4月1日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第1月曜日 旧暦  2月23日、赤口(乙未)、月齢 21.7  
グレゴリオ暦で年始から92日目、年末まであと274日。
誕生花 サクラ・マーガレット。

エイプリルフール、万愚節。
罪のない(悪意のない)嘘をついて良いとされる日。4月1日の正午までに限る、とも言い伝えられている。英語の「April Fool」は、4月1日に騙された人を指し、英語では、4月1日そのものは、「April Fools' Day」となる。エイプリルフールは、日本語では直訳で「四月馬鹿」と呼ばれ、漢語的に直訳したものが「万愚節」と呼ばれる。エイプリルフールの起源は全く不明である。即ち、いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかは分かっていない。有力とされる起源説は複数あるが、確証がないことから、仮説の域を出ていない。その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、1564(永禄7)年にフランスのシャルル9世が、1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」として位置付け、馬鹿騒ぎをするようになったのが、エイプリルフールの始まりという。また、インドでは、悟りの修行は春分の日から3月末まで行なわれていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説や、イングランドの王政復古の記念祭であるオークアップルデー(1660[万治3]年に、チャールズ2世によって王政が復活したことを祝うための記念日で、5月29日とされる)に由来を求める説がある。イギリスや、かつてイギリス領であった地域では、エイプリルフールに嘘をついて良いのは午前中だけで、午後には必ずネタをばらす、というルールがある。この午前中ルールは、オークアップルデーでの習わしに由来すると言われる。その習わしとは、オーク(樫)の実、オークアップルや、オークの葉を身に付け、国王への忠誠心を表わすというもので、オークアップルデーにオークアップルやオークの葉を付けていない人は、そのことについて責められたというが、それは午前中だけのことで、午後はオークアップルを身に付けていなくても責められることはなかったとされる。5月29日のオークアップルデーでの習慣が、4月1日のエイプリルフールに流用されたものとみられる。4月1日には、世界中で新聞が嘘の内容の記事を掲載したり、TVニュースでジョークニュースを報道したりといったことが広く行なわれている。インターネットが普及してからは、実用性のない冗談RFC(RFCとは、インターネットで実験的に纏められたプロトコル等に関するドキュメントのこと)が公開されたり、ウェブサイトではジョークコンテンツを公開するといったことも行なわれる。嘘については、19世紀のイギリスで、第40代・第42代首相を務めた初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリの言葉とされる、「嘘には3種類ある。嘘、ひどい嘘、そして統計である」との格言がある。世の中には、様々な「統計」が溢れている。テレビ、新聞、インターネット、書籍、雑誌等、どこでも統計が利用されている。正しい方法で作られた統計を、正しく理解して使えば「嘘」になることはないが、中には、うっかりすると勘違いしてしまうような統計も散見される。現在では、統計に対する正しい知識を身に付けられるよう、学校等でも統計教育の充実が図られている。
新学年。
学年度始めの日。4月1日から翌年の3月31日を「年度」として括る。元々日本では、特に入学の時期は定められておらず、年中入学可となっていることが普通であった。1886(明治19)年10月に、日本で最初に設立された官立の中等教員養成機関、高等師範学校(後に東京師範学校と改称され、現在の筑波大学の前身となる)が学年暦を4月1日からと定め、1888(明治21)年から全国一斉に、これに倣うようになった。但し、大学や高等学校では、欧米の習慣に合わせて、9月に新学期を始めていた。4月1日生まれの人は、前年度の3月生まれの人と一緒に入学することになる。これは、「学校教育法(昭和22年3月31日法律第26号)」で「保護者は、子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初から(中略)就学させる義務を負う」と規定しているためである。「年齢計算ニ関スル法律(明治35年12月2日法律 第50号)」では「年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス」とし、「民法(明治29年4月27日法律第89号)」第143条では、年を単位として期間を定めた場合には、起算日の応答日の前日に期間が満了することとしている。つまり、4月1日に生まれた人は、その6年後の3月31日をもって五歳の期間が満了することになり、その翌日の4月1日に始まる学年から小学校に入学する訳である。
綿抜、更衣(衣替え)。
かつては、冬の間に防寒として、着物に詰めた綿を旧暦4月1日に抜いていた。ここから、 「四月一日(四月朔日)」と書いて「わたぬき」と読む姓も存在する。衣替えの習慣は、平安時代の宮中行事から始まった。中国の風習に倣って、旧暦の4月1日、及び10月1日に夏服と冬服を着替えると定め、これを「更衣(こうい)」と呼んだ。しかし、天皇の着替えの役目を持つ女官の職名も「更衣」と称し、後に、天皇の寝所に奉仕する女官で女御(にょうご)に次ぐ者を指すようになったので、民間では「更衣」とは称さずに、「衣替え」と称するようになった。鎌倉時代になると、更衣は衣服だけでなく、調度品まで取替えることを含むようになった。江戸時代になると着物の種類が増え、江戸幕府は、公式に年4回の衣替えでの出仕を制度化した。武家の制服は、旧暦の4月1日 - 5月4日が袷(あわせ、裏地付きの着物)、5月5日 - 8月末日が帷子(かたびら、裏地なしの単仕立ての着物)、9月1日 - 9月8日が袷、9月9日 - 翌年3月末日が綿入れ(表布と裏布の間に綿を入れた着物)とされ、一般庶民もこれに従った。明治政府は、洋服を役人・軍人・警察官の制服に定め、夏服と冬服の衣替えの時期も制定した。1873(明治6)年1月1日より新暦(太陽暦)が採用され、太陽暦6月1日 - 9月30日が夏服、10月1日から翌年5月31日が冬服と定められた。やがて、これが学生服に、次第に一般の人にも定着し、官公庁や学校、企業等が毎年6月1日と10月1日に衣替えを行なうようになった。因みに、四月朔日義昭という人物がいる。四月朔日義昭は、新潟県糸魚川市出身のギタリスト・作曲家・編曲家・音楽プロデューサーで、出版社アルファノートの代表取締役/プロデューサーを務め、多数のギター教則本の著者でもあり、芸名ではなく本名で、生年月日は1月1日(1973[昭和48]年)でる。ハイブリッドな作風を得意とする四月朔日義昭は、ギターレコーディング、アレンジに止まらず、楽曲提供にも力を入れ、男女6人組音楽グループ、AAAに提供した「MIRAGE」が、AAA初となるオリコンチャート1位を獲得した。他にも、シンガーソングライターの吉岡亜衣加や、歌手のヲタみん等の作品の作曲や編曲も手掛けている。メイン楽器はギターであるが、レコーディングでは、ベースやマンドリン等を弾くこともある。