3月14日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

国際結婚の日。
1873(明治6)年3月14日、日本政府が「内外人民婚姻条規(明治6年3月14日太政官布告第103号)」により、国際結婚を初めて公式に認可したことに因む。国際結婚とは、国籍を異にする者の結婚(婚姻)である。1872(明治5)年にイギリスで行なわれた、長門国/周防国長州藩のイギリス留学生南貞助と、イギリス人女性ライザ・ピットマンとの結婚が、翌1873(明治6)年に日本政府に届出されたことで、これが日本における法律上の国際結婚第1号とされる。但し、2人は、後に離婚している。日本における日本人と外国人との実質的な結婚は、それ以前よりも行なわれていたが、公的には1867(慶応3)年に、江戸幕府が条約締結国の国民と日本人との結婚を許可する旨を通告しており、国際結婚に関する法律としては「内外人民婚姻条規」が日本初となる。公布から1897(明治30)年までの24年間に、日本政府が許可した国際結婚の数は265件程と推計されている。結婚相手の国籍はイギリスと清(中国)とで半数を超え、ドイツ、アメリカ、フランス等がそれに続いた。第二次世界大戦終結後の昭和20年代、国内に駐留するアメリカ合衆国を中心とした連合国軍の軍人に嫁ぐ、「戦争花嫁」と称される日本人女性達が現れた。当時は、昨日までの敵国軍人に嫁ぐような女性達の出現で話題となるが、多くは夫と共に北アメリカやオーストラリア等へ渡り、日本でその存在は次第に忘れられていった。1980年代に入り、結婚を望むが適わない者が多数出る、という状況が生まれた。女性が配偶者としての男性に求める条件が厳し過ぎたという声もある。日本では、一般に低所得の男性が結婚しにくい趨勢にあるが、零細農家や小規模商店等で働く男性達から、結婚難が深刻化し始めた訳である。とりわけ、東北地方等の農村で農業を営む独身男性にとっては深刻で、結婚相手の不足がしばしばマスメディアで取上げられ、「嫁不足」とまで形容された。これを受け、農業協同組合(農協)や自治体が牽引役となり、結婚相手を日本より比較的生活水準の低いアジアの国々に求める動きが活発になり、特に、フィリピン人女性や中国人女性等との「お見合いツアー」が多数行なわれた。一般的にメディア等で取沙汰される国際結婚の例は、日本人女性と外国人男性(特に、欧米系白人男性)の例が多いが、実際には、日本人男性と外国人女性の婚姻件数が3倍以上多い。男性の場合は、女性と比べて東南アジア出身者、及び中国出身者と結婚するケースが多く、フィリピン(約37倍)、タイ(約28倍)、中国(10倍)等、大きな男女差がある。一方、女性の場合は、アメリカが全体の2位と、男性と比べると約5倍と多くなっているのが特徴である。但し、国際結婚全体における日本人女性と欧米系白人男性の婚姻件数は、決して多い部類では無いことから、メディアの報道が、実際の日本の国際結婚事情を反映してるとは言い難い。国際結婚は、国籍の違う者同士の婚姻を指しているため、日本籍者と混血していない日系人との婚姻であっても、国際結婚と見做される。逆に、日本籍者と外国にルーツを持つ日本国籍を取得した者の婚姻は、国際結婚とは見做されない。従来、日本人と外国人が結婚した場合、住民票に外国籍の配偶者や子(日本国籍との重国籍の場合を除く)が記載されない、つまり、日本人と外国人が同一世帯に属することを証する書類が存在しない、という問題点があったが、2009(平成21)年7月15日に公布された「住民基本台帳法の一部を改正する法律(平成21年7月15日法律第77号)」が2012(平成24年)7月9日に施行され、住民票にも外国人が記載されるようになり、このような問題は解消している。但し、婚姻手続きについては、居住地の役所(市区町村役場)に婚姻届を提出すれば手続きが完了する、日本人同士の婚姻手続きの場合(本籍地以外の場合は戸籍謄本・戸籍抄本が必要)とは比較にならない程、多大な手数を要する。 
美白デー。 
全ての女性に美白についての高い意識と、深い知識を持ってもらいたいとの願いから、東京都品川区西五反田に本社を置く、日本を代表する化粧品メーカーの株式会社ポーラが、2008(平成20)年に制定した日。日付は、美白に因んで「もう1つのホワイトデー」と呼ばれるように、とこの日に。1929(昭和4)年に静岡市で創業し、1940(昭和15)年にポーラ化成工業株式会社として法人化され、その後の1946(昭和21)年に、ポーラ化成工業株式会社から化粧品販売事業を分離し、株式会社ポーラ化粧品本舗が設立される。化粧品の訪問販売事業で飛躍的な躍進を遂げると共に、女性の肌を追究したオーダーメード化粧品シリーズ「ポーラ・アペックス(発売当初はAPEX-i)」でも知られる。株式会社ポーラ化粧品本舗は、2007(平成19)年に株式会社ポーラに社名を変更した。近年は、訪問販売だけでなく、百貨店の化粧品売り場やファッションビルに「ポーラコーナー」を設けたり、エステティックサロンを併設した小型店舗「POLA THE BEAUTY(ポーラ・ザ・ビューティ)」を展開する等、店頭販売にも力を入れている。1951(昭和26)年に株式会社ポーラ化粧品本舗が発売した美白クリーム「ペキュリアコールド」は、日本で初めて「美白」を謳って発売された化粧品とされる。これを皮切りに、今に続く美白研究が始まった。その後も、業界に先駆けて、美白成分「ビタミンC誘導体」や「ルシノール」を配合した商品を世に送り出している。また、2012(平成24)年から『美肌県グランプリ』を公表している。株式会社ポーラの本社にある社員食堂では、美肌・アンチエイジング効果のある食材・レシピを用いたランチが提供されており、「社員食堂巡りツアー」で取上げられることがある。2012(平成24)年4月には、実際に食堂で提供されたメニューを紹介するレシピ本「POLAの美肌食堂」が発売された。文化・芸術の分野にも積極的な支援をしており、ポーラ文化研究所や、関連財団法人の公益財団法人ポーラ美術振興財団によって、神奈川県足柄下郡箱根町仙石原にある私立美術館、ポーラ美術館等を運営している。  
ピカジョの日。
東京都渋谷区千駄ヶ谷に本社を置く、ブランディングの向上を目的とした、オリジナルお菓子の商品開発等を手掛ける企業、株式会社ESSPRIDE(エスプライド)が制定。株式会社ESSPRIDE(エスプライド)が開発した、仕事でも輝いている女性である「ピカジョ」のカードが入ったポテトチップス、「全国企業選抜!! ピカジョチップス」のPRが目的。日付は、3月14日が女性が輝く「ホワイト・デー」から。株式会社ESSPRIDE(エスプライド)は「ピカジョチップス」の他に、「イケメン」のトレーディングカードが入ったポテトチップス「全国企業選抜!! イケメンチップス」や、全国47都道府県の社長のトレーディングカードが入った「ニッポンの底力 社長チップス」を製造・販売している。因みに、ブランディングとは、顧客の視点から発想し、ブランドに対する共感や信頼等、顧客にとっての価値を高めていく企業と組織のマーケティング戦略の1つで、ブランドとして認知されていないものをブランドへと育て上げる、或いは、ブランド構成要素を強化し活性・維持管理していくことであり、その手法でもある。
オキシクリーンの日、オキシ漬けの日。
東京都品川区大崎に本社を置く、化粧品、日用雑貨、健康食品、医薬品、日用雑貨等の企画製造販売を手掛ける企業、株式会社グラフィコが制定。株式会社グラフィコが日本の正規販売代理店となっている衣料用漂白剤の「オキシクリーン」を、より多くの人に知ってもらうこと、また、「オキシクリーン」を使用する漬け置き洗いを「オキシ漬け」と呼び、その愛称と利便性を、より多くの人に知ってもらうことが目的。日付は、漂白剤の「漂白」の「白」と、ホワイトデーの「ホワイト = 白」を掛けて3月14日としたもの。酸素系漂白剤「オキシクリーン」は、塩素系ではないのに、衣類のシミ・汚れを強力洗浄と消臭できる漂白剤である。毎日の洗濯からキッチンの掃除まで、様々な場面で驚きの洗浄力を発揮してくれる。オキシクリーンの洗浄力の秘密は、「酸素のチカラ」である。酸素の泡が衣類等の汚れを徹底的に浮き出させ、スッキリ洗浄する。酸素パワーは強力な洗浄力にも係わらず、衣類を傷めることが少なく、使う程に驚きの白さを取戻す。もちろん、衣類の洗濯だけではなく、キッチン・風呂場・トイレ・洗面所・洗濯槽・リビング・屋外等、1本で様々な掃除の場面で活躍してくれる。また、オキシクリーンを40℃から60℃程度の湯に溶かして、汚れを落としたいものを漬けて置く、漬け置き洗いの「オキシ漬け」も話題となっている。