3月15日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第3金曜日 旧暦  2月 6日、先勝(戊寅)、月齢  4.7  
グレゴリオ暦で年始から75日目、年末まであと291日。
誕生花 レースフラワー・アゼビ・スイートピー(白)・ヘムロック・ワスレナグサ・クンシラン・サンタンカ。

二十四節気・雑節等
社日(春)。
雑節。産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)ともいう。社日は、古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。春分、又は秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日となる。産土神は、神道において、その者が生まれた土地の守護神を指す。その者を、生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても、一生を通じ守護してくれると信じられている。産土神への信仰を産土信仰という。氏神(同じ地域[集落]に住む人々が共同で祀る神道の神)と氏子(氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体)の関係が、血縁を基に成立するのに対し、産土神は地縁による信仰意識に基づく。従って、その意識が強く表われるのは都市である。例えば、京都では、同族集団の結束が弱まり、地縁による共同体意識が形成されると共に、中世には稲荷神社(現在の京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社)、御霊神社(現在の京都市上京区にある上御霊神社で、上御霊神社という社名は、京都市中京区にある下御霊神社に対応するものであり、政争に巻込まれて憤死した人々を諸神として、その怨霊を慰めるために創建された)、賀茂神社(現在の京都市北区にある賀茂別雷神社[上賀茂神社]と京都市左京区にある賀茂御祖神社[下鴨神社]との2つの神社の総称)、北野神社(現在の京都市上京区にある北野天満宮)等の有力な神社を中心に、産土神を基にした産子区域の観念が発達した。そして、産土詣での語が一般に使われるようになり、生まれた子の初宮参りを始め、成年式、七五三等に産土詣でをする風習が盛んになった。また、江戸では、日枝山王(山王信仰[比叡山に鎮まる神]に基づき、比叡山麓の日吉大社[現在の滋賀県大津市坂本にある神社]より勧請を受けた神社)が徳川氏の産土神とされ、その祭礼は盛大を極めた。産土神は、安産の神である産神とも関連がある。現在は、全国的に同族神としての氏神信仰が衰え、新たに起こった産土神の信仰に吸収されていく傾向が多くみられる。十干は元々、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸と、日を順に10日の纏まりで数えるための呼び名(符号)であった。10日毎に、「一旬(いちじゅん)」と呼び、3つの旬(上旬、中旬、下旬)で1ヶ月になるため、広く使われていた。古代中国では、万物は全て「陰」と「陽」の2つの要素に分けられるとする「陰陽説」と、全て木、火、土、金、水の5つの要素からなるとする「五行説」という思想があった。これらを組合せて「陰陽五行説」と言い、やがて陰陽五行説を「十干」に当嵌めるようになった。戊(つちのえ)は、十干の5番目である。陰陽五行説では、土性の陽に割当てられており、ここから日本では「つちのえ」(土の兄)ともいう。方位では中央に宛てられる。時刻では午前4時頃を指し、午前4時から午前6時までを戊夜(ぼや)という。戊の字は「茂」に通じ、植物の成長が絶頂期にあるという意味で、十干の5番目に宛てられた。
菜虫蝶と化す。
七十二候の1つ(9候)。

万国博デー。
1970(昭和45)年3月15日、前日に開幕式が行なわれた、大阪府吹田市千里丘陵の「日本万国博覧会(大阪万博)」の一般入場が開始された。「日本万国博覧会」は、日本初、かつ、アジアで最初の国際博覧会であり、当時史上最大の規模を誇った。略称は、開催地の名から「大阪万博」、一般的な英語表記としては「EXPO'70」が用いられた。また、日本国内において、単に「万博」、或いは「万国博」とも略される。主催は、財団法人日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は当時の皇太子明仁親王(後の第125代天皇、天皇明仁、現在の上皇明仁)、名誉会長は当時の内閣総理大臣、佐藤栄作。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77ヶ国と4つの国際機関が参加し、第二次世界大戦後、高度経済成長を成遂げ、アメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催された。日本においては、1964(昭和39)年の東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)以来の国家プロジェクトであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らが、パビリオン建設や映像・音響等のイベント制作・展示物制作に起用された。大阪市等、会場周辺市街地では、大阪万博開催への整備がなされ、道路や地下鉄建設等、大規模開発が進められた。一方、第二次世界大戦以来の規模となる芸術家らの国家イベントへの動員は、文化・芸術界内部で批判があった他、同じく1970(昭和45)年に予定されていた「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新日米安保条約、昭和35年条約第6号)」改定に関する議論や反対運動(70年安保闘争、「新日米安保条約」が自動延長するに当たり、これを阻止して条約破棄を通告させようとする運動)を、大イベントで国民の目からそらすものとして、大学生らによる反対運動も行なわれた。テーマ館の太陽の塔や、アメリカ館・ソ連館等の人気パビリオンでは、数時間待ちの行列ができる等し、大変に混雑した。特に、アポロ12号(アメリカ航空宇宙局[NASA]による人類初の月への有人宇宙飛行計画、アポロ計画における6番目の飛行であり、H計画と呼ばれる月面への着陸を行なう2度目の飛行)が持帰った「月の石」を展示したアメリカ館の行列は延々と続き、途中で諦めて、他の館へ行く人も多かった。その異常な混雑振りから、テーマをもじって『人類の辛抱と長蛇』や『残酷博』等と揶揄されたことがある。また、国際博覧会史上初めて、黒字となった。総入場者数は6,421万8,770名、1日の入場者は最高83万5,832名、売上金額は入場券が約350億円、食堂・売店関係が約405億円。愛称の「万博(バンパク)」は、この博覧会の正式名称の「万国博覧会」を略したものであるが、その後の国際博覧会の愛称にも引継がれている(科学万博[つくば博]、花の万博[大阪花博]、愛知万博[愛・地球博])。なお、1940(昭和15)年3月15日から8月31日にかけて東京で開催される予定で、日中戦争の激化等を受けて開催延期された「紀元2600年記念日本万国博覧会」の前売り券が本博覧会で代替として使用できたため、約3,000枚が実際に使用された。テーマ館の一部として、芸術家の岡本太郎意匠による「太陽の塔」が作られた。現在も残され、万博記念公園のシンボルとなっている。会場跡地は、ビジネス副都心・研究都市等、様々な開発案があったが、どれも明確な計画ではなく、最終的には公園として再整備され、1972(昭和47)年に万博記念公園として開園している。万博記念公園には、多くの自然文化施設、文化施設、スポーツ施設、レジャー施設が所在し、今も多くの市民に親しまれている。また、開催中から営業していたアミューズメントエリア(娯楽・遊戯エリア)のエキスポランドは、2009(平成21)年に閉園となった。閉園したエキスポランドの跡地には、大型複合施設「EXPOCITY」が建設され、2015(平成27)年11月19日にグランドオープンした。なお、一部の施設やアトラクションは2016(平成28)年に開業した。「EXPOCITY」には、中核店舗となる大型ショッピングセンター「ららぽーとEXPOCITY」の他、大阪市港区天保山にある水族館で、従来の水族館の印象を劇的に変えた海遊館が初プロデュースした、生きているミュージアム「NIFREL」、日本初の体験型英語教育施設「OSAKA ENGLISH VILLAGE」、体験型エデュテイメント施設「ポケモンEXPOジム」、自然体感型エンターテインメント施設「オービィ大阪(Orbi Osaka)」、「ひつじのショーン」の体験型アミューズメントパーク「ENTERTAINMENT FIELD」(エンターテイメント フィールド)、最新鋭シネマコンプレックス「109シネマズ大阪エキスポシティ」等、複数の大型エンターテイメント施設が入居している。テーマ館の一部として建設された「太陽の塔」は現在も残され、万博記念公園のシンボルとなっている。「太陽の塔」は、テーマ展示のプロデューサーとなった芸術家、岡本太郎が制作した芸術作品でもあり、岡本太郎の代表作の1つである。モデルは、岡本太郎が飼っていたカラスとされる。塔の高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m。未来を表わす上部の黄金の顔(直径10.6m、目の直径2m)、現在を表わす正面胴体部の太陽の顔(直径12m)、過去を表わす背面に描かれた黒い太陽(直径8m)の3つの顔を持つ。大阪万博当時は、黄金の顔の目にはサーチライトのように光を放つキセノン投光器(自然太陽光とほぼ同じ連続スペクトルを照射する光源)が取付けられ、大阪万博期間中は、日本万国博覧会協会が運輸省(現在の国土交通省の前身の1つ)に特別な許可を得て期間限定で点灯していた。大阪万博終了後に、雨漏りによって地下室が浸水し電気系統が故障し、また、近隣に位置する大阪国際空港(伊丹空港)を利用する飛行機の発着に支障をきたす可能性があること等の理由により、点灯されることはなかった。しかし、2005(平成17)年に行なった愛知万博(愛・地球博])のイベントでは、外部からコードで引込んだ自動車用のライトとバッテリーを用いて、一時的に点灯が行なわれた。また、2010(平成22)年3月27日からは、日本万国博覧会開催40周年記念事業の一環として、日没から23時まで毎夜点灯されることとなった。なお、投光器は、大阪国際空港(伊丹空港)を発着する飛行機の運航に支障が出ないよう、計148個の発光ダイオード(LED)を使用した輝度の低いものに交換されている。内部は中空になっており、「生命の樹」と呼ばれる巨大なモニュメントが中心に位置している。大阪万博開催中は、パビリオンの1つとして塔の内部に入ることができ、さながら胎内巡りの様に、音楽やナレーションを聞きながら鑑賞するという趣向になっていた。大阪万博終了後は、永らく一般非公開とされていた。しかし、2003(平成15)年に日本万国博覧会記念機構が独立行政法人となったのを記念して、誘導や避難等の災害対策をすることを条件とし、消防署から特別に許可が下り、33年振りに限定公開され、以降も不定期に一般公開された。なお、「消防法(昭和23年7月24日法律第186号)」の関係上(上層階に非常口がないため)、塔内の見学は1階のみで、上層階へは上がれなかった。