3月18日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

博物館明治村開村記念日(続き)。
博物館明治村に所在する建造物の重要文化財としては、旧西郷従道住宅、旧日本聖公会京都聖約翰教会堂、旧品川燈台、旧菅島燈台付属官舎2棟(主屋、倉庫)、旧札幌電話交換局舎、旧呉服座、旧三重県庁舎、旧山梨県東山梨郡役所、旧伊勢郵便局舎(宇治山田郵便局舎)、旧東松家住宅、旧西園寺家興津別邸(坐漁荘)3棟があり、他にも、国の登録有形文化財や愛知県指定有形文化財に登録されている建物がある。博物館明治村は、愛知県犬山市の入鹿、飛騨木曽川国定公園内にある人工の農業用ため池、入鹿池の池畔に所在する。入鹿池は、香川県南西部の仲多度郡まんのう町にある満濃池と、全国でも一二を争う規模であり、農業用の人工ため池としては稀有な大きさとなっている。愛知県犬山市や、その南に位置する愛知県小牧市、西に位置する愛知県丹羽郡の町へ灌漑用水が伸びている。池の周囲を、北は今井山、南西は本宮山、尾張富士、白山の尾張三山(愛知県北部[尾張地方北部]に位置する3つの山)が囲み、ボート、ワカサギ釣りも楽しめる観光地でもある。池の周囲には、尾張パークウェイ、県道16号、県道49号等が通る。1628(寛永5)年、後に「入鹿六人衆」と称される6名の男達が、付家老であった犬山成瀬家を経由して、、尾張国/美濃国/三河国尾張藩に入鹿池の開発届を出し、認可された。当地には、尾張国丹羽郡入鹿村があったが、住民を移住させ、1632(寛永9)年から着工し、翌1633(寛永10)年に完成させた。堤高は約26.9m、堤長は約120m、周囲は約16km、満水面積は152.1haで、完成より約235年、それまで一度も大きな災害を起こさなかった入鹿池も、1868(明治元)年4月終わり頃からの大雨には耐えられず、5月13日の七ツ(午前2時頃)に百間堤が決壊し、入鹿池一杯に貯まった水は下流に溢れ、多大な被害を出した。これを、明治元年の「入鹿切れ(いるかぎれ)」と呼ぶ。被害については幾つかの記録があるが、当時の資料の1つ、「入鹿切ニ付溺死人ノ調」によれば、死者774名とされる。また、当時の他の資料、「入鹿池堤防決潰」によれば、浸水は尾張国丹羽郡、中島郡、春日井郡、海部郡の4郡に及んだとされ、、記された被害は、死者941名、負傷者1,471名、被害に遭った町村は133町村、建物への被害として、流失家屋807戸、浸水家屋11,709戸、等となっている。下流でも死者こそ出なかったものの、被害はあった。流れてきた水の量は少なかったが、田に泥が被り、稲が駄目になってしまったという。また、後にこの洪水が原因となり、入鹿池を干拓して、この地域の主水源を木曾川に求める計画が持上がったが、結局、この計画は取止めとなった。入鹿池は、この様な大災害を起こしたが、防災の面での貢献も大きく、特に、8月から9月にかけての暴風雨による出水の貯水は、洪水防止に大きく役立っている。入鹿池に流れ込む川の上流は、山が荒れている所が多く、その保水力が望めない。その突発な出水を、底水の入鹿池に貯め込めることから、洪水が防がれている。よって、入鹿池を干拓することは利が少なく、逆に、池の治水能力を増大させた方が、防災の効果は高い、と理解されている。1977(昭和52)年、永年の懸案であった入鹿池の防災ダム事業計画が始まり、1991(平成3)年、工事は完了した。愛知県犬山市南部に位置する標高275mの山、尾張富士は、郷土富士(日本各地にある「富士」と呼称される山)で、山頂には、子どもの守護の神とされる大宮浅間神社奥宮があり、四等三角点が設置されている。三角点は、地球上の位置(緯度、経度、標高)が正確に求められており、あらゆる測量の基準として、地図作成、地籍調査、道路建設・ダム建設等の各種公共事業等で使用されている。その数は、全国に約109,000点で、一等、二等、三等、四等三角点と4種類に分類される。一等から三等までの三角点は、その殆どが明治時代に設置され、100年以上に亘り、地図作成・測量の基準として利用されてきた。また、四等三角点は、現在でも市町村等が、国土調査(地籍調査)を実施するために必要な基準点として設置している。尾張富士東側の山麓には、博物館明治村や入鹿池があり、山の南側を五条川が流れる。尾張富士と共に、尾張三山の1つとされる標高293mの本宮山には、一等三角点が設置されている。尾張富士が本宮山と山の高さを競い合った、という話に由来して 「石上げ祭」が、毎年8月の第1日曜日に開催されている。
点字ブロックの日。 
点字ブロックが、世界で初めて岡山県立岡山盲学校(現在の岡山市中区原尾島に所在)に近い交差点に敷設されたのは、1967(昭和42)年3月18日のこと。これをきっかけに、点字ブロックは各地に徐々に広まった。その日を記念し、点字ブロックの安全性の確保と発展を目指して、岡山市中区原尾島に所在する、「自助自立と相互扶助」の理念を基本として設立された社会福祉法人、岡山県視覚障害者協会が2010(平成22)年に制定。原尾島交差点は、国道250号(当時は国道2号)にあり、岡山県立岡山盲学校の生徒が、登下校の際に利用していた。その交差点の緑地帯の一角には、「点字ブロック発祥の地」の石碑が建てられている。その他、「当時の点字ブロック」のサンプルや、「点字ブロック完成の歴史」を記した副碑、近くの歩道上には、「点字ブロック世界初敷設場所」と記した石版も設置されている。視覚障害者誘導用ブロックは、盲人等の視覚障害者を安全に誘導するために地面や床面に敷設されているブロック(プレート)で、点字ブロックの名でも知られる。但し、通常の意味での点字は使われていない。現在では、歩道・鉄道駅・公共施設等の他、通常の商店の出入り口付近、横断歩道の手前だけでなく、車道の横断歩道部分にも設置が進んでいる(「エスコートゾーン」)。なお、諸外国の公共施設等でも敷設されているが、日本程は多くない。点字ブロックには、平行した線が突起になっていて、移動の方向を示す「誘導ブロック(線状ブロック)」と、格子状の点が突起となっていて、注意喚起・警告を促す「警告ブロック(点状ブロック)」の2種類がある。進路が交差したり、曲がったり、行き止まったりする箇所に、点状ブロックが敷き詰められる。色は、多くは黄色である。景観への配慮から、以前は灰色等も多かったが、弱視者がブロックの位置を見付け易いようにするため、黄色への敷き替えが進んでいる。但し、車道の横断歩道部分に使われる場合は、車道を走る車両に配慮して(落下物等と混同しないよう)、横断歩道の標示に溶け込ませてある。駅のプラットホームの線は、かつては白線が引かれているのみであったが、現在では、白線に近接したホーム内側に黄色の点ブロックが埋め込まれている。点ブロックのみでは、方向を見失った場合にホームの内側と外側を区別できないため、内側に退避するつもりで移動しても、線路内に転落してしまう、という危険性があるとして、点ブロックの内側に、さらに安全側を示す1本線のブロック(ホーム内方線)が追加されたものが増えてきている。但し、「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(バリアフリー新法、平成18年6月21日法律第91号)」施行後に開業した新規路線等、プラットホーム建設時からホームドアが設置されている駅では、ホームドアによって安全性が確保されているため、ホームの線を示す目的での点字ブロック設置は省略され、乗降口を示す点ブロックが、ホームドア開口部に設置されている。ブロックの突起が段差となって、高齢者等、足腰の弱い人がつまづき易くなり、さらには、車椅子の障害になることや、ブロック自体が雨天時や氷結時に歩行者が滑り易い、等の問題点も指摘されており、改善等が望まれている。 
春の睡眠の日。
「睡眠の日」は、睡眠健康推進機構が一般社団法人日本睡眠学会(事務局を東京都千代田区三番町に置いている)と協力して、2011(平成23)年に制定された。世界睡眠医学協会(World Association of Sleep Medicine)が定めた3月の「世界睡眠の日(World Sleep Day)」(3月15日)に合わせて、日本独自の睡眠の日として、3月18日を「春の睡眠の日」に、「ぐっ(9)すり(three = 3)」と読む語呂合わせから、9月3日を「秋の睡眠の日」としている。睡眠に関する正しい知識の普及・啓発が目的。また、春と秋の睡眠の日を中心として、3月11日から3月25日までを「春の睡眠健康週間」、8月27日から9月10日までを「秋の睡眠健康週間」として、様々な睡眠健康への意識を高めるため、講演会等のイベントが開催される。睡眠健康推進機構は、公益財団法人精神・神経科学振興財団が設立20周年に当たり、2011(平成23)年4月に、一般社団法人日本睡眠学会と共同で設立した組織で、「良質の睡眠は子どもの心身の成長に重要であり、生活習慣病を予防し、高齢者の生活の質を高める」としている。なお、公益財団法人精神・神経科学振興財団は、2018(平成30)年4月より、公益財団法人神経研究所精神神経科学センター(現在は、事務局を東京都文京区大塚に置いている)と名称を変更しており、東京都新宿区弁天町に事務局を置く、公益財団法人神経研究所の一事業所として、従来通りの事業を行なっている。