3月31日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

エッフェル塔の日/エッフェル塔落成記念日。
1889(明治22)年3月31日、エッフェル塔の落成式が行なわれた。エッフェル塔は、フランスの首都パリの象徴的な名所となっている地上高324.0mの電波塔である。パリで行なわれた第4回万国博覧会(パリ万博)に合わせて建設され、フランス人の建築技師・構造家・建設業者、ギュスターヴ・エッフェルが設計した。なお、設計者がステファン・ソーヴェストル、モーリス・ケクランとされたり、ギュスターヴ・エッフェルは工事を請負ったに過ぎないとされたりするが、当時、ステファン・ソーヴェストルとモーリス・ケクランは、2者共にエッフェル社の社員で、ギュスターヴ・エッフェルと共にコンペティション(複数人数の製品・作品の評価を競い合わせ、優れたものを選ぶこと)に参加していた。最終的には、ギュスターヴ・エッフェルが著作権者となっている。ギュスターヴ・エッフェルは、エッフェル塔の建設を受託したエッフェル社(鉄の建造物を多く手掛けた建設会社)の代表でもあり、この塔の名前の由来になった。建設はパリ万博に間に合わせるため、約2年2ヶ月という驚異的な速さで行なわれたが、1名の死者も出さなかった。建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、1930(昭和5)年にアメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市に超高層ビル、クライスラービルが完成するまでは、世界一高い建造物であった。現在では、放送用アンテナが設置されたため、324.0mとなっている。展望台は3つあり、高さは57.6m、115.7m、276.1mである。第2展望台までは階段でも昇ることが可能で、水圧エレベーター等、当時の基本構造は今でも現役で稼動している。鋼(鉄の持つ強度、磁性、耐熱性等の性能を高めた、0.3%~2%の炭素を含んだ鉄合金)製ではなく、錬鉄(炭素の含有量が少ない鉄であるが、製法が非効率的であった)製の塔である。エッフェル塔は、その錬鉄で作られているため、防錆のためにも塗装は欠かせない。塗装の色は「エッフェルブラウン」と呼ばれている。但し、これは1色ではなく、3つの色調が使い分けられており、塔の下部はより暗い色調(明度の低い色)、塔の先端部はより明るい色調(明度の高い色)に塗り分けられている。これらの塗料の総重量は約50tにも達し、7年毎の塗替え作業には40万人時(1人が1ヶ月で行なうことのできる作業量[工数]を表わす単位)の工数を要する。塔の支点の下には、水平に保つためのジャッキ(対象物の下に置かれてその物を支えたり、持上げるために使われる機械装置)がある。あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれた。1887(明治20)年2月には、建設反対派の芸術家達が連名で陳情書を提出している。反対派であったフランスの作家・劇作家・詩人、ギ・ド・モーパッサンは、エッフェル塔1階のレストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言っている。ここから、「エッフェル塔の嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」ということわざも生まれた。なお、パリ万博後には来訪者も減ったことや、当初の契約から1909(明治42)年には解体されようとしていたが、後に、軍事用の無線電波をエッフェル塔で送受信することになり、そのため国防上重要な建築物ということで、現在に至るまで残っている。第一次世界大戦では、エッフェル塔からジャミング(レーダー信号に対する妨害電波)を出して、ドイツ帝国軍を悩ませた。現在では、フランスの首都パリを代表するシンボルとなっている。1991(平成3)年には、エッフェル塔を含む「パリセーヌ河岸」が、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)として登録された。因みに、エッフェル塔は、世界で最も多くの人が訪れた有料建造物とされる。エッフェル塔内部には、パリの景色を一望できるレストランが開業している。特に有名なのが、ミシュランガイド(レストランの評価を星の数で表わすことで知られるレストラン・ホテルガイド)でも1つ星を獲得したことのある「ジュールベルヌ」である。エッフェル塔は自殺の名所でもあり、毎年多数の人が飛降りている。現在でも、展望台は簡単な柵、或いは金網が設置されているだけの吹き曝しである。2017(平成29)年9月には、通算来場者数が3億名を突破し、記念式典が開催された。イングランド北西部(イギリス中西部)の海沿いにあり、イギリス最大の保養地として有名なブラックプールには、市内を一望できるブラックプールタワーがある。ブラックプールの首長であったジョン・ビッカースタッフは1889(明治22)年、第4回万国博覧会(パリ万博)が開催されていたフランスの首都パリを訪れ、タワーの建設を委任した。ブラックプールタワーのデザインは、エッフェル塔に酷似しており、1894(明治27)年に完成した。主な違いは、ブラックプールタワーはエッフェル塔の約半分の高さ(158m)であり、補助なしで建っていることで、行楽シーズンには多くの観光客で賑わい、地域のランドマークとして、現在も親しまれている。エッフェル塔とほぼ同じ規模のタワーとしては、1958(昭和33)年10月14日に竣工した、東京都港区芝公園にある総合電波塔の東京タワー(正式名称は「日本電波塔」で、高さは333m[より正確には332.6m、海抜351m])の他、 中華人民共和国最北東部、黒竜江省の省都ハルビンにある電波塔、龍塔がある。2000(平成12)年に完成した龍塔の地上高は336mで、地上からの高さ200m前後に4階建ての展望台があり、レストランやアミューズメント施設も併設されている。   
サミーの日。
東京都品川区西品川に本社を置く、パチスロ・パチンコメーカー、ゲームメーカーのサミー株式会社が2018(平成30)年に制定。「新しいことはサミーから」という開発方針の下、パチンコ・パチスロ業界で新しいチャレンジを続けるサミー株式会社の企業認知度を、さらに向上させることが目的。日付は、3月31日の「3」と「31」で、「サ(3)ミー(31)」と読む語呂合わせから。パチスロ事業ではトップメーカーとして知られているサミー株式会社は、創業者である里見治の実父が経営していた食品会社「株式会社さとみ」(元々は豆腐屋であった)の一部門として、1975(昭和50)年に設立された。社名、及びブランド名である「サミー」の由来は、「里見(さとみ)」をニックネーム風にもじったものという。2003(平成15)年12月にゲームメーカー大手の株式会社セガ(後の株式会社セガゲームス)を買収し、2004(平成16)年10月1日には株式会社セガと経営統合を行ない、持株会社のセガサミーホールディングス株式会社(SSH)を設立し、サミー株式会社は、セガサミーホールディングス株式会社(SSH)の100%子会社となっている。
カワマニの日。
大阪市中央区上汐に登記上の本社を置き、大阪市東成区大今里西に所在する、バッグや財布、靴等製造卸や通販を手掛ける企業、株式会社ポームが2018(平成30)年に制定。皮革製品に対する知識を広め、革の魅力とその価値を知ってもらうことが目的。「カワマニ」とは、革製品を愛するカワマニアなカワウソのキャラクター名で、革に親しんでもらいたい、との願いが込められている。日付は、3月31日を「0331」と見立て、「レザー(03)サイ(31)コー」と読む語呂合わせから。カワマニくんの好きな言葉は、「かわのてざわり」。革と革製品が大好きなカワマニくんは、集めてきた世界中の「革」や、その他の「カワ」に関する情報を発信している。
アラ!の日。
兵庫県たつの市新宮町新宮に本社を置く、醤油を使用した食品等の製造販売を手掛ける企業、ブンセン株式会社が制定。ブンセン株式会社を代表する商品の1つ「アラ!」は、1961(昭和36)年に発売され、2021(令和3)年に60周年を迎えた海苔の佃煮。ユニークなネーミングとおいしさで人気の「アラ!」ブランドの商品と、自社のファンになってもらうことが目的。日付は、「アラ!」の文字と形が似ている「ア(3)ラ(3)!(1)」から3月31日としたもので、翌日の年度始めからも「アラ!」を食べて、元気で過ごしてもらいたい、との意味も込められている。1934(昭和9)年に地場産業の醤油醸造業として始まったブンセン株式会社は、兵庫県南西部(播磨地方)に位置する企業で、江戸時代に流通した銭貨「寛永通宝」の内、裏に「文」の文字が印されたものが「文銭(ブンセン)」と呼ばれ、重宝がられていて、これが社名の由来である。全国的な知名度では高くないものの、近畿地方を中心に、西日本では佃煮の「アラ!」シリーズが知られており、沖縄県先島諸島まで流通しているが、東日本でのブンセン株式会社製品の取扱い率は低い。印象を残すユニークな商品名が多く、「アラ!」「塩っぺ」「ヤーダ」「パ」等、短いフレーズながら強いインパクトを与えるものが多い。社有車両全てに、動物や植物等の名称を付けており、工場内で使用されるフォークリフトもその対象になっている。