3月20日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

上野動物園開園記念日(続き)。
1907(明治40)年、生きたジラフとしては初めて、ドイツから日本に輸入された「ファンジ」と「グレー」は、動物園の年間入園者が初めて100万名を突破する等、大変な人気となる。しかし、ジラフは当時でも高額な上に、「中国の伝説上の獣、麒麟」と偽られていた等、購入の経緯が上層部に報告されていなかったようで、石川千代松は動物園監督を辞任する。因みに、このことから、「麒麟」に因み、ジラフを「キリン」と名付けたのは、石川千代松と言われる。後任の園長相当職として、上野動物園最初の選任獣医師となっていた黒川義太郎が、動物園主任に就任する。黒川義太郎の上野動物園在職期間は約41年に及び、「動物園の黒川おじさん」として少年少女から親愛されたが、1930(昭和5)年を過ぎてからは健康を損ね、1933(昭和8)年には、東京帝国大学(現在の東京大学の前身)農学部獣医学科を卒業し、上野動物園で勤務していた古賀忠道に、動物園主任の座が譲られる。上野動物園の「園長」が正式に制度化されたのは1937(昭和12)年で、初代園長には古賀忠道が就任した。古賀忠道は、子ども動物園の開園、おサル電車の設置、インドのジャワハルラール・ネルー首相より贈られた、アジアゾウのインディラを目玉とした移動動物園等、動物と人間の係わり合いを高める様々な試みを展開する。1962(昭和37)年の動物園創立80年記念行事を最後に園長を引退したが、第二次世界大戦を挟む約4半世紀に亘る長期間、園長の職を務めて、有名な「動物園は平和なり」という言葉を残している。上野動物園第2代園長は、1937(昭和12)年から上野動物園に勤務し、1958(昭和33)年に恩賜上野動物園の分園という形で開園した、東京都日野市程久保に所在する多摩動物公園の初代園長に就任していた林寿郎で、その後は3年から9年程度で園長は交代し、現在の園長は、ジャイアントパンダの飼育責任者でもあった元副園長、福田豊(第15代、2017[平成29]年4月1日就任)である。
サブレの日。 
小麦粉を主材料に焼いた洋菓子、ビスケットの一種である、バター風味とサクッとした食感のサブレ。「ココナッツサブレ」「バターサブレ」「セサミサブレ」等の人気のサブレを製造販売する、大阪府堺市堺区石津北町に本社を置く菓子メーカー、日清シスコ株式会社が制定。日付は、3月20日の「3」と「20」で、「サ(3)ブ(2)レ(0)」と読む語呂合わせから。日清シスコ株式会社の主力製品であるサブレをPRすることが目的で、この日を中心に、プレゼントが当たるキャンペーン等を実施している。ビスケットやチョコレートを生産していたシスコ株式会社は、1991(平成3)年に日清食品グループ(インスタントラーメンを中心とした食品加工会社、日清食品株式会社を中心とする食品グループ)に入り、日清シスコ株式会社と社名変更した。トウモロコシ、オーツ麦、小麦、大麦、米等の穀物を、押潰して薄い破片(フレーク)にする、パフ状にする(膨化させる)、混ぜ合わせてシート状にしてから砕く、等の加熱調理で食べ易く加工し、長期保存に適した形状にした簡便食、シリアル食品も主力商品としており、シリアル食品のコーンフレーク(乾燥させたトウモロコシを挽いて粉にしたコーンミールが原料で、器に盛って牛乳や豆乳を掛ければすぐに食べることができるため、特に朝食用に普及している)で「シスコーン」ブランドを使用している。1965(昭和40)年にシスコ株式会社が発売した「ココナッツサブレ」は、50年以上守り続ける拘りの製法と配合による美味しさで、多くの人々に愛され続けている。ビスケットの多くは、バター、又はショートニング(主として植物油を原料とした、常温で半固形状[クリーム状]の食用油脂)と薄力粉の配合比率を、1:2の割合(あくまでも目安)で作るが、サブレは、ほぼ1:1で作る。これにより、バターの風味が増し、サックリとした食感が生まれる。サブレという名の由来は、初めて作られたというフランス西部にある地域、サブレ=シュル=サルトに由来するという説や、17世紀にサロンを開いていたサブレ侯爵夫人が、バターをたっぷり使ったガトーセック(洋風の乾燥した焼き菓子)を出したことに由来するという説等がある。サブレは、家庭でも比較的容易に作ることができるが、土産品として売られている商品も多く、有名なサブレとしては、神奈川県鎌倉市にある菓子の製造販売企業、株式会社豊島屋の「鳩サブレー」、福岡市南区向野にある菓子の製造販売企業、株式会社ひよ子の「ひよ子サブレー」等がある。名前が示す通り、鳩を模した形が特徴の「鳩サブレー」は、主に鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市雪ノ下にある、武家源氏、鎌倉武士の守護神とされる神社)に参詣した人の土産として有名で、現在では神奈川県を代表する銘菓となっている。株式会社豊島屋の初代店主である久保田久次郎が、店に来た外国人からもらったビスケットを原点としており、フレッシュバターをふんだんに使用した製品であるが、開発を始めた当時は、バターが使われていることが分からず、それを見付けるまで大変苦労をしたという。ビスケットとの違いを出し、日本人に馴染み易い味にするため、スパイスやフレーバーは使用していない。鳩の形となったのは、久保田久次郎が鶴岡八幡宮を崇敬しており、本宮の掲額の「八」が鳩の向き合わせであることと、宮鳩が多数いるところから着想を得たため、と言われている。「ひよ子サブレー」は、「鳩サブレー」と形状やパッケージ等、外見は似ているが、オーストリアの菓子職人ヴェルナー・エベナウワーを招いて、株式会社ひよ子の会長であった石坂博史が考案したもので、明治時代末期に作られた「鳩サブレー」よりも遥かに後、1983(昭和58)年に誕生している。 
未病の日。
神奈川県横浜市青葉区美しが丘に本社を置き、コーヒーや茶類の製造、通信販売事業を展開する企業、株式会社ブルックスホールディングスが2017(平成29)年に制定。「未病」とは、東洋医学において「明確な病気ではないが体調がすぐれない状態」を表わす。株式会社ブルックスホールディングスが、未病を改善する取組みを推進する神奈川県と連携し、神奈川県の南西に位置する足柄上郡大井町と協働しながら運営する「me-byo valley "BIOTOPIA"(未病バレービオトピア)」を、多くの人に知ってもらうことが目的。日付は、3月20日は、体調を崩し易い季節の変わり目の「春分の日」となることが多く、日頃の生活習慣に目を向けてもらいたい、との願いから。また、3月20日の「3」と「20」で、「未病(み[3]びょう[20])」と読む語呂合わせも。未病への取組みは、食・運動・癒し等、様々な方面からのアプローチが必要とされている。「me-byo valley "BIOTOPIA"(未病バレービオトピア)」は、神奈川県西地域の「未病の戦略的エリア」の拠点施設であり、自然環境に恵まれた約60ヘクタールの広大な土地は、新たな事業を生み出す無限の可能性を秘めている。「未病の見える化」等の機能を有する、神奈川県によるプレゼンテーションスペース「県展示施設」、未病関連のあらゆる商品・サービスが一堂に見られるスペースで、イベントやセミナーも開催される「未病メッセ」、薬膳カフェ「ニコロジーク」、未病のコンセプトの下に集められた、地元の食材や健康に拘った商品が揃う「ヘルシーフード・マルシェ」、五感を緩やかに開放するための「遊歩道・森のみち」等、未病のための様々な施設と環境が整えられている。