3月3日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1875年 - フランスの作曲家、ジョルジュ・ビゼーが作曲したオペラ『カルメン』が、フランスの首都パリにある劇場、オペラ=コミック座で初演。オペラ『カルメン』は、フランスの官吏・歴史家・作家であるプロスペル・メリメの中編小説『カルメン』を基にしたもので、初演は不評であったが、その後にフランスの作曲家、エルネスト・ギローにより台詞をレチタティーヴォ(オペラ等の中に置かれるもので、独唱が用いられる、概して大規模な組曲形式の作品の中に現れる歌唱様式の一種)に改作されて上演され、人気を博すようになる。現在では、フランス歌劇の代表作として世界的に人気がある。 
1878年 - オスマン帝国(現在のトルコ共和国の前身)とロシア帝国が、1878年の露土戦争(ヨーロッパの南東部、バルカン半島に在住するオスマン帝国領下のスラヴ系諸民族が、トルコ人の支配に対して反乱し、それを支援する形でロシア帝国が介入して起こった戦争で、ロシア帝国の勝利で終わった)の講和条約、サン・ステファノ条約を結び、東ヨーロッパのバルカン半島に位置するブルガリアが、自治公国(大ブルガリア公国)として独立する。
1879年 - アメリカ合衆国内務省の傘下にある研究機関、アメリカ地質調査所が設置される。 
1885年 - アメリカ合衆国最大手の電話会社、アメリカ電信電話(AT&T)が設立される。 
1904年 - ドイツ帝国第3代皇帝ヴィルヘルム2世が、世界で初めて政治演説をレコードに録音する。 
1909年 - 博多駅駅舎完成(2代目駅舎、明治42年駅舎)。1889年12月11日の開業で、九州の鉄道で最大の需要のある駅にも係わらず、規模が小さかった初代博多駅は、駅の改築が計画される。新駅舎はルネサンス建築様式(古典古代[古代ギリシャ・ローマ時代を指す名称]を理想とするルネサンスの建築における表現)で、豪華な煉瓦造りの2階建てとなる。
1915年 - アメリカ合衆国で、航空工学の研究の請負、推進、制度化等を担う国家航空諮問委員会(NACA)が設置される。1958年10月1日にこの組織は解体され、資産や人員、研究施設は、新設されたアメリカ航空宇宙局(NASA)に移っている。アメリカ航空宇宙局(NASA)は、アメリカの宇宙開発における国家的努力を、それ以前よりもさらに充実させ、アポロ計画における人類初の月面着陸、スカイラブ計画における長期宇宙滞在、さらに、宇宙往還機スペースシャトル等を実現させている。
1918年 - ロシアとウクライナのボリシェヴィキ政府(ソビエト連邦の前身)が、ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国・ブルガリア王国とブレスト=リトフスク条約を結び、ロシアは第一次世界大戦から離脱する。
1921年 - 皇太子裕仁親王(後の第124代天皇、昭和天皇)がヨーロッパ歴訪に出発(皇太子裕仁親王の欧州訪問)。日本の皇太子がヨーロッパを訪問したのは初めてのことであり、日本国内でも大きな話題となる。 
1922年 - 全国水平社が結成される。全国水平社は、第二次世界大戦以前の部落解放運動団体である。第二次世界大戦後に発足した部落解放全国委員会、及び部落解放同盟の前身に当たる。日本で初めての人権宣言、「水平社宣言」が宣言される。  
1923年 - アメリカ初であり、世界初でもある週刊ニュース雑誌『タイム』が創刊される。『タイム』は、政治・経済・最先端科学・エンターテイメント等、あらゆる情報を網羅している。 
1924年 - 西アジアのアナトリア半島(小アジア)と、東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有するトルコで、約1,400年続いたカリフ(イスラーム国家の指導者、最高権威者の称号)制が廃止され、最後のカリフとなったアブデュルメジト2世ら、オスマン王家(トルコの前身、オスマン帝国の皇帝の家系として続いた皇帝家)の全構成員が国外追放される。
1927年 - アメリカから日本へ親善のために贈られたいわゆる「青い目の人形」の歓迎式典が、『日本青年館』等で催される。なお、初代『日本青年館』は、1925年に青年団(日本の各地域毎に居住する、20歳代から30歳代の青年男女により組織される団体)のための施設として開館する。老朽化により、1979年には、2代目『日本青年館』が竣工した後、現在の3代目『日本青年館』(東京都新宿区霞ヶ丘町に所在する、ホテルやホール等を備える複合施設)が2017年に開館している。
1931年 - アメリカ合衆国の弁護士で詩人のフランシス・スコット・キーによって書かれた『星条旗』が、アメリカ合衆国の国歌として制定される。なお、曲名を「星条旗よ永遠なれ」とする例が間々あるが、「星条旗よ永遠なれ」は、元アメリカ海兵隊音楽隊隊長の作曲家、ジョン・フィリップ・スーザによる行進曲であり、全く別の曲である。こちらは、アメリカ人の愛国心の象徴とも言える行進曲で、1987年12月に、アメリカ合衆国の「国の行進曲」と制定されている。   
1933年 - 昭和三陸地震。岩手県上閉伊郡釜石町(現:岩手県釜石市)の東方沖を震源としてアウターライズ(海溝上縁隆起帯)地震が発生。海洋プレートが陸地側に潜り込んだ歪みを解消するため、陸地側プレートが反発した時に、プレート境界型地震が起こる。歪みは、これから沈み込む海洋プレート側(海溝よりも更に沖側)にも溜まっており、海底が隆起している場合がある(アウターライズ・海溝上縁隆起帯)。この歪みは、プレート境界型地震の発生によって解消されるとは限らず、プレート境界型地震の前後等に、解消されなかった歪みによってずれや割れが生じ、地震を発生させることがある。アウターライズ(海溝上縁隆起帯)で発生するため、これが、主にアウターライズ地震と呼称される。昭和三陸地震は、1896年明治三陸地震に影響を受けたとみられている。気象庁の推定による地震の規模は、マグニチュード(M)8.1。最大震度は震度5(強震)と、地震規模に比べて地震による直接の被害は少なかったが、その一方で、強い上下動によって発生した大津波が襲来し、被害は甚大となる。死者1,522名、行方不明者1,542名、負傷者12,053名、家屋全壊7,009戸、流出4,885戸、浸水4,147戸、焼失294戸等。特に、被害が大きかったのは、岩手県の下閉伊郡田老村(現在の岩手県宮古市の一部)で、死者520名、行方不明452名を数え、津波が襲来した後の田老村は、家が殆どない更地同然の姿となっている。 
1933年 - 台湾では有名な理系・科学技術系の大学、健行科技大学の前身である三極電信学校が、中国大陸東部に所在する上海市で開校。 
1938年 - 「黙れ」事件(国家総動員法「黙れ」事件)。「国家総動員法(昭和13年4月1日法律第55号)」の衆議院委員会審議で、陸軍省軍務課新聞班長佐藤賢了中佐が政府側説明員として、長時間に亘り法案の趣旨説明を行なう。その余りの長広舌に対して、議員より「いつまでやるつもりだ」という趣旨の野次が飛んだ際、佐藤賢了中佐は「黙れ!」と恫喝する。議場は騒然とし、事態収拾のため、陸軍大臣(大日本帝国陸軍の軍政機関[軍隊に関する事務を統括する行政組織]、陸軍省を担当した国務大臣)の杉山元が陳謝する。 
1945年 - 第二次世界大戦: アメリカ軍とフィリピン軍が、日本が占領していたフィリピンのルソン島中西部にあるマニラ(現在のフィリピンの首都)を奪還。 
1946年 - 「物価統制令(昭和21年3月3日勅令第118号)」公布。「物価統制令」は、第二次世界大戦後の物価高騰(インフレーション[インフレ])に当たり、物価の安定を確保して社会経済秩序の安定を維持し、国民生活の安定を図ることを目的としている。「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く通商産業省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年4月12日法律第87号)」により、現在に至るまで法律としての効力を持ち、改正は法律によって行なわれる。