3月8日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第2金曜日 旧暦  1月28日、仏滅(辛未)、月齢 27.2  
グレゴリオ暦で年始から68日目、年末まであと298日。
誕生花 クリ・クリの花・チューリップ(白)・クロタネソウ。

神のヨハネの祝日。
聖ヨハネ・ア・デオ、神のヨハネス、神の聖ヨハネ、天主の聖ヨハネ、聖ヨハネ・ア・デオ等とも呼ばれる神のヨハネは、病院、病者、精神病者、看護者、特に、アルコール中毒者の守護聖人で、消防士や書籍商の守護聖人ともされる。1495(明応4)年にポルトガルで生まれ、初めは牧童となり、次いでオーストリア軍に傭兵として従軍して、信仰から遠ざかった。突如として襲われた狂気から回復した40歳以後、世俗の生活を捨て、全く神の聖旨のままに生きた所から、ヨハネ・デ・デオ(神のヨハネ)と呼ばれるようになる。1539(天文8)年、スペイン南部にあるグラナダに1軒の家を借り、病人を看護する修道会を創立し、同志と共に貧困者や病人、浮浪者、娼婦のために献身した。55歳の誕生日である1550(天文19)年3月8日に没し、1690(元禄3)年10月16日に第241代ローマ教皇アレクサンデル8世により列聖(キリスト教で聖人崇敬を行なう教会が、信仰の模範となるにふさわしい信者を聖人の地位に揚げること)された。聖ヨハネ病院修道会は、カトリック的精神と創立者である神のヨハネの「愛の精神」に基づき、世界51の国と地域で「ホスピタリティ」(一般に、「もてなし」と訳される)を理念に掲げて事業を行なっている。日本では、1962(昭和37)年に兵庫県神戸市で社会福祉法人ヨハネ会が設立され、障害者福祉分野を主な活動分野として活動を続けている。
エスカレーターの日。 
1914(大正3)年3月8日、東京府東京市下谷区上野公園地(現在の東京都台東区上野公園)にある上野恩賜公園(通称は上野公園)で開催されていた、東京府(現在の東京都の前身)主催の東京大正博覧会の会場に日本初のエスカレーターが設置され、この日運転試験が行なわれた。第1会場と第2会場を繋ぐもので、秒速1尺(約30cm)で動いた。3月29日に、エスカレーターの振動のため、74才の女性が振り落とされて顔に全治2週間の怪我を負い、2歳の少女がステップに足を挟まれて負傷した。これが、日本初のエスカレーター事故となった。なお、博覧会は、物品や資料等を集めて一般公開する催しのことで、様々な物品を集めて展示する博覧会(国内博覧会)は、近代日本では、新しい文明の成果や他国の文化を人々に伝える啓蒙的な役割を果たすことになった。明治時代には、内国勧業博覧会が5回開催され、第1回内国勧業博覧会が開催された上野恩賜公園では、大正時代にも、東京大正博覧会の他、1922(大正11)年開催の平和記念東京博覧会とがあり、東京府主催の大規模な博覧会が続いた。「エスカレーター(Escalator)」という語は元々、アメリカ合衆国のエレベータ製造会社、オーチス・エレベーター社(世界最大のエレベーター会社でもある)での登録商標で、商品名である。しかし、当時この自動式階段を表わす適当な語句が他に無く、一般に「エスカレーター」と呼ばれたため、普通名称化した経緯がある。オーチス・エレベーター社では、既に商標権を放棄している。因みに、動詞の「エスカレート(escalate)」 は、1922(大正11)年に登場した新語で、「エスカレーターを使って上に登る」、又は「エスカレーターで移動する」という意味であった。そこから、「徐々に増大、又は発展する、特に、局地戦から全面戦争に発展すること」を意味するようになった。エスカレーターの外観は階段に酷似し、自動で昇降する階段状の踏み面(ステップ)と、ステップと連動して動くベルト状の手すりを特徴とする。機構の露出部分の多さから、建物のインテリアに大きな影響を与えるので、意匠に工夫を凝らしたものが多い。螺旋状のスパイラルエスカレーターや、途中で水平部分を持つエスカレーターも登場している。また、乗降を容易にするため、乗降口に水平部分を持たせた(踊場のある)エスカレーターも出回っている。最近では、操作を行なうことで、複数のステップが水平部分を構築し、車椅子を乗せられるものもある。機構的に、人や荷物を載せた箱を垂直、又は斜め・水平に移動させる昇降機であるエレベーターに比べ、省エネルギーである。近年では、さらに進んで、赤外線センサによって人の接近を検知し、利用時のみ稼働するものも増えている。特に、郊外の鉄道駅に多い。完全に停止させてしまうと、上りと下りの判別が付きにくくなってしまうため、利用者がいない間は低速で運転し、利用者が来ると通常速度に切替えるものも存在する。エスカレーターの実用としては、同年に東京府東京市日本橋区駿河町(現在の東京都中央区日本橋室町)にある三越呉服店(現在の三越百貨店)に設置されたものが初めてとされる。運転当初は相当の話題を呼んだものと思われるが、9年後の1923(大正12)年、奇しくも日本初の電動式エレベーターが設置された東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)浅草の12階建ての塔『凌雲閣』 と同じく、1923(大正13)年9月1日に発生した大正関東地震(関東大震災)によって焼失・破壊された。なお、日本の百貨店へのエスカレータ普及期にあっては、エスカレーターの脇に「エスカレーターガール」という女性が立って、乗込みの案内をしていたことがあった。エスカレーターの設置目的は大別して、段差(高低差)の大きい場所における利用者の肉体的負担の緩和や、交通量の多い階段における利用者の円滑、かつ安全な移動の促進、バリアフリーの観点から、高齢者等の弱者に配慮して設置する場合等がある。但し、階段に比べて非常に高価であり、保守点検等のコストも掛かることから、設置場所は主に百貨店、地下街等の商業施設、駅、空港、フェリーターミナル等の交通機関の乗り場、病院やホテル等の大型施設に限られる。因みに、中高一貫教育や中高(小中高大学、更に幼稚園までが加わることも)一貫校等、無試験で内部進学が可能な学校のことを、エスカレーターの動作に例えて、俗に「エスカレーター式」等と呼ぶ。1935(昭和10)年12月9日にイギリスの首都ロンドンで開かれた国際会議、第二次ロンドン海軍軍縮会議(日本が会議から脱退したため、会議の内容は、主に質的制限のみに移行し、翌1936[昭和11]年3月25日に、アメリカ、イギリス、フランスの3ヶ国で協定に調印し、会議を終了した)において、ワシントン海軍軍縮条約(アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの戦艦や航空母艦[空母]等の保有の制限が取決められた)批准国で、1937(昭和12)年4月1日までに第二次ロンドン海軍軍縮条約を調印しないがあった場合に(日本とイタリアを指す)、諸々の制限を緩和する条項が盛込まれ、通称でエスカレーター条項と呼ばれた。1938(昭和13)年に発動されたが、これも、エスカレーターの動作に擬えた通称である。壊れたエスカレーター現象という表現もあり、これは、停止したエスカレーターに乗ると、バランスを崩したり、めまいや違和感が生じてしまう現象で、ウォーカー効果とも呼ばれる。通常に歩いている時は、脳が無意識的にコントロールしており、稼働中のエスカレーターに合わせた動きをするが、停止した状態でも、無意識に稼働中のエスカレーターに合わせた動きをしてしまうことが原因と言われる。普通の階段でも、見た目をエスカレーター風に変えると、同様の現象が出るという。