3月17日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

漫画週刊誌の日(続き)。
ライバルであった両誌の価格は『週刊少年サンデー』が30円、『週刊少年マガジン』が40円で、『週刊少年サンデー』創刊当時の編集長であった豊田亀市が「もしサンデーがマガジンと同じ値段だったとしたら、マガジンの付録の分お得感で負けてしまう」と判断したことから、両誌の契約している印刷所が、共に世界最大規模の総合印刷会社、大日本印刷株式会社であったこともあり、「マガジンが刷り始めるのを確認してからサンデーの値段を入れて刷る」という、機密漏洩的後出しジャンケンのような裏技を使っている。創刊号の売上げは『週刊少年サンデー』が約30万部で、『週刊少年マガジン』が約20.5万部と、『週刊少年サンデー』側に軍配が上がり、『週刊少年マガジン』も、第5号から30円に値下げした。これ以降も、お互いが張合って雑誌の総ページ数を増やしていった。1960年代半ばから『週刊少年マガジン』が、劇画路線・スポ根路線を開拓して、創刊当初の主要読者層(第二次世界大戦後のベビーブーム世代)を離さなかったのに対して、『週刊少年サンデー』は、少年向けの漫画に拘った。1970年代になると、『週刊少年マガジン』との争いの敗北を受けて、追随する形で青年向け雑誌(『週刊少年マガジン』とは異なり、スタイリッシュな路線を目指した)への方向転換を図る。1980年代に入ると、劇画村塾(正式名称は「小池一夫劇画村塾」で、漫画家や漫画原作者・映画原作者の養成塾)出身の高橋留美子の「うる星やつら」と、小学館の少年漫画雑誌『少年ビッグコミック』で「みゆき」をヒットさせていた、あだち充の「タッチ」、同じく、「エリア88」をヒットさせていた新谷かおるの「ふたり鷹」のヒットで、ラブコメブーム(学園もの、青春もの)を巻起し、この3作品のアニメ化により部数を大きく伸ばして、1983(昭和58)年には、最高発行部数の約228万部を記録した。1985(昭和60)年中盤に「ふたり鷹」が、1986(昭和61)年末に「タッチ」が、1987(昭和62)年初頭に「うる星やつら」が終了したのを皮切りに、それまでの『週刊少年サンデー』を支えていた作品の多くが完結し、1980年代前半の勢いが止まる。その後、高橋留美子の「らんま1/2」や、ゆうきまさみの「機動警察パトレイバー」等がヒットするものの、続くヒット作がなかなか出ずに部数が大きく落込み、1987(昭和62)年頃には『週刊少年マガジン』に発行部数を追抜かれた。『週刊少年サンデー』は、1988(昭和63)年から1991(平成3)年にかけて連載数を増加させ、他社からのギャグ漫画家等の引抜きや、石ノ森章太郎、楳図かずおら、大御所の再登用、漫画家インタビューコラム「オレのまんが道」の連載、既存の枠に捉われない増刊『サンデーspecial』の発行、プロ・アマチュアを問わずに、連載用の第1話を公募して誌面に掲載、読者の人気が高かったものを連載化する「コミックグランプリ」の実施、『たま』や『X JAPAN』といった、ロックバンドのカラーグラビア掲載等の実験的な試みを数多く行なった。1988(昭和63)年から1991(平成3)年にかけての大混乱の中、若手漫画家の手により、それまでの『週刊少年サンデー』の色に無かった、新しい漫画が増える。さらに、「H2」(あだち充)や「名探偵コナン」(青山剛昌)、「MAJOR」(満田拓)、「烈火の炎」(安西信行)、「犬夜叉」(高橋留美子)等、中堅やベテランによる長期連載も増えて、伸び悩んでいた部数も、1994(平成6)年頃から2000(平成12)年頃まで上昇を続けた。『週刊少年サンデー』は、雑誌的には一種の安定期に入ったが、その一方で、1990年代半ばから後半にかけて、若手漫画家が台頭せず、暗い影を落とした。2000年代前後からは、長期連載や人気作が次々と終了し、部数が低迷する。2008(平成20)年3月から2009(平成21)年3月にかけて、『週刊少年マガジン』と「サンデー×マガジン 創刊50周年企画」を行ない、共同雑誌の他、数多くのコラボレーション商品を発売した。『週刊少年サンデー』の傾向としては、特に、ラブコメディと恋愛漫画にノウハウと強みを持っていることが挙げられる。とりわけ、中長期連載となった作品では、その傾向が強く見られる。また、主なジャンルがそれでなくても、作中のエピソード等で恋愛、及びラブコメ的な要素を色濃く匂わせる作品も多い。その一方で、少年漫画雑誌とは思えない、社会を絡ませた重厚な内容の作品が掲載されることも時折見られる。また、作品が打切りになった場合、株式会社集英社が発行する週刊少年漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』等、他誌のように唐突に終了することは少なく、ある程度物語が纏まった形で終了させてくれる傾向にある。少年漫画誌の中では、読者の年齢層が高く、高校生以上の読者が全体の約6割を占めている。更に、ラブコメや恋愛漫画に強みを持っているため、少年誌でありながら、女性の購読者が非常に多いことでも知られている。そのためか、他の少年誌と比べて、女性漫画家が多いのも特徴である。『週刊少年ジャンプ』は、1968(昭和43)年7月11日に『少年ジャンプ』の名称で、同年の8月1日号として創刊された。創刊時は月2回(第2・第4木曜日)発売で、1969(昭和44)年10月から週刊化された。編集部は、小中学生男子を主な読者対象として想定しており、現在、読者構成は、中学生を中心として、小学校高学年から高校生が主であり、『週刊少年マガジン』や『週刊少年サンデー』よりも低年齢寄りである。基本的に、掲載作品はバトル漫画・スポーツ漫画・ギャグ漫画等の少年漫画が主流である。SF・ファンタジーや冒険物、ラブコメディ、社会派・ドキュメンタリー作品等も数多く掲載されている。人気の低下した連載作品は、すぐに打切りの対象にされるため、10週から20週前後(単行本1巻 - 3巻分の分量)で終了となる作品が多く、作品・作家の間で、連載枠を巡る激しい生存競争が毎週誌上で起きている。連載1周年を超えた作品等は、本誌連載が打切られても、他誌に完結編を掲載する場合がある。『週刊少年ジャンプ』での人気作品の大半は、テレビアニメ化されている。尾田栄一郎作の「ONE PIECE」のように、日本国外でも高い人気を誇る作品もある。2011(平成23)年10月では、実に週に11本の新作アニメが放送された。最初期を除く1970年代までの『週刊少年ジャンプ』編集部は、作品をテレビアニメで無料放送すると、読者が満足して雑誌・単行本が売れなくなる、と懸念していた。しかし、鳥山明作の「Dr.スランプ」のテレビアニメ化(1981[昭和56]年放映開始の「Dr.スランプ アラレちゃん」)によって、株式会社集英社は、販売促進や版権等、予想を超える収益を得た。この作品は、複数の在京テレビ局からオファーがあり、株式会社フジテレビジョン編成局長(当時)の日枝久(後に、日本有数のメディア・コングロマリット[複合企業]であるフジサンケイグループの事業を統括する持株会社、株式会社フジ・メディア・ホールディングスの代表取締役会長となっている)は、何度も株式会社集英社を訪ね、その熱烈な要望に、株式会社集英社が折れる形でアニメ化を許諾したものであった。これ以後、株式会社集英社は、自社作品のアニメ化に積極的になる。『週刊少年ジャンプ』創刊号の発行部数は10万5,000部であったが、1971(昭和46)年に100万部を越え、1995(平成7)年には、約653万部という、漫画雑誌の最高発行部数を記録した。1997(平成9)年11月には、『週刊少年マガジン』に発行部数で抜かれたが、2002(平成14)年には『週刊少年マガジン』から首位を奪還。2010(平成22)年頃までは、300万部前後の発行部数であったが、その後は発行部数が漸減している。2016(平成28)年までは200万部を超える発行部数を維持していて、『週刊少年マガジン』や『週刊少年サンデー』等を大きく引離している。2023(令和5)年時点では、約113万部超の発行部数に減少しているが、『週刊少年マガジン』や『週刊少年サンデー』の発行部数も減少傾向が著しく、依然として大きな差ができている。