3月1日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

未来郵便の日。 
未来に向けて発信し、5年後、10年後の指定した日に届く未来郵便制度を発足させた、長野県下水内郡栄村北信に所在する、栄村国際絵手紙タイムカプセル館と、その運営を手掛ける企業、絵手紙株式会社が制定。日付は、3月1日の「3」と「1」で、「未来(み[3]らい[1])」と読む語呂合わせから。「未来に届ける大切なメッセージ」という公募展等を開催する。2007(平成19)年7月にオープンした絵手紙タイムカプセル館の施設内には、絵手紙万葉集常設展示室、山路智恵絵手紙美術館に加え、2015(平成27)年春より、さかえ倶楽部スキー場の展示館が「白い森の美術館」としてリニューアルオープンした。2000(平成12)年、東京都中央区日本橋に事務局を置く一般社団法人日本絵手紙協会が、「20世紀忘れないよ こんにちは21世紀」と題して絵手紙を募集し、国内外から約63万通の絵手紙が届けられた。その後、日本絵手紙協会、及び栄村が募集した絵手紙を合わせ、絵手紙タイムカプセル館には、約120万通の絵手紙が保管されている。これらの絵手紙を永久保存し、新しい世代にメッセージを伝え、手書きの文化を残す活動を行なっている。また、「未来に届ける大切なメッセージ」という公募展等を開催している。東京都品川区大崎に本社を置き、長野県下水内郡栄村大字北信に長野支社を置く絵手紙株式会社は、絵手紙用品・書籍の開発、販売 ギャラリー、美術館運営を事業内容としている。絵手紙は、手紙の一種で、「絵のある手紙をかき送ること」である。はがきに花や野菜等、身近にあるものを書き、絵手紙を送る相手に最も伝えたい気持ちを短い言葉で添える。 モットーは、「ヘタでいい・ヘタがいい」とされている。テクニックよりも、自分らしさがハガキの中に出ているかどうかを大切にする。また、「手紙」という性質上、絵は添え物で、言葉(書き手の気持ち)の方を重視する「絵のある手紙」自体は古くからあるが、「絵手紙」というジャンルが確立されたきっかけは、書道家の小池邦夫が、1978(昭和53)年から1979(昭和53)年にかけて、芸術誌『季刊 銀花』(文化出版局)へ綴込み企画として、6万枚の直筆絵手紙を発表したこととされている。 現在は、中高年層を中心に、趣味の一環として広まり始めている。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる詩人・書家、相田みつをは、絵手紙と同様の、手書きによる詩画作品で有名となっている。技巧派の書家として出発した相田みつをは、専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになり、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書く作風を確立した。   
再石灰化の日。
東京都港区東新橋に本社を置く、乳酸菌飲料メーカーとしては国内最大手で、食品、化粧品、医療品等の事業を手掛ける企業、株式会社ヤクルト本社が制定。自社製品のハミガキ「薬用 アパコートS.E.<ナノテクノロジー>」の活用を通して、歯の大切さや、口の中の健康を訴える日、とすることが目的。日付は、「薬用 アパコートS.E.<ナノテクノロジー>」に配合されている薬用ハイドロキシアパタイトが、歯のエナメル質にできた初期むし歯を再石灰化することから、3月1日の「3」と「1」を、再石灰化の「再(さ[3]い[1])」と読む語呂合わせから。歯の表面に付着したプラーク(歯垢)が、その直下の歯の表面を最も良く脱灰(溶かすこと)するのは、虫歯菌が砂糖等を取込み、歯に穴を開けるための酸を放出するため、食事や間食の後となる。歯の一番外側を覆っている固いエナメル質に酸が付着すると、歯の表面からミネラルやイオン等が流れ出すが、これが脱灰と呼ばれる現象である。この一度は溶け出たイオンやミネラルが、再び歯の表面に戻って、溶かされた歯の表面を修復する作用のことを、再石灰化と呼んでおり、これらはほぼ食事の度に繰り返される。そして、修復が間に合わないと、次第に穴となっていく。再石灰化現象では、溶かされた歯の表面のエナメル質を、ただ元に戻すのではなく、結晶構造を変化させて、溶ける前の歯よりも硬くて、虫歯に強いエナメル質に変化させることができる。再石灰化の主役は唾液で、就寝前の飲食が虫歯の原因になるのは、就寝中は唾液の少なくなり、再石灰化が殆ど行なわれないためと考えられている。再石灰化を促進するためには、歯垢をブラッシング等できれいに落とすこと、唾液が充分に歯の表面に接触するようにしておくこと、フッ素や薬用ハイドロキシアパタイトが配合された歯磨き粉を使用すること等が大切となる。  
「未唯mie」の日。 
コンサート、CD、舞台、テレビ、ラジオ、CM等、多方面で活動するアーティストの「未唯mie」。その記念日を作り、ファンとの交流を深めることを目的に、1970年代後半に活躍したデュオのアイドル、元ピンクレディーの「ミー」こと根本美鶴代が制定。日付は、3月1日の「3」と「1」で、「未唯mie(み[3]い[1])」と読む語呂合わせから。この日を中心に、ファンツアーのライブ等を行なっている。「未唯mie」は、1976(昭和51)年、デュオのアイドル歌手、ピンク・レディーのメンバーの1人、ミーとしてメジャーデビューを果たした。ピンク・レディーが解散した後、暫くは「MIE」という芸名であったが、1998(平成10)年に未唯(みい)と改名。2006(平成18)年からは表記を「未唯mie」に改めた。ケイ(歌手・女優・タレントの増田恵子)とのデュオであったピンク・レディーは、日本テレビの視聴者参加型歌手オーディション番組『スター誕生!』への出演をきっかけとしてプロデビューした。『スター誕生!』への出演時は、2人お揃いのオーバーオールを着て、素朴な雰囲気で登場したが、歌手デビューに際し、全く異なるキャラクターにプロデュースされる。手足を露出したキラキラ光る生地のミニの衣装と、リズムやビートを強調した曲調によって、田園風景が似合う素朴な2人組が、派手な歌謡デュオになった。大胆に太ももを開いたりする激しくセクシーなダンスを行なうことから、デビュー当初は、成人向け深夜番組の出演が多かった。ピンク・レディーの多くの楽曲を手掛けた作曲家の都倉俊一は、「カクテルのピンク・レディーに因み『ピンク・レディー』と命名したので、『ピンク・レイディーズ』(複数形)にはしなかった」と述べている。デビュー直後にはキワモノ的な見方もされたが、まずは、当時の子ども達が振付け(全て、人気振付師土居甫の手によるもの)を熱心に覚えて真似をし始めた。そのため、1970年代前半に人気を博した山本リンダに代表される、かつてのセクシー歌手とは対照的に、老若男女に幅広く人気を獲得することに成功する。レコードが大ヒットするだけではなく、人気が高まるにつれ、衣料品や文房具、食器、自転車や食品まで、多くの業種のさまざまな商品に、2人の姿がプリントされたキャラクターグッズが販売され、ピンク・レディーの存在は、想像を絶する巨額の経済効果を派生させることになった。第4弾シングルの「渚のシンドバッド」(1977[昭和52]年6月発売)は、ピンク・レディー初のオリコン調べでのミリオンセラーとなった。この曲によって、ピンク・レディーの人気は「社会現象」となり、日本列島に「ピンクレディー旋風」が吹荒れた。1981(昭和56)年のグループ解散後、「未唯mie」は、ソロ歌手の他、タレントや女優等、幅広く活躍し、幾度か再結成されたピンク・レディーにおいては、現役時代と変わらぬスタイルとライブパフォーマンスを見せた。近年では、ホール公演やディナーショーばかりではなく、小規模客席数のライブハウス等でも、多く公演を行なっている。
Pontaの日。
東京都渋谷区恵比寿に本社を置く、ポイント事業・マーケティング事業等を行なう企業、株式会社ロイヤリティ マーケティングが制定。日付は、株式会社ロイヤリティ マーケティングの手掛ける共通ポイントサービス「Ponta(ポンタ)」のサービス開始日、2010(平成22)年3月1日、及び、キャラクターの「Ponta」の誕生日、3月1日から。「Ponta(ポンタ)」は、1枚のポイントカードで様々な提携店舗の共通ポイントを貯めて、使うことができる便利でおトクなサービス。共通ポイントサービス「Ponta(ポンタ)」の記念日を制定することで、1億人以上のPonta会員への感謝の気持ちを伝える日とすると共に、感謝を還元する気持ちを忘れないことの表明が目的。「Ponta」というネーミングは、消費者・提携企業にとっての「Point terminal(ポイントターミナル)」になるという意味と、「ポイントがポンポンたまる」様子を親しみ易い表現で示したものである。「ポンポン」というイメージから想定されるものとして、イメージキャラクターはタヌキをイメージしている。