3月19日 できごと その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1972年 - 南アジアに位置するインドと、その東に隣接するバングラデシュが友好条約に調印。 
1973年 - 欧州共同体(EC、後に欧州連合[EU]へ統合)6ヶ国の変動相場制(為替レートを外国為替市場における、外貨の需要と供給の関係に任せて自由に決める制度)への移行が決定。1973年2月に、日本が変動相場制に移行することを決めており、1971年12月18日からのスミソニアン体制(通貨の多角的調整に関する取決めで、1971年8月にアメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンが、ドルと金の交換停止を一方的に宣言して、各国が変動相場制に移行した後、アメリカのスミソニアン博物館で開催された会議でスミソニアン協定が締結され、各国がアメリカ合衆国ドルに対して自国通貨を増価することで合意し、固定相場制への復帰を目指した後の状態)が完全に崩壊する。
1973年 - 日本SF界を代表するSF作家、小松左京の書下ろし(新聞や雑誌等への掲載を経ず、直接本として出版されること)長編SF小説『日本沈没』が発売される。『日本沈没』は、1964年から執筆が開始され、約9年掛かりで完成された長編SF小説である。当初、複数巻となる予定であった長編小説は、出版社の要請で短縮され、上下巻となる。新聞への大型広告掲載による大宣伝を特徴とし、第二次世界大戦後のエンタテイメント小説史を代表する傑作を多く生み出した新書(ノベルズ)レーベル、光文社カッパ・ノベルスより、上下2巻が同時刊行される。当初は上下2巻3万部ずつであったが、版数を重ねる毎に出版数が増え、上巻約204万部、下巻約181万部の計約385万部まで部数を伸ばし、「空前の大ベストセラー」とも評される。ベストセラーになったことにより、小松左京の知名度を上げると共に、日本におけるSFの浸透に一役買うことになる。ベストセラーになった背景には、1960年代の高度経済成長(飛躍的に経済規模が継続して拡大することで、好景気時の実質経済成長率が約10%以上となった)が終焉を迎え、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)に代表される、薔薇色の未来ブームへのアンチテーゼ(直接的に対照をなすもので、正反対ともいう)として登場したことの衝撃に加えて、1973年の狂乱物価とも言われたインフレーション(物価が、ある期間において持続的に上昇する経済現象)、オイルショック(原油の供給逼迫、及び原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱)等の社会不安があったとされる。元々は、「日本人が国を失い放浪の民族になったらどうなるのか」をテーマに据えており、日本列島沈没はあくまでもその舞台設定で、地球物理学への関心はその後から涌いたもの、という。しかし、そのために駆使されたのが、当時やっと広く認知され始めていたプレート・テクトニクス(地球の表面が、何枚かの固い岩盤[「プレート」と呼ぶ]で構成されており、このプレートが、海溝に沈み込むことが重みが移動する主な力になり、対流するマントルに乗って互いに動いていると説明される学説)であり、この作品はその分野を広く紹介する役割をも果たす。この分野に関する作品中の解説やアイデアは、修士(下位の学士[主に大学の学部を卒業した者に授与される学位]と上位の博士[大学が、大学院の課程を修了した者に授与する、学位の最高位]の中間に位置する学位で、学士、又はそれと同等の学力を認められた者が、高等教育機関において修士課程を修了することにより授与されるもの)論文に相当するとの声もあった程である。難民となって世界中に散っていった日本人を描く第2部の構想(仮題は『日本漂流』)もあり、下巻の最後に「第一部・完」と記されている。下巻発刊後、長い間執筆されることはなかったが、2006年のリメイク版映画の公開に合わせて、ハードSFや、山岳冒険小説等を多数執筆している作家、谷甲州との共著という形で、『日本沈没 第二部』が出版されている。日本列島の土台は、複数のプレートの運動によって形成された付加体である。これは、大陸側のプレートと太平洋側のプレートの衝突によって、海洋プレートの上の堆積物が押上げられる形で隆起したものである。このプレートの動きが変わらない限り、日本列島が沈没することはなく、むしろ沈下ではなく隆起している。実際に、プレートの動きが変わっても、完全に沈没するまで100万年以上は掛かると計算されており、差迫って、沈没時のための準備や心配、対策等をする必要はない、とされている。
1974年 - 甲山事件。兵庫県西宮市にある知的障害者施設「甲山学園」の浄化槽から、幼児2名の遺体が発見される。 
1977年 - 銅山である尾小屋鉱山の鉱山鉄道として建設され、石川県小松市の新小松駅から石川県小松市の尾小屋駅までを結んでいた軽便鉄道、尾小屋鉄道(路線距離16.8km)が、この日限りで廃止。遊覧用に作られ、後に案内軌条式鉄道(新交通システム)として改修された西武鉄道山口線を除くと、旅客営業を行なう非電化の軽便鉄道としては、日本国内で最後まで残った路線であり、廃止の際には注目を集める。 
1982年 - 南アメリカ南部に位置するアルゼンチンの海軍艦艇が、南大西洋上にあるイギリスの海外領土、サウスジョージア島に寄航し、イギリスに無断で民間人を上陸させる。これがきっかけとなり、イギリスと、アルゼンチンとの間の約3ヶ月に及んだ紛争、フォークランド紛争が始まる。 
1987年 - 北海道紋別郡上湧別町(現:北海道紋別郡湧別町)の中湧別駅で名寄本線から分岐し、サロマ湖、オホーツク海、能取湖等の沿岸を巡って北海道網走市の網走駅に至っていた国鉄(日本国有鉄道、現在の北海道旅客鉄道[JR北海道])湧網線(路線距離89.8km)が、この日限りで廃止。数あるローカル線の中でも、車窓から見られる風景が美しい路線として知られた湧網線は、1960年代より沿線の過疎化やモータリゼーション(自動車が社会と大衆に広く普及し、生活必需品化する現象)の進行で利用者が減り、バス路線に転換される。 
1989年 - 篠崎駅 - 本八幡駅間 (路線距離2.8km) が開業し、東京都新宿区の新宿駅から千葉県市川市の本八幡駅までを結ぶ、都営地下鉄新宿線が全線開通。なお、本八幡駅は仮設駅での開業で、本設駅は1991年9月1日の開業となる。 
1991年 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)と京成電鉄等が出資する第三セクター方式の鉄道会社、成田空港高速鉄道の成田駅(東日本旅客鉄道[JR東日本]成田線の駅)- 成田空港駅間と、京成電鉄京成本線の京成成田駅 - 成田空港駅間が開業。 
1997年 - 東電OL殺人事件。東京都渋谷区円山町にあるアパートで、東京電力の幹部社員の女性が殺害される。 
2002年 - アメリカのアフガニスタン侵攻: パキスタンとアフガニスタンで活動するイスラム主義運動であるターリバーンや、イスラム主義を標榜するスンナ派ムスリム(イスラム教の教徒)を主体とした国際的なネットワーク・運動であるアルカーイダを多数殺害し、アフガニスタン東部山岳地帯に陣取るアルカーイダ部隊に対する大規模攻勢、アナコンダ作戦が終了する。 
2003年 - アメリカ・イギリスによる「イラクの自由作戦」が開始され、アメリカ軍を主体とした有志連合(平和維持活動や軍事介入をな行う、地域概念に捉われない、意思と能力に基づく連携関係)による、中東・西アジアに位置するイラクの首都バグダードへの空爆で始まった戦争、イラク戦争が開戦する。 
2003年 - 営団地下鉄(現:東京地下鉄[東京メトロ])半蔵門線水天宮前駅 - 押上駅間(路線距離6.0km) が開通。1978年に開始されていた東京急行電鉄(東急)田園都市線に加え、東武鉄道伊勢崎線との相互直通運転が開始される。 
2004年 - 2004年中華民国総統選挙: 現職の陳水扁候補が、台湾西南部に位置する台南を遊説中に狙撃され負傷する。 
2005年 - 小田急電鉄のフラッグシップモデルとして位置付けられる、小田急電鉄50000形電車(ロマンスカーVSE)が営業運転を開始。 
2008年 - 土浦連続殺傷事件の最初の事件。茨城県土浦市の民家で、男性が背後から刃物で刺殺される。その後の3月23日、犯人の男は、茨城県土浦市にある東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の荒川沖駅で、無差別に8名を襲撃して1名を殺害し、7名に重傷を負わせる 
2011年 - 北関東自動車道太田桐生IC(群馬県太田市) - 佐野田沼IC(栃木県佐野市)間の約18.6kmが開通。これにより、群馬県高崎市の高崎ジャンクション(JCT)から栃木県の東北自動車道を経由し、茨城県ひたちなか市のひたちなかインターチェンジ(IC)(国道6号バイパス道路である東水戸道路との共用)へ至る、北関東自動車道自動車道が全線開通する。  
2017年 - 上武道路(国道17号バイパス)が全線開通。
2018年 - 東アフリカに位置するケニアで飼育されていた、奇蹄目サイ科シロサイ属シロサイの亜種、キタシロサイ最後のオス、スーダンが死去し、キタシロサイの絶滅が事実上確定する。