3月19日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1949年 - 東京の定期観光バス「はとバス」が運行開始。この日から、「東京半日Aコース」の運行が開始される。「東京半日Aコース」は、当初の運賃は250円で、その後、発着地や下車観光地の変化はあるものの、現在でも運行が継続されている。コースは、皇居前広場(下車)→浅草観音・仲見世→レインボーブリッジ(通過)→お台場(通過)→東京タワー(展望)→国会前(通過)。この定期観光バスの車両には、平和のシンボルとして鳩が描かれていたことから、役員会において「はとバス」の愛称を決定し、鳩マークの横に表示する。なお、1950年3月には、新たなシンボルマークが制定されている。「はとバス」を運行する株式会社はとバスは、1948年8月、新日本観光株式会社として設立され、1949年3月に東京都から遊覧バス事業を譲渡される。現在の社名に改称されたのは1963年で、その後数回に亘って東京都が出資し、現在、株式会社はとバスの資本金の37.9%を東京都が出資している。創業時の事業内容は団体貸切バスのみで、1949年1月1日に、成田山新勝寺初詣のバスを運行したものが最初である。その後、三浦半島・箱根方面へも営業エリアを拡大してゆくことになるが、代用燃料車両は、性能が悪い上に信頼性も低く、故障が頻発したという。初期の定期観光バスは、オフシーズンの集客に悩んだが、1952年に燃料統制が撤廃されると、都内のバス事業者が、次々と定期観光バスの免許を申請することになる。新日本観光株式会社は、複数事業者に免許が下りると過当競争を招き、サービスの低下を招くと考え、関係当局に反対陳情を繰返し、1962年4月までには競願各社とも申請を取下げ、都内の定期観光バスの運行は、新日本観光株式会社が独占することになる。1958年12月23日に東京タワーが完成すると、早速翌年3月から東京タワーが主要コースに組込まれ、この時に合わせてコースの再編を行なった結果、新日本観光株式会社の定期観光バス利用者数は大きく増加し、知名度も格段に向上することになる。この時期には、既に東京の定期観光バスとして「はとバス」という呼称が浸透していたことから、企業イメージの確定を図るべく、1963年9月1日に、会社名を株式会社はとバスに変更している。観光ニーズの多様化が進むと、ボウリングやゴルフ等、レジャーを題材にしたコースの新設も行なわれた他、大相撲やナイター観戦等をコースに組込む事例も多くなる。これは、都市部の整備は、新たな観光資源の発生でもあるという観点からのもので、新しいニーズを反映させる企画でもある。車両面においても、1963年には「スーパーデラックスバス」と称した、座席が後方程高くなる、シアター形式を採用した独創的な車両が登場している。さらに、1964年に開催された、日本、及びアジア地域で初めて開催されたオリンピックで、また、有色人種国家における史上初のオリンピックでもある東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)においては、オリンピックの競技施設を巡るコースのみならず、オリンピックの観戦もコースに組込んだ「オリンピックコース」の運行も行なわれている。この頃には、外国人向けのコースについても質的な強化が行なわれ、蛍狩りから産業施設の見学等が盛込まれたコースが多数設定される。しかし、この頃からモータリゼーション(自動車が社会と大衆に広く普及し、生活必需品化する現象)の進展に伴ない、乗用車を利用する観光客が次第に増加して、定期観光バスの業績を圧迫することになる。また、東海道新幹線の開業と引換えに、夜行列車の大幅な削減が行なわれたため、「夜行列車の待ち時間を観光に利用」という形態が失われたことから、夜のコースに大きな影響を与えることになる。その一方、首都高速道路や東名高速道路の開通は、所要時間の短縮という効果を生み出すことになったが、特に、首都高速道路については、車窓景観を売り物としたコースの設定にも活用されることになる。1973年のオイルショック(原油の供給逼迫、及び原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱)は、バス事業者全体にも深刻な影響を及ぼしたが、「はとバス」でもコース再編等を行ない、走行キロ数の削減に努めている。さらに、地方の若年労働者が地元へ就労するケースが目立つようになり、バスガイド不足が顕在化することになる。「はとバス」ではこれに対し、1972年秋からアルバイトガイドの採用で対応することになり、さらに1975年3月からは、アルバイトの定時採用に踏切り、1977年以降、正社員としてのバスガイド採用数が回復するまで続けられる。1983年4月15日、千葉県浦安市に、アメリカ国外では初となる「ディズニー・テーマパーク」、東京ディズニーランドがオープンし、「はとバス」では、画期的なレクリエーションスポットとして、東京ディズニーランドを組込んだコースを複数設定したところ、大変な人気コースとなり、定期観光バス事業を支える主要な柱の1つとなる。因みに、東京都が筆頭株主であることもあり、株式会社はとバスは、2003年度の杉並区を皮切りに、東京都営バスから路線バス運行業務を受託している。株式会社はとバスは、定期観光バスが乗合事業として既に営業しているため、受託のために都営バスから譲渡された一般路線はない。
1950年 - スウェーデンの首都ストックホルムで開催された世界平和擁護大会常任委員会第3回総会で、核兵器禁止を求めるストックホルム・アピールを採択。 
1951年 - 西アジア・中東に位置するイランで、国内のイギリス資本の石油会社を国有化する法律が成立する。 
1953年 - 国鉄(日本国有鉄道、現在の九州旅客鉄道[JR九州])日田彦山線釈迦ヶ岳トンネルの工事現場で落盤が発生。死者21名、重軽傷者4名。
1955年 - 鳩山一郎が第53代内閣総理大臣に任命され、第2次鳩山一郎内閣が成立する。1915年に衆議院議員に当選して以来、政党政治家として活動した鳩山一郎は、1954年から1956年までの内閣総理大臣在任中、保守合同を達成して、自由民主党(自民党)の初代総裁となり、日本とソビエト連邦の国交回復を実現する。また、この第2次鳩山一郎内閣から、与党第1党は自由民主党(自民党)が占めて政権を維持し、野党第1党は日本社会党(現在の社会民主党[社民党])が占めていた体制、55年体制が始まっている。
1960年 - 福岡県久留米市の国立療養所久留米病院(後に国立病院機構九州医療センターと統合される)で火災が発生し、患者11名が焼死する。 
1962年 - フランスの支配に対する、北アフリカ位置するアルジェリアの独立戦争、アルジェリア独立戦争が停戦となる。1962年7月5日、アルジェリアは独立を達成し、社会主義政策を採る。1960年代から1970年代までは、北アメリカ大陸南東部とメキシコ北東部に挟まれた湾、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域であるカリブ海の、大アンティル諸島の洋上に位置するキューバや、東南アジアのインドシナ半島東部に位置する北ベトナム(現在のベトナム社会主義共和国)と共に、第三世界諸国の中心的存在であったが、1979年以降は現実主義・全方位外交を基調としている。さらに、近年では、先進国との外交活動を積極的に推進している。 
1970年 - 西ドイツ(ドイツ連邦共和国)首相ヴィリー・ブラントと東ドイツ(ドイツ民主共和国)首相ヴィリー・シュトフが、ドイツ中央部にある東ドイツの都市エアフルトで、初の東西ドイツ首脳会談を行なう。