3月19日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ミュージックの日。
東京都新宿区西新宿に本部を置く、職業音楽家と音楽関連の労働者による個人加盟制の労働組合、日本音楽家ユニオン(MUJ)が1991(平成3)年に制定した日。3月19日を「ミュー(3)ジック(19)」と読ませる語呂合せから。日本の音楽文化と音楽家の現状について広く理解を求め、その改善のための、国民全体のなお一層の支持を得ようと、全国各地でコンサート等、様々な活動を行なっている。東京都港区虎ノ門に所在する、日本国内のレコード会社により構成されている業界団体、一般社団法人日本レコード協会によると、音楽CD(コンパクトディスク、直径8cmと12cm)の生産枚数の推移は、1984(昭和59)年以降、増加傾向にあったが、1998(平成10)年の約4億5千7百万枚をピークとして減少傾向に転じ、2016(平成28)年には約1億5千9百万枚となり、ピーク時の半分以下に減少している。一方、有料音楽配信でダウンロードされた曲の件数の推移をみると、2005(平成17)年以降は増加していたが、2009(平成21)年から減少に転じ、2016(平成28)年では約1億5千9百万件となっている。音楽CDの不況の原因については、インターネットや携帯電話等の普及によって、人々の消費様式が多様化し、それにより、人々が音楽のために使う消費の割合が下がったと考えられる。特に、若者は音楽CDの購入よりも、携帯電話の通話料金に消費を回すようになった。他にも、音楽配信によるデジタル・ダウンロードへの移行、インターネット上での音楽ファイルの違法アップロードの蔓延、音楽CDに代わる次世代オーディオ規格の失敗等が挙げられる。2021(令和3)年時点では、スマートフォンが一般的に使用され、CD等、商品毎に購入金額を支払うのではなく、一定期間の利用権として定期的に料金を支払うサブスクリプション方式(サブスク)や、動画共有サービス「YouTube(ユーチューブ)」を利用した音楽コンテンツの配信等が増加している。音楽CDを再生する装置がCDプレーヤーで、世界初の商業的に販売されたCDプレーヤーは、1982(昭和57)年10月1日発売の「SONY CDP-101」で、カタログ表示価格(標準価格)は168,000円であった。このプレーヤーは、当初は日本国内でのみ販売された。CDとCDプレーヤーは、世界のクラシック音楽愛好家、特に、高音質を追求する世界のオーディオ愛好家達から大歓迎された。高音質が賞賛されたことに加え、扱い易さ(レコードに比べたコンパクトさ、ボタンで曲を一気にジャンプできる便利さ等々)も評価が高かった。ミュージック(音楽)の定義には、「音による芸術」といったものから「音による時間の表現」といったものまで、様々なものがある。西洋音楽では、リズム(律動)、メロディー(旋律)、ハーモニー(和声)を持つものが音楽とされる。そして、このような特性を持つ音を様々な方法で発したり、聴いたり、想像したり、楽しむ行為のことをも指す。広くは、人間が楽しめたり、意味を感じたりすることのできる音全体のことを指す場合もある。音楽行為に関しては、現代では一般的に、「作曲」「演奏」「鑑賞」が基本として考えられている。作曲とは、作曲者の心に感じたことを、音によって表現することである。演奏とは、再現芸術とも呼ばれ、作曲された音楽を実際に音として表現する行為であり、原曲を変えて演奏したり(編曲)、声楽曲を器楽曲に変える等(編曲)する行為も演奏行為とされる。鑑賞とは、音楽を聴いてそれを味わったり、価値を見極めたりすることである。音楽には様式があり、それを「ジャンル」と呼んでいる。「民族音楽」「クラシック音楽」「ジャズ」「ロック」等といった名称で呼ばれているのがそれである。日本においては、平安時代になると、音楽(雅楽)の専門として芝、東儀、豊の三家が制定され、世襲により現在まで続いている。また、鎌倉時代には、視覚障害者保護のため「検校」(盲官[盲人の役職]の最高位の名称)の官位が生まれ、後に当道座(男性盲人の自治的互助組織)が整備されて、それに属する盲人は専門家として平曲(平家琵琶)、江戸時代には、それに加えて三曲(地歌三味線、箏曲、胡弓[弓、又は棒で、弦をこすることによって音を出す楽器])の占有が認められた。これが盲人音楽家の地位を保証し、近世邦楽の発展を支えることになる。その他、室町時代から能楽(地謡の合唱と囃子方の伴奏で舞う歌舞劇である能と、対話と所作による劇である狂言とを包含する総称)は武家の式楽(儀式用に用いられる芸能)として、能楽師達は身分を保障されていた。江戸時代には、三味線を伴奏とする語り物音楽の一種である浄瑠璃等、専門家の権威付けとして、芸道を管轄する役所「嵯峨御所」に届け出、認可されると家元として一派を構えることができた。また、演奏家の優劣を評する「番付」がしばしば発行された。一派を立てるには、自ら作曲して独自性を示すことが求められるが、日本の音楽においても、演奏家は作曲家を兼ねていた。優れた音楽を作り、演奏するために、理論的裏付けを持つ高度な訓練や専門教育は必須ではない。民衆は、厳格な伝統的価値観や枠組みに捉われない、新しい響きや歌詞を支持する。そうした需要に対し、企業が操業を開始し、レコード録音・販売・放送を行なうようになった。従って、音楽が商業的に地理的な隔絶を乗越えて、全世界に普及することとなった。いわゆる「先進国」の音楽・音楽家は、その国に追随する国々で広く受容されることが多い。日本音楽家ユニオン(MUJ)は、東京都を中心に年間約160回の公演を行なっているプロオーケストラ、日本フィルハーモニー交響楽団の解散騒動に端を発する「日フィル争議」を契機に、音楽家の権利に対して意識が向上し、1983(昭和58)年10月に、日本演奏家協会と日本音楽家労働組合が統合して発足した。アメリカ、イギリス、ハンガリー、オーストラリアの各国音楽家ユニオンと友好関係にあり、国際音楽家連盟(FIM)に日本から唯一加盟する他、国際芸術マスコミ放送映画芸能労連(ISETU/FISTAV)にも加盟している。会員総数は約5,500名となっており、オーケストラの楽団員はもちろん、裏方のスタッフ、指揮者、ソリスト(独奏者、独演者、独唱者)等、クラシック系の音楽家と関係労働者を始め、ジャズ、ポピュラー分野のミュージシャンの他、自宅教室の指導者まで幅広く擁している。日本放送協会(NHK)、民放、日本レコード協会(日本国内のレコード会社により構成されている一般社団法人)等との間で、出演料や商業用レコードの二次使用料の交渉、オーケストラに所属する音楽家の労働条件の交渉等も行なっている。また、文化芸術振興、著作権保護関連の法整備、国や自治体の環境整備についても取組んでいる。なお、「日フィル争議」とは、1972(昭和47)年に日本フィルハーモニー交響楽団が解散されたことに端を発し、楽団員の約3分の2がオーケストラと労働組合に留まり、自主的な演奏活動で運営資金を確保しつつ、解雇不当により東京地方裁判所へ提訴して解決を求めた争議である。演奏活動が全国的に展開されて、音楽家や音楽愛好家・聴衆らの広範な支援を受けながら争議は続き、1984(昭和59)年には和解が成立した。この争議は、音楽家の権利意識の向上に繋がったとされる。因みに、「日フィル争議」の際、日本フィルハーモニー交響楽団を退団した楽員と、世界的な指揮者の小澤征爾や、口ひげと黒縁メガネがトレードマークとして知られ、その自由奔放なキャラクターから、タレントとしての一面も備えていた指揮者・作曲家の山本直純らは、新たに自主運営のオーケストラ、新日本フィルハーモニー交響楽団を設立している。