3月8日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

みつばちの日。
東京都台東区雷門に所在する業界団体、全日本はちみつ協同組合と、東京都中央区新川に所在する業界団体、日本養蜂はちみつ協会(1948[昭和23]年に日本養蜂協会として社団法人化され、1969[昭和44]年に日本養蜂はちみつ協会と名称変更した後、2014[平成26]年には一般社団法人日本養蜂協会となる)が制定。日付は、3月8日の「3」と「8」で、「みつ(3)ばち(8)」と読む語呂合わせから。ミツバチ(蜜蜂)とは、ハチ目(膜翅目)ミツバチ科ミツバチ属に属する昆虫の一群で、花の蜜を加工して巣に蓄え、蜂蜜とすることで知られている。日本では、ニホンミツバチ、セイヨウミツバチの2種が飼育(養蜂)され、蜜の採取が行なわれている。また、作物の受粉にも広く用いられるが、トマトやピーマン等のナス科の果菜類は、蜜を出さず特殊な振動採粉を行なうため、ミツバチではなく、マルハナバチ(ミツバチ科マルハナバチ属)が使われる。セイヨウミツバチの養蜂においては、規格化された巣箱を用いて大規模な採蜜が行なわれるが、ニホンミツバチの場合は、一部の養蜂家がハニカム人工巣(正六角形、又は正六角柱を隙間なく並べた構造の巣箱)を用いた養蜂を行なっているが、多くは野生集団を捕獲して飼育し、採蜜の際は巣を破壊して搾り取る、という伝統的な手法が主であり、蜂蜜の流通量も少ない。日本では、2012(平成24)年6月に「養蜂振興法(昭和30年8月27日法律第180号)」が改正され(「養ほう振興法の一部を改正する法律[平成24年6月27日法律第45号]」、法律名も「養ほう振興法」から「養蜂振改題興法」に改題される)、原則として蜜蜂を飼育する場合には、都道府県知事への飼育届の提出が必要となった。人間は、主に蜂蜜や蜜蝋(蜂ろう)、プロポリス、ローヤルゼリー、花粉等をミツバチの生活環から得て利用をしている。蜂蜜は、花から得られる糖分と水分、ミツバチ体内の転化酵素が濃縮された物質である。有史以前から甘味料として利用され、現在では製菓原料、化粧品原料、栄養食品等にも利用される。蜜蝋(蜂ろう)は、ミツバチが体内で合成し分泌する物質である。ワックス成分で巣の主要な構成材料となっている。中世ヨーロッパでは、ろうそくの主原料であった。蜜蝋自体は食品とはならないが、ワックス、油絵具等のメディウム(薄め液)、石鹸、クリーム、口紅、蝋燭等の原料として利用される。プロポリスは、植物が芽等を保護する目的で分泌した滲出物をセイヨウミツバチが集めた物質で、巣の接合部位や巣材の蜜蝋の補強材料として、また、巣のすき間を埋めるのに使う物質である。抗菌性や抗腫瘍性成分等が注目され、健康食品として利用されている。プロポリスを集めるセイヨウミツバチの働きバチは専門化していて、花粉と同じように後脚に付けて運ぶ。セイヨウミツバチの亜種間でプロポリスを集める性質に差があり、コーカシアンやインターミッサはよく集めるが、エジプト蜂やカーニオランは余り集めない。コミツバチ亜属の2種は、開放空間の植物の枝に1枚の巣板を作る。この巣へのアリの侵入を防ぐために、植物の樹脂を営巣した枝の巣の近く、約2cmから約3cmのところに塗布する。オオミツバチでも、巣の接合部の補強材料としてプロポリス様の樹脂を使う。トウヨウミツバチはプロポリスを集めない。ローヤルゼリーは、働きバチが体内で合成し咽頭腺から分泌する物質である。ローヤルゼリーのみで育てられたメスの幼虫だけが、女王バチとして成長する。ゲノム解析(多くの生物の遺伝情報を解明すること)により、女王バチと働きバチのゲノム(生物の生活機能を営む上で、必要な遺伝子を含む1組の染色体)に違いがないことが明らかになっており、どのメスの幼虫も女王バチになる可塑性を持っている。働きバチは、幼虫の餌やローヤルゼリーの原料とするため、花粉をだんご状にして後脚の脛節にある花粉かごに付けて運び、巣に蓄える。この花粉団子は、ビーポーレンとも呼ばれ、主に乾燥物が健康食品として利用されている。ミツバチの働きバチは、受精卵から発生する2倍体であり、全てメスである。通常メスの幼虫は、主に花粉と蜂蜜を食べて育ち働きバチとなるが、働きバチの頭部から分泌されるローヤルゼリーのみで育てられたメスは、交尾産卵能力を有する女王バチとなる。オスは、未受精卵から発生する1倍体であるが、巣の中では働きバチに餌をもらう以外、特に何もしない。働きバチに比べて体が大きく、働きバチや女王バチよりも複眼と単眼が非常に発達していることが外見上の特徴である。オスバチを指す英語「drone」は、「なまけもの」の意味である。 
三矢の日。 
味、品質、安全性等、自信を持って勧められる優良農産品を、「三矢ブランド」として認定している、広島県安芸高田市が制定した日で、「三矢ブランド」のPRと普及が目的。広島県安芸高田市は、「三矢の教え」の基となったとされる、14ヶ条の遺訓(三子教訓状)で知られる毛利元就の縁の地であり、「三矢ブランド」はその教訓の如く、市と農業協同組合(JA)、生産者の連携から生まれた。日付は、3月8日の「3」と「8」で、「三矢(みつ[3]や[8])」と読む語呂合わせから。三矢ブランドは、広島県安芸高田市の新鮮で安全な水と空気と大地で育まれた農産品で、米「あきろまん」をブランド化した「三矢御膳」、はぶ草茶「三矢えびす」、石臼挽きの「三矢そば」がある。毛利元就は、安芸国(現在の広島県西部)の小規模な国人領主(在地の実質上の領主)に過ぎなかったが、暗殺や買収、婚姻や養子縁組等、様々な権謀術数を駆使して中国地方のほぼ全域に勢力を拡大し、一代で大国を築き上げた。用意周到、かつ合理的な策略、及び危険を顧みない駆引きで、自軍を勝利へ導く策略家として知られている。子孫は長門国/周防国長州藩の藩主となったことから、長州藩の始祖としても位置付けられる人物である。14ヶ条の遺訓(三子教訓状)は、毛利元就が3名の息子達(嫡男[一般に、正式な妻である正室の生んだ男子の内、最も年長の子を指す]の毛利隆元、次男の吉川元春、三男の小早川隆景)に、一致協力して毛利家を末永く盛り立てていくように諭した、というもので、この教訓状は、文字通り3名の息子達宛てに書かれたものではあるが、一族協力を説いた倫理的な意味だけでなく、安芸国の一国人領主から、5ヶ国を領有する中国地方の領主に成上がった毛利氏にとって、戦国大名としては、独自の「毛利両川体制」とも呼ぶべき新体制を採ることを宣言した、政治的性格を帯びている。「三矢の教え」は、三子教訓状と似通っている訓戒ではあるが、教訓状にはその記述がない。そもそも史実では、毛利元就が死の間際に、3名の息子に教訓を残すことは不可能な状況である。長男の毛利隆元は、毛利元就より約8年も早く亡くなり、次男の吉川元春は出雲国(現在の島根県東部)で在陣中であり、毛利元就の死を見届けたのは、三男の小早川隆景と、実質的な毛利家当主となっていた毛利隆元の長男、毛利輝元のみとなっている。 
三板(サンバ)の日。 
代表的な琉球楽器の1つで、優れた奏法と表現力を持つ三板(サンバ)は、文字通り三枚の板を紐で繋ぎ、指の間に挟んで打つ軽打楽器である。世界に誇るこの沖縄の名楽器の素晴らしさを、多くの人に知ってもらおうと、沖縄県沖縄市久保田に所在する日本三板協会が制定した。日付は、3月8日の「3」と「8」を、「三板(サン[3]バ[8])」と読む語呂合わせから。この日には、三板の講習会やライブ活動等が行なわれる。2001(平成13)年3月8日に「三板を世界にも広めよう」と発足した日本三板協会は、2010(平成22)年6月1日に、沖縄三板協会と名称を変更した。三板(三羽とも呼ばれる)は、現在では沖縄音楽で用いられる、文字通り3枚の板で構成される小型の打楽器で、黒檀や樫等の堅い素材を用いた板片の、上部を紐で繋いだもので、カスタネットのような鳴らし方もされる。沖縄民謡歌手・三線(弦楽器の一種で、沖縄県で主に用いられる)奏者で、美声と溢れるアイデアで戦後民謡の黄金期を築き、沖縄民謡の大家とされる喜納昌永が、中国から伝来した三板(さんばん)にヒントを得て発明し、また、その基本的な演奏技法も開発した。