3月19日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

0681年 - 第40代天皇、天武天皇が、飛鳥浄御原令の制定を指令する。飛鳥浄御原令は、飛鳥時代後期に制定された体系的な法典である。令22巻。律令(律は刑法であり、令は、それ以外の、主に行政法や訴訟法、民事法等となる)に相当するの内、令のみが制定・施行されたものである。日本史上では、最初の体系的な律令法と考えられているが、現存しておらず、詳細は不明な部分が多い。 
1279年 - 崖山の戦い。元(中国とモンゴル高原を中心とした領域を支配した王朝)の軍が長い消耗戦に疲れ切った中国の王朝、南宋の海軍を破り、南宋が滅亡する。 
1853年 - 太平天国の乱: 太平天国軍が江寧(現在の中国東部にある南京)を陥落させ、「天京」と改称して首都とする。中国清朝打倒を唱えた革命政権、太平天国の王朝が樹立される。太平天国は、反中国清朝の民族主義の運動であると共に、平等社会の実現等を目指し、満洲(現在の中国東北部や、沿海州[ロシアの極東地域]等)に発祥した民族である満州族の支配、外国貿易の開始による物価騰貴等に苦しむ農民や貧民の心を捉え、大勢力に成長する。 
1865年 - 南北戦争: ベントンビルの戦いが始まる。 
1882年 - スペイン北東部、バルセロナにあるカトリック教会の教会堂『サグラダ・ファミリア』の建設が開始される。『サグラダ・ファミリア』は、民間カトリック団体「サン・ホセ教会」が贖罪教会(信者の喜捨により建設する教会)として計画し、初代建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引受ける。意見の対立から、フランシスコ・ビリャールが辞任した後、当時は無名であったアントニ・ガウディが、2代目建築家に就任している。
1885年 - カナダ中西部にあるサスカチュワン州で、カナダの先住民族の1つであるメティのリーダー、ルイ・リエルが、再びカナダ連邦政府に対する反乱を開始する。1869年から1870年にかけて、レッドリヴァーの反乱と呼ばれる反乱を起こし、アメリカ合衆国への逃亡を余儀なくされたルイ・リエルは、1884年にはカナダに戻り、メティの不満を代弁する立場となる。この抵抗活動は、次第に1885年のノースウェストの反乱として知られる、軍事的闘争にまで発展するが、この闘争も、ルイ・リエルの逮捕、裁判、そして反逆罪による死刑判決によって終焉をみる。 
1896年 - 国民楽派(19世紀中頃から20世紀にかけて、自国の民謡や民族音楽の音楽語法、形式を重視した、民族主義的な音楽を作った作曲家)の代表的存在とされるチェコの作曲家、アントニン・ドヴォルザークの『チェロ協奏曲』が、イギリスの首都ロンドンで初演。『チェロ協奏曲』は、アントニン・ドヴォルザークの代表作の1つであり、西洋音楽で使われるヴァイオリン属の弦楽器の一種、チェロを独奏楽器に用いた協奏曲であるチェロ協奏曲のみならず、協奏曲(コンチェルト)というジャンルにおける最高傑作の1つで、チェロ奏者にとって最も重要なレパートリーとなっている。
1915年 - 2006年までは太陽系第九惑星とされていた準惑星(太陽の周囲を公転する惑星以外の天体の内、それ自身の重力によって球形になれるだけの質量を有するもの)、冥王星が初めて写真に捉えられる。 
1920年 - アメリカ合衆国上院が、ヴェルサイユ条約(第一次世界大戦における連合国とドイツの間で締結された講和条約)の批准を否決する。 
1931年 - アメリカ合衆国西部にあるネバダ州が、ギャンブル(賭博のことで、金銭や品物を賭けて勝負を争う遊戯)を合法化する。長年に亘り、経済を鉱業に頼っていたネバダ州では、ギャンブルが規制されず通常に行なわれていたが、1909年に全国的なギャンブル反対運動の一部として、ネバダ州でも違法となる。その後の鉱業の衰退と、1929年の世界恐慌(ある国の恐慌が次々と他国へと波及し、世界的規模で広がる事象)の時には農業も衰退したことで、ネバダ州は州議会の承認により、再びギャンブルを合法化する。当時、ギャンブルに反対する指導者達は、ネバダ州経済が多様化し、景気の影響を受けにくいものになるまでの一時的な処置と考えていたが、ギャンブル産業がネバダ州の主要な収入源になるに及んで、ギャンブルをもう一度違法化するという議論が、真剣に行なわれたことはない。
1932年 - オーストラリア南東部にあるシドニーのハーバーブリッジが開通。ハーバーブリッジは、深く入組んだポート・ジャクソン湾(シドニー湾)の南岸にあるシドニーの町と、北岸にある近郊の町を道路と路面電車で繋ぐため、1923年に着工されたシングルアーチ橋(アーチを一度しか描かない構造の橋)である。橋の両端に高さ100m近い石造りの支柱(パイロン)が聳え立ち、ここを支えに鉄のアーチが掛かり、橋桁を吊下げている。全長は約1,500m、パイロン間の長さは約500m。アーチの最上部の高さは134mで、建設当時にはシドニーで最も高い建物となる。20世紀を代表する近代建築物であり、世界的に有名な歌劇場・コンサートホール・劇場でもあるシドニー・オペラハウスと並ぶ、シドニーのシンボルである。 
1945年 - 第二次世界大戦: ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)指導者兼首相(総統)アドルフ・ヒトラーの承認の元、国防軍最高司令部(最高司令官であるアドルフ・ヒトラー自らが、国防軍を直接指揮するために創設された組織)によって、ドイツ国内のインフラストラクチャー(基盤施設)、資源、産業施設等について、敵が入手する前の破壊を指令する。この「ライヒ領域における破壊作戦に関する命令」は、自国内における「焦土作戦」(戦争等において、防御側が、攻撃側に奪われる地域の利用価値のある建物や施設、食料を焼払い、その地の生活に不可欠なインフラストラクチャーの利用価値をなくして、攻撃側に利便性を残さない、つまり、自国領土に侵攻する敵軍に食料や燃料の補給、休養等の現地調達を不可能とする戦術、及び戦略の一種)を命令する物であったため、後世の歴史家等によって、かつてローマを自ら焼いたという伝説がある、ローマ帝国第5代皇帝ネロ(ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス)に准えて、「ネロ指令」と呼ばれる。アドルフ・ヒトラーが最も寵愛した建築家として知られ、ヒトラー政権の下で軍需大臣を務めていたアルベルト・シュペーアは、既に戦後を考えており、産業破壊が戦後復興や国民生活の差障りになる、との思いから、アドルフ・ヒトラーと面会して、その中止を訴え出る。アドルフ・ヒトラーは命令を撤回しなかったが、アルベルト・シュペーアは、アドルフ・ヒトラーには内密のまま、命令をサボタージュし、一定程度の産業保護に成功している。 
1945年 - 第二次世界大戦・九州沖航空戦: 日本近海で作戦行動中であったアメリカ海軍のエセックス級航空母艦(空母)『フランクリン』が、日本海軍の双発陸上爆撃機「銀河」(単発複座の高速艦上爆撃機「彗星」とする資料もある)1機の緩降下爆撃を受け、2発の徹甲爆弾(装甲を貫くために設計された爆弾)が格納庫で炸裂する。弾薬・火薬の引火を誘発したため、『フランクリン』は浸水して、右舷に大きく傾斜し、消火活動の放水により艦尾も沈下する。無線通信が不能となり、火災によって高熱が発生し、艦首を除く上部構造物は全損に近い損害を受ける。士官と兵員合わせて約2,600名の乗員の内、724名の死者と265名の負傷者を出したが、機関室には浸水や火災はなく、ボルチモア級重巡洋艦『ピッツバーグ』に牽引され、アメリカ海軍を中心とした連合国軍の重要な基地となっていた、西太平洋の中北部に位置するウルシー泊地に帰着する。このエピソードは、アカデミー主演男優賞(アメリカ映画の健全な発展を目的に、キャスト、スタッフを表彰し、その労と成果を讃えるための映画賞、アカデミー賞の部門の1つ)を2度獲得したイングランド系アメリカ人の俳優、ゲイリー・クーパーが主演した1949年の長編アメリカ映画『機動部隊』でも描かれている。 
1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 名古屋大空襲。アメリカ軍の戦略爆撃機ボーイングB-29スーパーフォートレス約230機による、愛知県名古屋市の市街地に対する大規模空襲が行なわれ、死者826名、負傷者2,728名を出した他、名古屋駅の駅舎が炎上する等、家屋39,893棟が被災する。