3月3日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

耳の日。
東京都港区高輪に事務局を置く社団法人日本耳鼻咽喉科学会(2012[平成24]年に、一般社団法人として認可されている)が1956(昭和31)年に制定し、1957(昭和32)年より実施されている。3月3日の「33」が、「み(3)み(3)」と読めることに由来する。「3」が耳の形に似ているから、また、電話の発明者であるアレクサンダー・グラハム・ベルの誕生日(1847[弘化4]年3月3日)であったから、とも言われる。耳の衛生についての知識の普及、聴覚障害の予防・治療等の理解を深めることが目的。また、3月3日は、三重苦のヘレン・ケラー(アメリカの社会福祉事業家・教育家・著作家)に、アン・サリヴァンが指導を始めた日でもある。1887(明治20)年、ヘレン・ケラーの両親は、聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グラハム・ベルを訪れ、アレクサンダー・グラハム・ベルの紹介で、アメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校の校長マイケル・アナグノスに手紙を出し、家庭教師の派遣を要請した。3月3日に派遣されてきたのが、同校を優秀な成績で卒業した当時20歳のアン・サリヴァンであった。耳は、動物の器官の1つで、音を適刺激とする感覚器であると同時に、重力の向きと加速度を適刺激とする感覚器でもある。一般に、聴覚にとって重要な器官として広く認知されているが、聴覚以外にも平衡覚と回転覚を感知しているため、合わせて平衡聴覚器とも言う。音波を受容し、それを感覚神経に伝える構造を持つのが耳である。動物全体で見ると、耳を持つ種の割合はそれ程多い訳ではないが、脊椎動物には耳を持つ種が幾つも見られる。なお、殆どの哺乳類(ヒトを含む)においては、五感を司る器官の中でも、耳は生まれた時、既に成体に近いレベルまで発達している。これは、外界の危険を感じ取ったり、親とのコミュニケーション(ヒトの場合、特に言語)を維持・学習するために必要であるから、と考えられる。但し、ヒトの聴覚は発育と共に徐々に発達していくもので、乳児は成人と同じ聴覚をもってはいない。何千年も昔から、伝統的に耳介(動物の耳の内、外に張り出て飛出している部分)のピアス等、宝石等が装飾された。中には、装飾に耳たぶを伸ばして大きくする目的を持たせた文化圏もある。耳(耳介)は、外観上目立つ部分なので、イヤリング等で装飾されたり、眼鏡の装着場所としても利用されたりする。また、コスプレ等において、例えばバニーガールでは、ウサギの耳介を模した装飾を付けたり、ある種の衣装では、他の動物の耳介を模した装飾(猫耳等)を付けたりする例が見られる。さらに、そのようなヒトと他の動物の耳介をくっつけたイラスト等も存在する。
耳かきの日。 
耳の衛生について、知識の普及や聴覚障害の予防・治療等への理解を深めることを目的に、3月3日の「3」と「3」で、「耳(み[3]み[3])」と読む語呂合わせから制定された「耳の日」。その日を、馴染み深い耳用品の「耳かきの日」にも、と制定したのは、神奈川県横浜市西区北幸に本社を置く耳かき具のトップメーカー、株式会社レーベン販売。耳かき具を通じて、耳の衛生の大切さをアピールすることが目的。株式会社レーベン販売は、耳かき具等の生活用品、手で使う手道具を取扱い、ブランド名でもある「ののじ」のサイトを運営している。「ののじ」とは、漢字で「野々慈」と書き、「広々とした野原の慈しみや謙虚さを重んじる心」という意味。昔から恥ずかしい時や照れた時等に、畳に「の」と描く動作を、「のの字を描く」と言われている。そんな「ののじ」ブランドの1つとして、株式会社レーベン販売では、かき心地の好みや、耳穴の大きさでヘッド部分の形状を選べる、「ののじ耳かき」シリーズを製造・販売している。日本における一般的、かつ伝統的な耳掻きは、竹を素材にしたものが多く、携帯用等短いものもあるが、約13cmから約15cm程度のものが殆どである。棒の最大径はおよそ4mmで、前後は多少細く絞られている。さじと呼ばれる先端部は、曲げ加工、又は切削によって形が作られた丸いヘラ状で、おおよそ45度程度に曲げられており、厚さは約1mm程度である。このへら部分の幅も、4mm程度となっている。さじの反対側(後端)には、梵天(凡天、ぼんてん)と呼ばれる鳥の羽毛が付けられているか、小さな人形やこけしといった飾りが付いている。梵天は、水鳥(カモ、アヒル)の羽毛を糸で束ね、それを接着する等したもので、膨らんだ時の最大径は35mm程度である。耳掻きの仕上げに、耳に差込んで軽く拭う等して用いられる。大抵の製品は耳の穴に入るサイズではないが、一部には、比較的奥まで差込めるようなサイズの小さい梵天を持つものもある。飾り物に工夫を凝らしたものが、観光地における土産物として定番となっている。料理等の際に調味料を合わせる時、「耳かき一杯程度」等として、分量の目安に使われることもある。これは、形状・サイズとも全国的に一定であるためとされるが、但し、これは「ほんの少し」の比喩的表現であり、実際に耳掻きで計量されることは非常に稀である。記録に残っている日本における最初の耳掻きは、簪(かんざし、女性が髪を結う時に使う日本の伝統的な装身具)に由来するものであるという。これの端をへら状にしたものが出始めたのが耳掻きの始まりで、江戸時代、高橋図南という人物により、18世紀前半の享保年間に発明された、とされる。職業の一環として耳かきを行なうものとして理容室(床屋)が挙げられるが、江戸時代には、耳かきを専門に行なう職業「耳垢取」があった。また、理容室とは別に、2005(平成17)年7月26日に厚生労働省が「医師法(昭和23年7月30日法律第201号)」第17条、「歯科医師法(昭和23年7月30日法律第202号)」第17条、及び「保健師助産師看護師法(昭和23年7月30日法律第203号)」第31条の解釈についての通知によって、耳垢の除去が医療行為として該当しなくなったことから、東京、大阪、名古屋等の大都市圏を中心に、耳かき専門の店舗が増えつつある。超小型のカメラで自分の耳の中を見ながら耳かきをしてくれる店もあれば、若い女性が膝枕をしてくれる店もある等、顧客の需要に応じて、様々なタイプの店舗が存在する。また、エステティックサロンにおける、「イヤーエステ」等と呼ばれるコースの中には、大抵の場合、耳かきが含まれる。「耳かき」を掲げている店舗は、いずれも医療機関や施術所・治療院の類いではないため、健康保険は全く利用できない。また、耳垢が硬化していると、医療機関の耳鼻科に通院しないと除去できない場合もある。綿棒は、木や紙、又はプラスチックの棒の先端に、脱脂綿を巻き付けたもので、現在の綿棒には様々なものがある。軸は、概ね直径2㎜程度の細い棒状であるが、材質は木、紙、プラスチックが用いられる。先端には、脱脂綿が約1cmから約1.5cmに亘って、綿球状に固く巻付けられているが、多用途化に対応すべく、丸いもの(正確には水滴型)、先端が尖ったもの、太いもの(ゆるく球状に巻付けたもの)、さらには、絞り加工により段々を付けたもの等が、市場に出回っている。綿棒の一般的な用途は耳掃除であり、耳介から外耳道を掻く(拭う)のに適している。
mimi no hi(ミミの日)。
東京都渋谷区恵比寿西に本社を置く、ファッションジュエリーの企画、デザイン、販売を手掛ける企業、株式会社テイクアップが制定。ピアスショップ「TAKE-UP」を運営する株式会社テイクアップが、「耳まわりのオシャレをもっと自由に楽しんでもらい、その思いを叶えられるブランド」として、多くの人に「TAKE-UP」を知ってもらうことが目的。日付は、3月3日の「3」と「3」で、「耳(み[3]み[3])」と読む語呂合わせから。「装身具」のことを「ピアス」と称しているのは、日本独特のもの(和製英語)で、また、日本において、耳に穴を開けずに耳に装着する装身具のことを「イヤリング」と称しているが、それも和製英語である。日本にピアスが少なかった時代、海外のピアスに魅せられた「TAKE-UP」は、「海外のピアスに憧れるだけではなく、日本の女性に合うような繊細なデザインでしっかりしたつくりのピアスを届けたい」と考え、1981(昭和56)年に日本初のピアスショップを東京・渋谷にオープンした。ピアスからスタートしたからこそ、ピアスに強い思い入れを持ち、現在に至るまで、「ピアスを愛するすべてのお客様に満足してもらいたい」と願い、「TAKE-UP」はピアスを作り続けている。