3月21日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

催眠術の日。
掛け声に関連した記念日で、3月21日の「3」と「21」で、催眠術をかける時の掛け声「3、2、1」から。催眠は、暗示を受け易い変性意識状態の1つで、その状態(催眠状態)、及びその状態に導く技術(催眠法)を指す場合があり、催眠術とも呼ばれる。催眠状態と言えば特別な状態に聞こえるが、電車の中でうたた寝をしている状態に近く、誰しもが入ることのできる現象である。催眠状態では、意識が狭窄(すぼまって狭いさま)しているので、外界からの刺激や他の概念が意識から締め出され、1つの事象が意識を占領することによって、暗示のままに動かされる。この暗示によって、様々な幻覚が作り出されてくる。また、潜在意識に働きかけて対人恐怖症やアガリ症等を治療する。数学嫌いと同様に、たわいもない事象がきっかけで、これらの症状が発症することが多いからである。しかし、催眠状態というような特別な状態がはっきりと存在している訳ではない。催眠法は、心理的な悩みを改善する目的で行なわれる催眠療法 (ヒプノセラピー) と娯楽を目的に行なわれる舞台催眠 (ショー催眠) とに大別される。催眠を医療に用いる試みも、アメリカでは積極的に行なわれているが、日本では積極的な医療機関は限られている。一般的には、まず薬物療法等、他の治療法を十分に試みた上で、適用可否の判断を含めて、訓練を受けた専門家により行なわれるべき、とアメリカではされている。俗にいう催眠商法は、催眠と呼称されているが、舞台催眠的な方法で物を買わせるのではなく、始めに1つの部屋に大勢の人が入れられ、早いもの順に競わせるようにして品物をただ同然であげると言い、そして、最後にその条件反射を利用して、安い布団等を高値で買わせるといった心理学全体の技術を応用した詐欺である。18世紀のドイツの医師フランツ・アントン・メスメルは、動物磁気療法を考案した。フランツ・アントン・メスメルは、人間や動物の体を動かす磁気力「動物磁気」があると考え、動物磁気は磁気を帯びた流体であり、電気や引力のような物理的な力であるとした。フランツ・アントン・メスメルは動物磁気の不均衡によって病気になると考え、これを操作して病気を治療しようと試みた。動物磁気療法はメスメリズムと呼ばれるようになったが、これは19世紀のイギリスの医師ジェイムズ・ブレイドの造語とされる。メスメリズムの治療から発展した科学的技術をヒプノシス(催眠)という。ヒプノシス(メスメリズム)は、日本に入って来た時に催眠術と名付けられた。 日本に入って来た当時、「眠りに催す」ように見えたから付けられたのであるが、その2週間後に被験者は眠っている訳ではないと気付いた、しかし、既に催眠術という言葉は日本中に広まってしまい訂正することができなかった。現代の催眠に携わる人の間では、「催眠は魔術的なものではなく科学であるから、催眠術ではなく催眠・催眠法という表現を使うべき」という主張もある。現代で催眠術という場合、特に舞台催眠 (ショー催眠) を指す場合がある。 日本では、一般の殆どの人が「催眠術」をTV等でよく見る、いわゆる「ショー催眠」と認知し、「超能力」「魔術」等といったものと同一視することもあり、誤解され勝ちであるが、現代の催眠は、心理学、脳科学、そして、体の構造を利用した「技術」である。日本においては、明治末期から大正時代にかけて催眠術が大流行し、催眠術を応用した精神療法や身体鍛練法等を唱える者が多数現れた。それらは医学関係者から霊術師まで多岐に亘り、念写(心の中に思い浮かべている観念を印画紙等に画像として焼き付ける)の発見者とされる心理学者の福来友吉や民間療法の1つとされる霊術の団体、太霊道の創始者である田中守平等がいた。書物も多数出版され、「催眠」と明記した書籍だけでもこの時期だけで400冊以上が出版されている。その流行振りに、風俗撹乱の恐れから、1908(明治41)年に発布された「警察犯処罰令(明治41年9月29日内務省令第16号)」(1948[昭和23]年に廃止)には、「みだりに催眠術を施した者」という一項が入れられていた。プロの催眠術師達は、看板を「霊術」「精神療法」「心理療法」等と書換え、当局の追及を躱した。霊術は昭和期には最盛期を迎え、1930(昭和5)年には霊術家は約3万名いたとされる。明治政府に禁止された修験道(山へ籠もって厳しい修行を行なうことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取入れられた日本独特の混淆宗教)等、日本の呪術文化と融合した霊術は、手技療法等の療術と併用され、通常医療の足りない面を補い黙認されていたが、その山師(投機的な事業で金儲けを企てる者のことで、転じて、詐欺等を行なう者)的側面から規制の対象となった。また、霊術は現在の新宗教のルーツの1つであり、心霊治療の「手かざし」「手当て」は、催眠術、又はメスメリズムに由来する。催眠に関する団体には、日本催眠学会や、日本催眠心理学会、日本催眠医学心理学会等がある。日本の科学者の内外に対する代表機関であり、科学の向上発達を図り、行政、産業、及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする、内閣府の特別の機関(特に必要がある場合に設置される機関で、専門色が強く、相当の規模を要する行政分野で、「省」に格上げする程でないものは「庁」として設置されるが、外局である「庁」とするまでに至らない「準外局」的な組織を設置したい時に、この「特別の機関」とすることが多い)、日本学術会議にも加盟している日本催眠学会は、催眠とこれに関連する諸科学を科学的(医学的、心理学的、生理学的)に研究し、解明すると同時に、その技法を高めていくことを目指している学会であり、日本催眠心理学会は、催眠や心理臨床科学に関する研究を行なっているボランティア団体で、また、日本催眠医学心理学会は、医学、歯学、心理学等における催眠の科学的研究を促進するための学会である。
プリの日。
東京都渋谷区鶯谷町に本社を置き、「きれいに写る感動をみんなに伝える」をモットーに、プリントシール機(プリ)の企画、開発、製造、販売を手掛ける企業、フリュー株式会社が、2017(平成29)年に制定。プリントシール機で撮影する楽しさを、より多くに人に知ってもらうことが目的。日付は、プリントシール機で撮影する時に、「3・2・1(サン・ニー・イチ)」とカウントダウンのガイド音声が流れることから。プリントシール機は、自分の顔や姿をカメラで撮影して、シールに印刷された写真を得る機械である。その先駆けとなる「プリント倶楽部」は、1995(平成7)年7月に発売され、当初はアミューズメントパーク(ゲームセンター等)を中心に設置された。その後、各社から同様の機械が発売され、機械内部に記録されている有名人等と一緒になった撮影ができたり、ペンタブレット(ペンを使って、自由にパソコン等を使いこなせるデジタル機器)を搭載して自由に落書きをしたり、フレーム、スタンプ等の模様を入れたり等、遊びの要素を加えられ、女子中高生や若い女性を中心に、2000(平成12)年頃に大きなブームとなった。現在、業界シェアの約4割を持つフリューでは、小型機「arinco」をテレビ局・映画館・観光地向けにも販売している。小中高生や、かつてプリクラに嵌まった30代を、次のターゲットとして取込もうとする動きもある。因みに、「プリント倶楽部」と同様の機能を持つ他社製品も含めて、俗に「プリクラ」と呼ばれる。この「プリクラ」のように、商標としての機能、即ち、特定の企業、その他の団体が提供する商品、又は役務(サービス)を識別する標識としての機能(自他商品役務識別機能、出所表示機能)を有していた名称が、徐々にその機能を消失させ、需要者(取引者、最終消費者)の間で、その商品や役務を表わす一般的名称として意識されるに至る現象を「商標の普通名称化」という。
アジフライの日。
鳥取県境港市竹内団地に所在する、日本一のアジフライカンパニーを目指す水産加工食品の製造・販売企業、株式会社角屋食品が制定。庶民の味「アジフライ」、日本のソウル・フード「アジフライ」。真アジの美味しさ、衣との相性、揚げたての食感等、「アジフライ」の美味しさを、より多くの人に味わってもらうことが目的。記念日をきっかけに、「アジフライ」のみならず、海洋資源の保護に対して関心を持ってもらいたい、との願いも込められている。日付は、「アジ」は漢字で「鯵」(魚へんに参)と書くため、3月を表わし、「21」を「フ(2)ライ(1)」と読む語呂合わせから21日として3月21日に。アジフライは、明治以降の日本で、西洋料理に基づいて独自に発達した洋食の1つであり、その後は殆ど和食と位置付けられることもある程、おかず、おやつ、酒の肴等として広く普及している。サクサクとした衣と、ふんわりとしたアジが作り出す食感が特徴で、かける調味料によって、異なる味を楽しむことも可能である。また、栄養面では、低カロリー・低糖質で、エイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)が豊富、とされることがある。日本では、家庭料理だけでなく、中食・外食としても普及している。この他、町おこしやキャラクターの題材にされたり、俳句・エッセイ・漫画・ドラマ等の作品内でも取上げられたりする等、日本文化の中で親しまれている料理である。