3月21日 記念日 その6 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

国際人種差別撤廃デー
(International Day for the Elimination of Racial Discrimination) 。
1966(昭和41)年の国際連合総会で制定された国際デーの1つ。1960(昭和35)年3月21日、アフリカ大陸最南端に位置する、南アフリカ共和国の北東部にあるシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対し警官隊が発砲し、69名が死亡し、180名以上が負傷した。この「シャープビル虐殺事件」と呼ばれる事件は、国際連合が人種差別に取組む契機となった。世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。また、この日を初日とする3月21日から3月27日までの1週間は、国際週間の1つである「人種差別と闘う人々との連帯週間(Week of Solidarity with the Peoples Struggling against Racism and Racial Discrimination)」となっている。人種隔離政策(アパルトヘイト)とは、特に、南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシア等からのアジア系住民や、カラードと呼ばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策のことである。元々は、ボーア戦争(イギリスとオランダ系アフリカーナー[ボーア人、或いはブール人とも呼ばれる、オランダ系移民を主体とした民族集団]が南アフリカの植民地化を争った2回に亘る戦争)以来、統治側のイギリス人とアフリカーナーが激しく対立していたことに対する緩和策の1つであった。アフリカーナーの多くはイギリス系に対し経済的な弱者となり、「プア・ホワイト」と呼ばれる貧困層を形成していた。これら白人貧困層を救済し、白人を保護することを目的に、さまざまな立法が行なわれてきた。かねてから、数々の人種差別的立法のあった南アフリカ共和国において、人種隔離政策(アパルトヘイト)は、1948(昭和23)年に法制として確立され、以後強力に推進されたが、1994(平成6)年に全人種による初の総選挙が行なわれ、この制度は撤廃された。人種隔離政策(アパルトヘイト)は、「大アパルトヘイト」と呼ばれる土地の大規模な分離政策と、「小アパルトヘイト」と呼ばれるその他細則によって構成されていた。「小アパルトヘイト」は、異なる人種の異性が恋愛関係になるだけで罰せられる法である背徳法や、レストラン、ホテル、列車、バス、公園に映画館、公衆トイレまで、公共施設は全て白人用と白人以外に区別された隔離施設留保法等、一般生活において目に付き易い部分で導入され、故に大きな批判を浴び、「小アパルトヘイト」の多くが1980年代後半の改革により消滅し、「大アパルトヘイト」は1990年代に撤回された。大日本帝国とロシア帝国との間で、朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部(現在の中国東北部に所在)、及び日本海を主戦場として、1904(明治37)年に発生した戦争、日露戦争後の日本は、非ヨーロッパ系国家として唯一の列強であり、欧米帝国主義から自分達の権利を守るため、人種差別反対の立場を採ることが多かった。第二次世界大戦では、人種差別を国是とするナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)と軍事同盟を結んだが、ヨーロッパ人でもキリスト教徒でもない日本人は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害には非協力的であった。日独伊三国同盟(日本とドイツ、イタリアの間で締結された日独伊三国間条約に基づく、日独伊三国の同盟関係)成立後も、ユダヤ人を迫害をしない旨を取決め、他の枢軸国(第二次世界大戦時に連合国と戦った諸国)・占領地域のように、ユダヤ人迫害に協力することはなかった。近年の日本においては、「2000年代に入って過激化した在日韓国人・朝鮮人への差別的言動・街宣活動」が問題視されるようになっている。
世界ダウン症の日(World Down Syndrome Day)。
ダウン症候群の啓発を目的として、2004(平成16)年に世界ダウン症連合(DSI: DOWN SYNDROME INTERNATIONAL)が制定し、2006(平成18)年から開催された。2012(平成24)年からは、国際連合が、国際デーの1つに制定している。3月21日に開催する由来は、ダウン症候群の患者の多数が21番染色体(性染色体以外の染色体である常染色体の1つで、最小のもの)を3本持つことによる。ダウン症のある人達とその家族、支援者への理解がより一層深まり、ダウン症のある人達が、その人らしく安心して暮らしていけるように、さまざまな啓発のイベントを通して、世界中の人々に訴えていくための日とされ、この日には、世界ダウン症連合の呼掛けにより、世界各国でセミナーや写真展等、さまざまな記念イベントが開催されている。日本では、東京都豊島区南大塚に本部を置く公益財団法人、日本ダウン症協会が主催するトークセッションや写真展、ダンスイベント等が開催されている。ダウン症候群は、ダウン症や蒙古症とも呼ばれる先天性の疾患群で、新生児に最も多い遺伝子疾患であり、現時点で治療法は存在しない。教育と早期ケアによりQOL(クオリティ・オブ・ライフ、一般に、1人ひとりの人生の内容の質や、社会的にみた生活の質のことを指し、ある人がどれだけ人間らしい生活や、自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度として捉える概念)が改善されることが見込まれる。臨床像としては、知的障害、先天性心疾患、低身長、肥満、筋力の弱さ、頸椎の不安定性、眼科的問題(先天性白内障、眼振、斜視、屈折異常)、難聴があるが、必ず合併する訳ではない。
国際ノウルーズ・デー/ノウルーズ国際デー(International Day of Nowruz、Nowruz Day)。
国際連合総会で制定された、国際デーの1つ。ペルシャ(現在の西アジア・中東に位置するイランを表わす古名)起源の新年行事「ノウルーズ」を、2010(平成22)年2月に国際連合が承認し、国際デーとしたものである。ペルシャ語の「nowrūz」は、ノウ(now)が「新しい」、ルーズ(rūz)が「日」を意味する。太陽が春分点を通過する「春分」の日に当たり、農事暦上重要であることから、イランを中心に、中央アジア、アゼルバイジャン(ロシアの南西、南コーカサスに所在)からアフリカまでに及ぶ、広い地域で祝われる祭日である。3,000年以上の歴史があり、世界中で3億名以上の人々によって、新年の始まりとして祝われる。ノウルーズは、相互尊重と平和の理想に基づいて、人々の関係を強くする上で重要な役割を果たす。その伝統と儀式は、東洋と西洋の文明の文化的な古代の慣習を反映しており、人間の価値観の交換を通じて、互いの文明に影響を与えてきた。2009(平成21)年には、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界無形文化遺産にも登録されている。イランでは、国家祭日とされている。イランにおける正月ノウルーズは、年末の水曜日(チャハールシャンベ )に行なわれるチャハールシャンベ・スーリーに始まり、スィーズダ・ベダルと呼ばれる、新年の13日目に、集落の郊外にある山野に出掛けて行なわれる終日で終わる。他にも、ノウルーズ前後の年末年始には、何千年前の習慣とみられる、春の訪れを祝う儀礼が行なわれる。ノウルーズの当日には、親類や友人の家を訪問して新年を祝賀する。中央アジアではノウルーズは広く祝われ、ソビエト連邦から独立した中央アジア諸国、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5ヶ国では、いずれも国家の祝日としている。 
バルブの日。
東京都港区芝公園に所在する、バルブメーカーとその関連企業等で構成された一般社団法人、日本バルブ工業会が制定。バルブとは、水や空気等の流体を「流す」「止める」「絞る」ための機器で、社会全体の産業・インフラ(産業や生活の基盤として整備される施設で、人々の生活に必須な、いわゆるライフライン)に関わり、配管の中を通る液体や気体の制御を行なうことで、人々の生活を縁の下で支えている。記念日を通じて、バルブ業界、及び会員企業の認知度向上とバルブ産業の地位向上が目的。日付は、一般社団法人日本バルブ工業会同工業会の設立日、1954(昭和29)年3月21日から。