3月20日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

上野動物園開園記念日。
1882(明治15)年3月20日、現在の東京都台東区にある上野恩賜公園(通称:上野公園)内に日本初の近代的な動物園として、東京都恩賜上野動物園(通称:上野動物園)が開園した。当初は約1ha(約3,000坪)の広さで、水牛や猿、鷲等が人気を集めていたという。入場料は平日が1銭(現在の貨幣価値に換算すると、概ね100円から200円程度)、日曜日が2銭であった。この日は、「開園記念日」に因んで「動物愛護デー」とされており、また、5月4日の「みどりの日」、10月1日の「都民の日」と共に、入園料が無料となる。因みに、「小学生以下」、及び「都内在住・在学の中学生」はいつでも無料で、5月5日の「こどもの日」は、全ての中学生が無料となる。 開園時には農商務省(現在の農林水産省と経済産業省の前身)が所管し、その後、1886(明治19)年に宮内省(現在の宮内庁の前身)の所管となり、1924(大正13)年には、皇太子裕仁親王(後の第124代天皇、昭和天皇)のご成婚を記念して、上野公園と共に、動物園は東京府東京市(現在の東京都区部[東京23区]に相当)に下賜された。これにより、「上野恩賜公園動物園」と呼ばれるようになり、1947(昭和22)年に名称が「東京都恩賜上野動物園」となった。第二次世界大戦後は東京都建設局が所管したが、現在は指定管理者制度(それまで、地方公共団体やその外郭団体に限定していた公の施設の管理・運営を、株式会社を始めとした営利企業・財団法人・特定非営利活動法人[NPO法人]・市民グループ等、法人、その他の団体に包括的に代行させることができる[行政処分であり委託ではない]制度)により、東京都台東区池之端に所在する公益財団法人東京動物園協会が管理する。上野動物園は、スマトラトラ、ニシローランドゴリラ等の希少動物を始め、500種余りの動物を飼育している。この飼育動物の種類は、日本では愛知県名古屋市の東山動植物園(550種)に次いで多い。ジャイアントパンダ、オカピ、コビトカバと、世界三大珍獣が飼育されている。敷地は、西園と東園に分かれており、この両園を結ぶ都営モノレール(上野動物園モノレール、東京都交通局上野懸垂線、路線距離0.3km)は、常設のものとしては日本初のモノレール(懸垂式鉄道)であり、日本最短のモノレール路線であり、鉄道全体でも日本で二番目に短い。「東京都懸垂電車条例(1964年3月31日東京都条例第107号)」に拠る、東京都懸垂電車唯一の路線で、車体にはカラフルな動物の絵が描かれている。アトラクション気分で利用する親子連れらも多いが、園内を横切る公道を路線が跨ぐため、路線全てが園内に収まっておらず、遊戯施設ではなく、鉄道事業、及び索道(空中に渡したロープに吊下げた輸送用機器に人や貨物を乗せ、輸送を行なう交通機関)事業等の運営について一元的に規定する「鉄道事業法(昭和61年12月4日法律第92号)」に基づく交通機関となっている。2019(平成31)年1月24日に車両故障のため運転休止となり、3月15日に運転は再開された。しかし、その後は車両設備の老朽化により、11月1日からは運行を休止した。今後、東京都は、都民の意見を聴きながら、路線を維持するかを検討する、としている。なお、休止期間中は、東園と西園の間を、小型電気バスによる連絡バスで無料運行する。上野動物園は現在、日本一の入園者数を、北海道旭川市にある旭川市旭山動物園と争っている。1972(昭和47)年、ジャイアントパンダの「カンカン」と「ランラン」が来園。今でこそ有名なジャイアントパンダであるが、当時の日本では、存在そのものがあまり知られていなかった。しかし、報道等で紹介された愛くるしい姿が大評判となり、大変なパンダブームが到来することとなる。1990年代以降は、東京都日野市にある、上野動物園と並んで日本有数の動物園である多摩動物公園で行なわれたような、飼育環境をできるだけ自然な状態に近付ける取組みが行なわれている。スマトラトラのコーナーでは、密林の雰囲気が演出されている。また、同コーナーにはトラが泳げる水槽がある。多摩動物公園や東京都武蔵野市にある都立の動物園、井の頭自然文化園等の都立動物園と共に「ズーストック計画」(動物保管計画)を実施しており、この計画により、上野動物園で飼育していたライオンは、1991(平成3)年に多摩動物公園に移され、ライオンが暫く不在となってしまう。しかし、来場者の要望に応え、2002(平成14)年3月27日からは、神奈川県横浜市旭区にあるよこはま動物園ズーラシアから貸与を受けて、インドライオン(メス)を公開している。1950年代に、コウテイペンギン(現生のペンギンでは最大種で、最も南に分布するペンギン)等の飼育が行なわれた。以来、1970年代頃まで、南極産ペンギンを飼育する数少ない動物園の1つであった。1936(昭和11)年、園内からクロヒョウ(アフリカ大陸からアラビア半島、ユーラシア大陸の東の端にまでみられる、イエネコを除くネコ科の中で最も広く分布する動物で、アフリカでは特に危険で人気の高い猛獣として、ビッグ5[ライオン、ゾウ、サイ、ヒョウ、バッファロー]に選出されている)が逃げ出し、後の機動隊(集団的警備力、及び機動力を有し、警備実施の中核部隊として、治安警備、及び災害警備等に当たる警備警察の部隊)の源流とされている警視庁特別警備隊が出動する騒ぎとなった(上野動物園黒ヒョウ脱走事件)。この事件は、阿部定事件(東京府東京市荒川区[現在の東京都荒川区]で、男性が愛人であった鰻料理店の仲居に殺害された事件)、二・二六事件(陸軍の過激な国粋主義[自国の文化的、政治的伝統の独自性、又は優越性を強調し,それを政策や思想の中心的価値と考える思想一般]の青年将校達が「昭和維新」を旗印に重臣等を殺害し、首都の中枢部を4日間に亘って占拠した事件)と合わせて「昭和11年の三大事件」と呼ばれている。このヒョウは、排水溝に隠れていたところを捕獲されたが、後の第二次世界大戦戦時中における園飼育動物の殺害決定には、この事件が影響したと言われている。1937(昭和12)年、日本で初めてキリンが繁殖した他、翌1938(昭和13)年にはカバ、1950(昭和25)年にはノドジロオマキザル、1961(昭和36)年にはオランウータンとカリフォルニアアシカ、1962(昭和37)年にはジャガーとコビトカバ、1990(平成2)年にはアムールヤマネコとベルツノガエル、2002(平成14)年 にはアカガシラカラスバトやハダカデバネズミ等、2003(平成15)年にはアイアイとタテガミオオカミの繁殖に、国内で初めて成功している。世界で初めて、ニシアフリカコビトワニの繁殖に成功した1972(昭和47)年には、ジャイアントパンダの「カンカン」と「ランラン」が来園し、パンダブームが起こっている。2008(平成20)年にジャイアントパンダの「リンリン」が慢性心不全により死亡し(22歳)、最大5頭飼育されていたパンダがいなくなったが、パンダ舎は、2011(平成23)年に再オープンし、中国からの借受けにより、雄の「リーリー」、雌の「シンシン」の2頭が来日した。2017(平成29)年、「シンシン」が「シャンシャン」(雌)を出産し、12月19日に一般公開が開始された。当初は抽選制で、午前9時45分から午後2時15分の公開に希望者が集中。公開当初は午後0時15分までと、公開時間がさらに短かったため、応募倍率が最大で約140倍になったこともあった。「シャンシャ」ンが公開に慣れ、健康状態が安定していることから、2018(平成30)年2月1日からは、先着順での公開に変更し、公開時間も閉園直前の午後4時45分まで延長され、1日当たりの観覧者数は、最大3,600名程度から9,500名程度に拡大された。上野動物園の初代監督は、進化論を日本に紹介したことで知られる動物学者、石川千代松であった。石川千代松は、海外から動物を輸入する際に力量を発揮し、各国と動物を交換して、上野動物園の飼育種目を増やした。