3月1日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ビキニ・デー。
1954(昭和29)年3月1日、太平洋中西部の洋上にある、ミクロネシアのマーシャル諸島に属する環礁(環状に形成される珊瑚礁)、ビキニ環礁でアメリカが行なった水爆実験により、静岡県焼津市のマグロ漁船『第五福竜丸』が多量の放射性降下物(いわゆる死の灰と呼ばれるもので、核兵器や核実験、原子力事故等で生じた放射性物質を含んだ塵を言う)を浴びた。乗組員全員が被爆し、久保山愛吉無線長が約半年後に死亡した。この死が国内外に衝撃を与え、3月1日は「ビキニ・デー」として、原水爆禁止運動の記念日となり、世界的に継続的な活動が行なわれている。実験当時、『第五福竜丸』は、アメリカが設定した危険水域の外で操業していた。危険を察知し、海域からの脱出を図ったが、延縄の収容に時間が掛かり、数時間に亘って放射性降下物(いわゆる死の灰)の降灰を受続けた。船体や人体を十分洗浄もしないまま、強い放射能汚染のある状態で、帰港までの約2週間船上で生活をした。乗組員達は放射線による火傷、頭痛、嘔吐、眼の痛み、歯茎からの出血、脱毛等の症状を呈し、「急性放射線症」と診断された。『第五福竜丸』は、1947(昭和22)年、和歌山県東牟婁郡古座町(現在は和歌山県東牟婁郡串本町の一部)でカツオ漁船『第七事代丸(だいななことしろまる)』として進水。その後、静岡県焼津市でマグロ漁船に改造され、『第五福竜丸』となる。操業中に死の灰を浴びて被曝した後、3月14日に焼津港に帰還して検査を受けた際、船体から30m離れた場所で放射線を検出したことから、鉄条網が張られた状態で係留された。その後、文部省(現在の文部科学省の前身の1つ)が船を買上げ、8月に東京水産大学(現在の東京海洋大学の前身の1つ)品川岸壁に移される。この後、さらに検査と放射能除去が行なわれた後に改造され、東京水産大学の練習船『はやぶさ丸』として、第二の道を歩むこととなった。この時代の母港は、千葉県館山市であった。約10年の間、学生の航海実習に使用されたが、1967(昭和42)年に老朽化により廃船となり、使用可能な部品が抜き取られた後に、東京都江東区夢の島の隣の第十五号埋立地に打捨てられるが、同年、東京都職員らによって再発見されると保存運動が起こり、現在は、東京都江東区夢の島にある東京都立のスポーツ公園「夢の島公園」内の展示施設「東京都立第五福竜丸展示館」に永久展示されている。1976(昭和51)年6月10日、「東京都立第五福竜丸展示館」は、核兵器や核実験による惨事が、二度と引起こされないことを願いとして開館した。1946(昭和21)年、アメリカ合衆国は当時信託統治領であったビキニ環礁を太平洋核実験場に選んだ。1948(昭和23)年には実験場が隣のエニウェトク環礁に変更されたが、1954(昭和29)年には再度ビキニ環礁に戻り、核実験は1958(昭和33)年7月まで続けられた。この12年間に、23回の核実験が実施された。1954(昭和29)年3月1日のキャッスル作戦(ブラボー実験)では、広島型原子爆弾約1,000個分の爆発力(15Mt)の水素爆弾が炸裂し、海底に直径約2km、深さ約73mのクレーターが形成された。この時、日本のマグロ漁船『第五福竜丸』等、約1,000隻以上の漁船が死の灰を浴びて被曝した。世界初の核実験であるトリニティ実験は、1945(昭和20)年にアメリカ合衆国本土(南西部)のニューメキシコ州で行なわれた。第二次世界大戦後は、アメリカ合衆国によって占領・統治(1947[昭和22]年以降は国際連合からの信託統治)することとなったマーシャル諸島において、核実験が行なわれるようになった。地下を除く大気圏内、宇宙空間、及び水中における核爆発を伴なう実験の禁止を内容とする「大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(部分的核実験禁止条約、昭和39年条約第10号)」の締結と共に、アメリカ合衆国西部、ネバダ州のネバダ砂漠にあるネバダ核実験場で地下核実験が行なわれるようになり、太平洋核実験場での実験は1962(昭和37)年以降行なわれていない。アメリカ合衆国は、1958(昭和33)年から残留放射能の調査を開始し、1968(昭和43)年にはビキニ返還を約束して。放射能除去作業を開始した。ビキニ環礁に住んでいた島民は、強制的にビキニ環礁の東約200kmにあるロンゲリック環礁へ、更にその近くのキリ島へと移住させられていたが、現在も島に戻れていない。キリ島はビキニ島(ビキニ環礁)の半分の面積しかなく、約400名の住民は食糧難の下、アメリカ合衆国政府から生活保障費を受取っている。ビキニ環礁は2010(平成22)年、第34回世界遺産委員会において、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産リスト(文化遺産)に登録された。「人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例」、及び「顕著で普遍的な意義を有するできごと、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの」という、世界遺産登録基準を満たしたと見做され、登録されたという。 
切抜の日。 
1890(明治23)年3月1日、日本で最初の切抜き(クリッピング)会社である日本諸新聞切抜通信が設立されたことから、東京都新宿区大久保に本社を置く切抜き(クリッピング)会社、株式会社内外切抜通信社が2008(平成20)年に制定。日本諸新聞切抜通信は、内務省(現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身)からヨーロッパ各地へ視察に派遣された陸軍軍人・政治家の山縣有朋が、滞在中に切抜き会社を利用し、日本での創業を促したと言われている。その後、「愛国切抜」「時事通信切抜通信部」「帝国切抜通信社(大阪)」等の切抜き会社が設立された。国内外の新聞・雑誌のクリッピング、テレビやWEBのモニター調査等を手掛ける、1939(昭和14)年に創業した、業界の草分け的企業、株式会社内外切抜通信社は、依頼されたテーマに合致する記事を、人の目で探してクリッピングしている。 新聞や雑誌、WEB、TV、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス、インターネット上の交流を通して、社会的ネットワークを構築するサービス)等、様々なメディアからの情報収集と分析、メディア露出の効果測定等を行なう。例えば、ツイッター(現在のX(エックス)、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州サンフランシスコに本社を置くTwitter, Inc.のSNS[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]で、「ツイート」と呼ばれる280文字[韓国語、中国語、日本語は140文字]以内のメッセージや画像、動画、URL[インターネット上のホームページの場所を知らせる住所のようなもの]を投稿できる)において、特定のキーワードを含む「ツイート」を集計し、利用者の反応を調査すること、「Twitterクリッピング業務」(2012[平成24]年開始)等を行なっている。1972(昭和47)年に毎日新聞社と業務提携した株式会社内外切抜通信社は、広報効果測定や広告換算、分析等も行ない、国際切抜通信社連盟(FIBEP)の他、パブリック・リレーションズ(PR)を扱う企業(PR会社)等により構成された公益法人で、広報・PRパーソンの教育・研修、調査研究、顕彰事業等を実施している公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会(PRSJ)や、国・独立行政法人や地方公共団体の広報効果測定、広報誌等発行の受託、研修・出版事業等を行なう法人、公益社団法人日本広報協会、新聞、雑誌、フリーペーパー等の発行社からの部数報告を公査し、その結果を公表する活動を行なう業界団体、一般社団法人日本ABC協会(ABCは、Audit Bureau of Circulations[部数公査機構]の略称)等にも加盟している。