3月21日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

世界詩歌記念日/世界詩デー(World Poetry Day)。
国際連合の教育・科学・文化の発展と推進を目的とした専門機関、国際連合教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)が、文芸の増進のために、1999(平成11)年に取決めたもので、詩を記念する日となっている。世界全体で、詩歌に関する活動を増進させることを目的としており、この日には、国際連合の郵便組織である国際連合郵便(UNPA)により、記念切手が発行されている。 詩歌とは、詩・和歌・俳句等、韻文の総称である。韻文とは、聴覚に一定の定まった形象を感覚させる一定の規則(韻律)に則って書き表わされた文章で、小説や評論のように、5・7・5等の韻律や句法に捉われずに書かれた文章、散文の反意語となっており、多く詩において用いられる。一定のリズムを持ち、暗誦されるのに適しているため、古代から神話や歴史の叙述に用いられてきた。英語で詩を表わす「poem」は、「作ること」を意味するギリシャ語「poiesis」に由来し、技術をもって作り出された言葉を意味した。漢字の「詩」は、思いや記憶を言葉にしたものを意味し、元々は古代中国の歌謡を編纂したものがこう呼ばれ、後に詩経と称される。日本では、明治になるまでは「詩」と言えば漢詩を指し、「歌」は、日本古来の歌謡から発したものを指した。文学の一形式として「詩」の語を使うようになったのは、西洋文学の影響から作られた新体詩集『新体詩抄』等を起源とする。新体詩は、明治時代に西洋詩の影響を受けて、それまでの日本の和歌・俳句等の定型詩や漢詩から、新しい詩型を目指した詩作品である。日本初の官立大学、東京大学(「旧東京大学」、後の東京帝国大学で、現在の東京大学の前身)の同僚であった、社会学者、教育者の外山正一、植物学者、詩人の矢田部良吉、哲学者の井上哲次郎が、1882(明治15)年に刊行した『新体詩抄』で新体詩が広く知られるようになり、詩人としての北村透谷、島崎藤村らを生んだ。
三井の日。 
3月21日の「321」を、「三井(み[3]つ[2]い[1])」と読む語呂合わせから。江戸時代前期に、武士を廃業した三井高俊が、伊勢国松阪(現在の三重県松阪市)に質屋兼酒屋を開いたことが、三井財閥の当主の一族である、三井家の起源とされる。三井高俊の父、三井高安が「越後守」であったことから、三井家の店は「越後殿の酒屋」と呼ばれ、これが後の「越後屋」の起こりとなる。三井高俊の四男であった三井高利は、伊勢国から江戸に出て1673(延宝元)年に越後屋三井呉服店(三越)を創業。さらに、京の室町通蛸薬師(現在の京都市中京区に所在)に京呉服店(仕入れ部)を創業する。その後、京や大坂でも両替店を開業し、呉服は訪問販売で一反単位で販売し、代金は売掛け(ツケ払い)、という当時の商法を覆す、「店前売り」と「現金安売掛け値なし」(定価販売)等で庶民の心を捉え、繁盛した。その後、幕府の公金為替にも手を広げ、両替商としても成功し、幕府御用商人となり、屈指の豪商となった。明治維新後、三井家は明治政府の資金要請に応え、政商の基盤を確固たるものにした。幕末・維新期を通しての日本政府は、三井との関係無しでは存立しない状況となっていた。1872(明治5)年、越後屋呉服店(現在の百貨店、三越伊勢丹の前身の1つ)を三井の本流から切離し、1876(明治9)年には三井銀行(現在の三井住友銀行の前身の1つ)を創業。また、同年に、元周防国/長門国長州藩藩士で、明治政府の数々の要職を歴任した政治家の井上馨と、旧江戸幕府幕臣で、後に草創期の日本経済を動かしたとされる実業家の益田孝によって設立された商社、先収会社の解散を機に、益田孝に世界初の総合商社である三井物産会社を創設させ、さらに、三井組内の商事組織である三井組国産方と合併させた。政府は、1880(明治13)年頃から官営工場(明治政府が殖産興業の政策のため、率先して新しい産業を興すべく創設した工場)を、三大財閥(一族の独占的出資による資本を中心に結合した経営形態、財閥の中でも特に大きいもの)の三井財閥や三菱財閥(もう1つは住友財閥)等に安く払下げた。そのため、紡績業等が盛んになり、日本の産業革命を担うことになる。三井財閥は、他の財閥に先駆けて、1909(明治42)年に、三井財閥の本社である持株会社、三井合名会社を頂点とするコンツェルン(個々に独立した企業の株式を親会社が持ち、実質的に支配する企業形態)体制を確立した。貿易が進展したことで、その担い手の商社も飛躍的に発展した。さらに、造船、機械、プラント等を手掛ける三井系の重工業メーカーである三井造船は、日本初のディーゼル船『赤城丸』等を導入する。これら海洋国家と貿易の相乗効果で、三井は日本最大の財閥として君臨した。第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、財閥を軍国主義と封建主義の精神的支柱であるとし、三井の経済力の中核と見做された三井物産は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による経済民主化政策、財閥解体により解散した。その後は他財閥と同様、「三井グループ」としてグループ化をするも、相対的弱体化を余儀なくされる。2001(平成13)年に三井グループの中核銀行であるさくら銀行(旧:三井銀行)が住友グループの中核銀行である住友銀行と合併して三井住友銀行が誕生したことに伴ない、金融面では、三井住友フィナンシャルグループが誕生し、他業種でも、三井系と住友系の企業の合併や業務提携が相次いだ。源流企業の三越は、三菱東京UFJ銀行との関係が深い伊勢丹と、2008(平成20)年4月に持株会社の三越伊勢丹ホールディングスを設立、経営統合した。1941(昭和16)年、三井合名会社の不動産部門が分離して設立された三井不動産は、1956(昭和31)年10月、財閥解体に伴なって清算中であった三井合名会社を引継いだ株式会社三井本社を吸収合併している。日本経済が飛躍的に成長を遂げた1954(昭和29)年12月から1973(昭和48)年11月までの約19年間の時期、高度経済成長期には、地方都市に逸早く進出し、超高層ビル事業を積極的に推進し、1968(昭和43)年には、東京都千代田区霞が関に所在する、地上36階、地下3階、地上高147mの超高層ビル(オフィス・商業複合施設)、霞が関ビルを完成させた。日本初の超高層ビルの竣工であり、これにより、三井不動産は知名度を上げた。また、1958(昭和33)年に浚渫埋立事業、1961(昭和36)年に宅地分譲事業、1964(昭和39)年に別荘地分譲事業、1968(昭和43)年に戸建住宅分譲事業・マンション分譲事業等、事業を多角化し、1960(昭和35)年には、京成電鉄等と共同出資して、日本版ディズニーパーク(アメリカのエンターテインメント総合企業、ウォルト・ディズニー・カンパニーが展開しているディズニー作品等をテーマとしたテーマパーク)である東京ディズニーランドの運営事業会社、株式会社オリエンタルランドを設立し、1983(昭和58)年、株式会社オリエンタルランドは、千葉県浦安市に所在する東京ディズニーランド(現在では、東京ディズニーシー等と共に、東京ディズニーリゾートを形成している)を開業した。なお、株式会社オリエンタルランドは設立当時から、京成電鉄と三井不動産が2大株主であり、両社が多くの役員等を出向させていた。しかし、三井不動産は2010(平成22)年限りで役員の出向を止めており、出資比率も10%以下に引下げている。三井不動産は、オフィスビル、ショッピングセンターの「ららぽーと」や「三井アウトレットパーク」等の商業施設、大型物流施設「MFLP」、三井ガーデンホテル等の宿泊・リゾート施設等、幅広く不動産開発事業を展開しており、第二次世界大戦後、一貫して不動産業界において売上1位に君臨する、日本最大手の不動産会社となり、三井住友銀行、三井物産と共に、三井グループの御三家である。
ベイブレードの日。
東京都葛飾区立石に本社を置く、玩具、雑貨、カードゲーム、乳幼児関連商品等の企画、製造、販売を行なう企業、株式会社タカラトミーが制定。株式会社タカラトミーが発売するベイブレードは、攻撃力や持続力、防御力等がパーツを組替えることで改造できるバトル専用のコマで、自分だけのオリジナルなベイブレードを作り戦うことも可能。1999(平成11)年からスタートしたベイブレードの象徴的な日を作ることで、ブランド全体を盛上げ、社会的なPRを目指す。日付は、ベイブレードで遊ぶ際の掛け声「3・2・1Goシュート!」から3月21日を記念日とした。勝負はすり鉢状のスタジアムで行ない、専用のシューターを使ってベイブレードを発射させ、相手を外に弾き出すか、相手より長く回転し続けることで勝利となる。