3月17日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第3日曜日 旧暦  2月 8日、先負(庚辰)、月齢  6.7  
グレゴリオ暦で年始から77日目、年末まであと289日。
誕生花 ルピナス・エンドウの花・サンシュユ・アンスリウム(ピンク)。

二十四節気・雑節等
春彼岸入。
雑節。春分を中心とする7日間が春の彼岸である。彼岸は、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行なう仏事を彼岸会と呼ぶ。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と呼ぶ。日本の気候を表わす慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」があり、残寒・残暑は彼岸の頃まで続き、彼岸を過ぎると和らぐという。彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」から来ているともされ、日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は、原始宗教の頃からの付き物とも言える。
上弦。
半月。月と太陽の黄経差が90°となる日。

漫画週刊誌の日。
1959(昭和34)年3月17日、日本初の少年向け週刊誌、『週刊少年マガジン』と『週刊少年サンデー』が発刊された。『週刊少年マガジン』は、東京都文京区音羽に所在する大手総合出版社、株式会社講談社が発行する週刊少年漫画雑誌で、『週刊少年サンデー』は、東京都千代田区一ツ橋に所在する大手総合出版社、株式会社小学館が発行する、同じく週刊少年漫画雑誌である。1909(明治42)年創業の株式会社講談社と、1922(大正11)年創業の株式会社小学館、そして、1968(昭和43)年7月11日に『少年ジャンプ』の名称で創刊(創刊時は月2回[第2・第4木曜日]発売)され、1969(昭和44)年10月から週刊化された、週刊少年漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』を発行する、東京都千代田区一ツ橋に所在する大手総合出版社、株式会社集英社の3社は、日本国内の出版業界最大手の座を争っている。株式会社集英社は、1926(大正15)年に小学館の娯楽誌部門として分離独立し、設立され、1952(昭和27)年に独立した社屋に移転し、その後、株式会社小学館との業務分離を行なう。株式会社小学館が筆頭株主であり、同じ企業集団「一ツ橋グループ」に属するが、株式会社小学館も娯楽出版部門に進出した結果、株式会社小学館と株式会社集英社とは、競合する雑誌を多く擁する。なお、1945(昭和20)年11月、出版業界内部に戦争協力者への責任追及の声が激しく挙がっていたことから、第二次世界大戦前から活発な活動をしており、その最大の標的となっていた株式会社講談社は、最悪の事態に備え、別働隊となる光文社を組織した。それが、東京都文京区音羽に所在する出版社、株式会社光文社で、こちらは、株式会社講談社と「音羽グループ」を形成している(主要株主が講談社) 。株式会社講談社は一時、年間売上高が2,000億円を超えていたこともあった。しかし、近年はいわゆる「出版不況」(出版産業は、1997[平成9]年をピークに年々縮小する傾向が見られる)により売上が減少、2002(平成14)年には、第二次世界大戦後初の赤字決算となった。また、最盛期には、株式会社小学館に約500億円の差を付けていたものの、2006(平成18)年は売上高が約1,456億円まで落込み、約1,470億円を売上げた株式会社小学館に抜かれた。2007(平成19)年には、その株式会社小学館を上回ったが、2009(平成21)年以降は、株式会社集英社に抜かれている。株式会社集英社は、2009(平成21)年以降、持株会社であるカドカワ株式会社(出版以外のゲーム関連事業等が売上高に含まれている)を除いて、総売上高で日本国内出版業界の首位に就いている。『週刊少年マガジン』の当初の主力作品は、連続小説が大半を占めていたが、当時はまだヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を空けられている状況が続いた。しかし、1965(昭和40)年の「ハリスの旋風」を皮切りに『週刊少年マガジン』の快進撃が始まり、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで、一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」等も連載を始め、1967(昭和42)年1月には、ついに100万部を突破した。また、雑誌編集者・SF研究家・映画評論家・翻訳家、大伴昌司の構成によるグラビア記事も人気に大きく貢献した。高度な特殊撮影技術を用いた作品を作ることで知られる、円谷特技プロダクション(現在の独立映像製作会社、円谷プロダクションの前身)の怪獣物テレビ番組「ウルトラQ」の怪獣を表紙の採用し、メディア・ミックスの先駆ともなった。1990年代前半は大ヒット作となる「金田一少年の事件簿」の連載が開始され、『週刊少年マガジン』史上最も連載期間の長い「はじめの一歩」、さらに「シュート!」「オフサイド」「風のシルフィード」等のスポーツ漫画や、「湘南純愛組!」「カメレオン」「疾風伝説 特攻の拓」等のヤンキー漫画の分野でヒット作が続出。1990年代の第2次黄金期の基礎を築いた。1965(昭和40)年に、「マンガの神様」と評された漫画家、手塚治虫が、SF漫画「W3」の掲載誌を、『週刊少年マガジン』から『週刊少年サンデー』に切替えたできごとである「W3事件」の際、手塚治虫が『週刊少年マガジン』から原稿を引上げたため、対立軸を明確にすべく、『週刊少年マガジン』は、1970年代に劇画路線を取ったことでも知られる。以降は、読者の高年齢化が進み、1980年代から1990年代中頃までは、ヤンキー漫画や格闘漫画が主流を占めたため、「不良の読む雑誌」とされたこともあったが、いわゆる第2次黄金期(1997[平成9]年 - 2002[平成14]年)以降は、そのイメージは過去のものとなりつつある。近年の少年誌では珍しい、ノンフィクションのドキュメンタリー漫画が掲載される他、一時期は、芸能人による連載企画も行なわれていた。多数の女性芸能人を輩出しているオーディション企画「ミスマガジン」を始め、グラビアアイドルや人気女優等のカラーグラビアも積極的に行なっている。また、「マガジン一押し!若手アイドル○連発」等と銘打って、まだ知名度の低いグラビアアイドルを纏めて掲載する企画が不定期で行なわれており、中には、乙葉や小倉優子等、その後、多くのテレビ番組に出演し、知名度が高くなった女性タレントも出演していた。しかし、2000年代後半以後は、既にテレビで活躍している女性タレント(スザンヌ、南明奈等)が出演することが多い。古くは、手塚治虫や赤塚不二夫、つのだじろうといった、著名な漫画家が居住していたことで有名な木造アパート、通称『トキワ荘』(1982[昭和57]年まで東京都豊島区南長崎に所在していた)組や小林よしのり等といった、複数の漫画誌を渡歩いている漫画家を多く起用していた。1990(平成2)年頃になると、その傾向は一旦低下するが、1999(平成11)年頃から再び、同社他誌の主力漫画家や、他社デビューの漫画家を積極的に起用するようになっている。女性漫画家の起用は、早い時期から多く行なっているが、ペンネームが男性風になることが多い。テレビアニメについては、1960年代から1970年代前半にかけては、「あしたのジョー」や「巨人の星」等の有名作品を出していたが、1970年代後半から1980年代にかけては、アニメ化される作品が少なかった。これは、「泥臭さ・社会性」の誌風のため、時代背景に合った作品を出すことができなかったためである。1990年代以降は、ラブコメや萌え路線等、誌風の多様化により、アニメ化される作品が多くなったが、2000年代になると、少子化の影響により、全日枠での放映が縮小され、深夜枠での放映が多くなっている。株式会社小学館が発行する『週刊少年サンデー』は、企画立上げ時のスタッフの中核が、学年誌の編集者ということから、創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり、読み物や付録等が充実していた。1960年代半ばにはSFに力を入れ、当時気鋭の若手作家、筒井康隆が、小説の連載を行なっていたこともあった。1960年代にシリアスな漫画で問題を起こすことが多かった一方、比較的ライトな内容のギャグ漫画やコメディ・タッチの漫画にヒット作が多かったことから、俗に「ギャグのサンデー」と呼ばれることになった。1980年代初頭には「ラブコメ」や「パロディ」も加わり、この様な軽快さは、雑誌の大きな気風として現在も続いている。