3月9日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1942年 - 第二次世界大戦・蘭印作戦: オランダ領東インド(概ね、現在の東南アジア南部に位置するインドネシアの版図に相当する)のオランダ軍が日本に降伏。 
1945年 - 第二次世界大戦: フランス領インドシナ(中国の南、インド亜大陸の東にある東南アジアの半島、インドシナ半島東部地域で、現在のベトナム・ラオス・カンボジアを合わせた領域に相当する)に駐留していた日本軍が、フランス軍を攻撃する(明号作戦)。日本の敗色が濃くなる中、それまで協力関係にあったフランス領インドシナの駐留軍を、日本軍が攻撃して総督府を掌握し、フランス領インドシナを完全な支配下に収める。
1946年 - バーンデン・パークの惨事。イギリス中部にあるボルトンのサッカー場で試合中に、収容能力を上回る観客がスタジアムに押寄せたことで煉瓦製の壁が崩壊し、群集雪崩が発生。33名が死亡し、400名から500名以上が負傷する。 
1954年 - アメリカのジャーナリストでアンカーマン(ニュース番組のメーンキャスター)、エドワード・ロスコー・マローのテレビ番組が放送され、1950年代前半の東西冷戦期のアメリカで、上院政府活動委員会常設調査小委員会のジョセフ・マッカーシー委員長や、その助手で弁護士のロイ・コーン等が推進していたマッカーシズム(反共主義運動)を終焉させる皮切りとなる。 
1958年 - 関門トンネル(関門国道トンネル)が開通する。 
1959年 - 日本社会党(現在の社会民主党[社民党]の前身)訪中使節団長の浅沼稲次郎が、「アメリカ帝国主義は日中人民共同の敵」と発言し問題化する。 
1959年 - アメリカで、着せ替え人形「バービー人形」の発売が開始される。 
1967年 - トランス・ワールド航空553便空中衝突事故。アメリカ合衆国北東部、ペンシルベニア州ピッツバーグにあるピッツバーグ国際空港から、アメリカ合衆国中西部、オハイオ州デイトンにあるデイトン国際空港へ向かっていた、トランス・ワールド航空553便マクドネル・ダグラス DC-9-15型機が、着陸のための降下中、双発レシプロ軽飛行機ビーチクラフト バロン55と空中衝突。両機は墜落し、トランス・ワールド航空553便の乗客21名と乗員4名、ビーチクラフト バロン55の乗員1名、計26名全員が死亡する。
1968年 - 富山県神通川流域のイタイイタイ病(更年期以降の出産経験のある女性に多くみられた、全身の痛みを主訴とする原因不明の奇病で、後にカドミウム[かつて、自動車部品を製造する工場を始め、さまざまな工場で使われていた金属]の慢性中毒が原因とされる)の患者・遺族が、原因企業の大手非鉄金属メーカー、三井金属鉱業に損害賠償を提訴する。イタイイタイ病とは、岐阜県の三井金属鉱業神岡事業所(神岡鉱山)による鉱山の製錬に伴なう未処理廃水により、神通川下流域の富山県で発生した公害で、日本初の公害病で、四大公害病の1つである。オックスフォード英語辞典等、世界の多くの辞書に記載され、そのまま英語になった日本語の1つとなっている。日本では、特に高度経済成長期、つまり1950年代後半から1970年代に、公害により住民へ大きな被害が発生したが、この内で被害の大きいものを「四大公害病」という。熊本県水俣湾で発生した奇病で、有機水銀による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じた水俣病、新潟県阿賀野川流域で発生した奇病で、有機水銀による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じた第二水俣病(新潟水俣病)、三重県四日市市で発生した都市公害で、主に亜硫酸ガスによる大気汚染を原因とする四日市ぜんそく、そしてイタイイタイ病が、「四大公害病」と呼ばれるものである。イタイイタイ病の病名の由来は、患者が「痛い、痛い」と泣き叫んだことからで、地元の地方紙『富山新聞』で、初めて病名として報じられる。  
1974年 - 音楽バンド・コントグループ『ザ・ドリフターズ』の付き人で、1973年12月、「メンバー見習い」の扱いで『ザ・ドリフターズ』に加入していた志村けんが、『ザ・ドリフターズ』の正式メンバーとなる。『ザ・ドリフターズ』の活動で人気者となった志村けんは、後に『ザ・ドリフターズ』とは一線を画した独自のコントスタイルを確立する。さらに、健康オタク、動物愛好家としても知られ、お笑いタレントとしてのみならず、コメンテーター的存在としても活動していたが、2020年3月29日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に伴なう肺炎のため死去する。
1977年 - アメリカ合衆国の首都、ワシントンD.C.の市役所、ユダヤ人共済組合本部ビル、回教徒センタービルの3ヶ所が襲撃を受け、一時は市長を含めた100名以上が人質となる事件が発生。2名が死亡し、11名以上が負傷する。
1984年 - 大阪国際空港(伊丹空港)の付近住民が、その騒音等に悩まされたため、空港の夜間利用差止め等を求めた民事訴訟、大阪空港騒音公害訴訟で、大阪地方裁判所の和解案を国側が受諾。国が初めて騒音公害の責任を認める。 
1984年 - 同年2月13日以降消息を絶った登山家・冒険家、植村直己の捜索が生存の見込みなしとして、この日で打切られる。
1991年 - 東京都の新宿副都心(東京都新宿区西新宿)で、東京都新都庁舎の落成式が挙行される。同年4月1日より、東京都千代田区丸の内に所在した東京都庁舎(旧)が業務移転となる。なお、日本では「世界のタンゲ」と言われたように、日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍し、認知された建築家の1人で、多くの国家プロジェクトを手掛けた丹下健三は、新旧の東京都庁舎を共に設計している。 
1995年 - 日米韓3国が、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に核拡散の虞の低い軽水炉2基と、完成までの期間の燃料を、日本と韓国の費用負担により無償で提供することによって、北朝鮮が保有する黒鉛減速型炉と核兵器開発計画を放棄させることを目的として設立された組織、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)設立協定に調印する。
2006年 - 第二次世界大戦終結後、初めて日本が独自開発した航空自衛隊の戦闘機三菱F-1が全機退役する。三菱F-1は、三菱重工業が製造したT-2高等練習機を基に、第二次世界大戦終結後に日本が初めて独自開発した超音速飛行が可能な戦闘機である。日本という四方を海に囲まれた島国の防衛のため、開発当初から対艦ミサイルとの組合せによる対艦攻撃を想定し、国産の空対艦ミサイル「ASM-1」の搭載能力を有している。総計77機が製造され、青森県三沢市にある三沢基地の第3航空団第3飛行隊と第8飛行隊、福岡県築上郡築城町(現在の福岡県築上郡築上町)にある築城基地の第8航空団第6飛行隊に編成されている支援戦闘機部隊に配備される。三菱F-1の有する空対艦ミサイルによる対艦攻撃という運用方法は、特筆すべきものがある一方で、機動性の低さから空中戦(要撃任務)での不安も抱えていたため、戦闘機としては世界最高レベルの対艦攻撃能力と対空能力を兼備する戦闘機三菱F-2が開発され、その配備により退役することになる。因みに、戦闘機としては、世界最高レベルの対艦攻撃能力と対空能力を兼備する三菱F-2は、公式な愛称ではないが、関係者やファンからは「平成の零戦」や「バイパーゼロ」等と呼ばれることがある。 
2011年 - 宮城県北部を中心とするマグニチュード(M)7.2、震度5弱(強震)の地震が11時45分頃に発生する。東日本大震災を引起こした、東北地方太平洋沖地震の前震とみられる(気象庁発表より)。
2011年 - アメリカ航空宇宙局(NASA)が1981年から2011年にかけて135回打上げた、再使用をコンセプトに含んだ有人宇宙船、スペースシャトルを構成するモジュール(個々の部品)の内、実際に宇宙と地上を往還する宇宙船本体部分であるオービタ「ディスカバリー」が、最後の飛行ミッションSTS-133を終え、地球に帰還する。1988年に初めて打上げられた「ディスカバリー」は、39回目の飛行ミッションとなるSTS-133を終えて引退するが、これは、スペースシャトルの中で最多の飛行回数である。
2016年 - 日食が、東南アジア南部に位置するインドネシアを中心に見られる。日本では部分日食となる。日食は、太陽が月によって隠され、欠けたように見える現象である。この時の日食は、インドネシア等、東南アジア地域の一部では、皆既日食(月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合)として、日本では、太陽が部分的に隠される部分日食として観察される。