仏教と共に朝鮮半島を経て日本に伝わった、とされている、狛犬(像として神社や寺院の入口の両脇、又は本殿・本堂の正面左右等に一対で向合う形、又は守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれるもの)の原型と言われ、平安時代になって、それぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになった。獅子は、南アジアだけでなく、東南アジアにおいても用いられていた、サンスクリット語の「simha(シンハ)」の首音を音訳した「師」に「子」を付して「師子(シーツィ)」となり、後に獣偏を付けて「獅」になったとされる。祭囃子に合わせて獅子が舞い踊る、伝統芸能の1つの獅子舞は、日本で最も数が多い民俗芸能と言われ、2000年代の調査では、全国に約8,000確認されているが、地方の過疎化や、2011(平成23)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)等で減少している、と考えられる。日本の獅子舞は、全土で行なわれており、そのバリエーションは多岐に亘る。獅子舞で踊る獅子は、1人で1匹の獅子を演じる「一人立の獅子舞」、2人以上の演者で、1匹の獅子を演じる「二人立の獅子舞」と、数人から10人程で1匹の獅子を演じる「むかで獅子」に分類される。 「二人立」は、古代に成立した外来の舞楽・伎楽(中国南部の仏教文化圏であった、呉国に由来する楽舞)系統や、散楽(奈良時代に大陸から移入された、物真似や軽業・曲芸、奇術、幻術、人形まわし、踊り等、娯楽的要素の濃い芸能)から派生し、曲芸や軽業と融合して、御師と結び付いた、伊勢大神楽に代表される大神楽系統が存在する。「一人立」は、土着の芸能を元に、中世末から近世初期にかけて成立した風流(ふりゅう)系統といった、芸能史的に異なる系統に分かれる。富山県は、全国でも獅子舞伝承数が屈指であり、2005(平成17)年では、約1,170ケ所で受継がれ、現在も行なわれており、日本一多いとされる。富山県教育委員会は、数多くの獅子舞から2005(平成17)年に、100選(実数 111ケ所)を発表している。獅子の頭部(獅子頭)は木製が多いが、和紙による張子のものや、最近では、発泡スチロールによるものもある。獅子頭職人の早川高師によると、江戸時代中期までの獅子頭は、武家の災い除けの置物で、幕末以降、庶民の祭に獅子舞が広まったという。幅一尺(約30.3cm)程度の標準的な獅子頭を丸彫りでつくると重い(約10kg)ため、薄い部材を組合わせる寄せ木づくりが編み出された。1.5kg程度に軽量化でき、修理もし易い。欄間や置物等の木彫工芸品、井波彫刻で知られる富山県南砺市井波町では、富山県内で獅子舞が盛んに行なわれていることもあり、獅子頭の生産が古くから盛んで、全国有数の産地である。伎楽系(神楽系)の獅子舞は、西日本を中心として全国的に分布し、胴体部分に入る人数で、大獅子、中獅子、小獅子と区分される。大獅子では、獅子を操作する人以外に、囃子方も胴体に入って演奏する。小獅子では、獅子頭を操作する1人だけが胴体も兼ねる。正月に見る獅子舞や神楽での獅子舞を始め、一般に獅子舞というと、この系統の獅子舞を指すことが多い。風流系の獅子舞は、主として関東・東北地方に分布している。1人が1匹を担当し、それぞれが腹に括り付けられた太鼓を打ちながら舞ったり、刀を持って舞う。獅子頭は通常、木製(桐製)で角があり、獅子以外に、竜頭のものや、鹿頭のものもある。 起源は古くからある鹿踊であり、獅子頭も本来は、鹿や猪を模したものであったという説や、太鼓踊り、或いは陣役踊りの中心にいる数人が、頭上のかぶり物を獅子頭に変えたもの、という説等がある。なお、獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされる狛犬は、像として神社や寺院の入口の両脇、或るいは本殿・本堂の正面左右等に一対で向合う形、又は、守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれることが多く、また、その際には、無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になって、それぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、狭義には後者のみを「狛犬」と称すが、現在では、両者を併せて狛犬と呼ぶことが一般化している。概ね、獅子、狛犬は、向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じ、古くは角を持っていた。鎌倉時代後期以降になると、様式が簡略化されたものが出現し始め、昭和時代以降に作られた物は、左右共に角が無い物が多く、口の開き方以外に外見上の差異がなくなっている。これらは本来「獅子」と呼ぶべきものであるが、今日では、両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多い。   
シシリアンライスの日。 
佐賀市のご当地グルメとして人気を集めている「シシリアンライス」を、全国的にPRすることを目的に、佐賀市白山に所在し、佐賀市観光案内所や佐賀市の観光・イベント・グルメ等の情報を発信するWEBサイトの運営を行なう一般社団法人、佐賀観光協会が制定。日付は、4月4日の「4」と「4」を、「シシリアン」の「シ(4)シ(4)」と読む語呂合わせから。「シシリアンライス」は、米飯の上に甘辛いタレで炒めた薄切り肉(牛肉が多い)と玉ねぎを乗せ、その上にレタスやトマト、きゅうり等の生野菜を盛付け、仕上げにマヨネーズを網掛けした料理である。調理法が簡単なため、佐賀の地元の名物料理として普及が始まったと共に、今では家庭料理としても認知が高まり人気が出てきている。まちおこし団体「佐賀市はシシリアンライスdeどっとこむ」が中心となり、「佐賀シシリアンライス」を通じて、食のまちおこしに最大貢献することを目標に、PR活動を行なっている。現在、福岡市にあるイタリア料理店のオーナー、田中和夫が生みの親とされる。1974(昭和49)年頃、田中和夫が佐賀市内の料理店で修行で働いていた時に、賄い飯として料理したものが発祥とされる。当時は、タマネギやピーマン等の有り合わせのもので作っていたが、従業員に好評であったため、見た目も美しく工夫して、メニューに加えたという。トマトの赤とゆで卵の白とキュウリやレタスの緑が、イタリア国旗の三色旗をイメージし、イタリア半島の西南の地中海の洋上に位置する地中海最大の島、シチリア(シシリー)島に因んで、「シシリアンライス」と名付けたとされる。田中和夫が考案したシシリアンライスが、どのようにして伝わったかといった確証は不明であるが、田中和夫が独立する以前に働いていた料理店での同期が、佐賀で飲食店を開き、そこでメニューとして出した、という説が有力である。佐賀県の西部に位置する武雄市は、市内に生息する、約3万頭にも及ぶイノシシの被害に悩まされている、として「いのしし課」を設置し、「イノシシの肉を使ってこそ本当のシシリアンライス」と語呂合わせをしたことがあった。但し、武雄市の「いのしし課」は既にない。2012(平成24)年4月4日、記念日である「シシリアンライスの日」に合わせ、「佐賀シシリアンライス王国」が建国され、佐賀市役所で建国式、及び就任式を行ない、初代国王に秀島敏行市長(当時)が就任した。2012(平成24)年4月上旬には、イメージキャラクターである「シシリアンナ」のキャラクターグッズが誕生し、温度計付マグネット、キーホルダー、ストラップ型万華鏡・ミニキューブ・おみくじ等が発売されている。
4℃の日。
東京都品川区上大崎に本社を置く、ジュエリー・服飾雑貨等の企画・製造・販売を手掛ける企業、株式会社エフ・ディ・シィ・プロダクツが制定。日付は、自社のジュエリーブランド「4℃(ヨンドシー)」の、「4」から「4」が重なる4月4日としたもの。「4℃」には「すべての女性に美しさとときめきを」との想いが込められており、記念日を通じて、女性の毎日をより豊かにする活動を行なうことが目的。「4℃」というブランド名は、氷が張った池底等の水の温度を表わし、凍り付いた水面下でも魚が唯一生息できる「安息の場」であり、厳しい環境の中での潤いを意味する。「4℃」は、そんな潤いをもたらす水のような存在でありたいとし、それこそが、「4℃」のモノづくりの原点である。株式会社エフ・ディ・シィ・プロダクツの創業は1972(昭和47)年4月のことであり、ブランド「4℃」が誕生した。ブランド名が水に由来することから、株式会社エフ・ディ・シィ・プロダクツは、開発途上国での水不足対策や水の衛生改善支援等、水に関わる社会貢献も行なっている。