3月1日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第1金曜日 旧暦  1月21日、先負(甲子)、月齢 20.2  
グレゴリオ暦で年始から61日目、年末まであと305日。
誕生花 アンズ・プリムラオブコニカ・ヤグルマギク・ラッパスイセン。

労働組合法施行記念日。
1946(昭和21)年3月1日、「労働組合法(旧法、昭和20年12月22日法律第51号)」が施行された。後の1949(昭和24)年に全部改正され、「労働組合法(新法、昭和24年6月1日法律第174号)」となった。「労働組合法」は、「労働基準法(昭和22年4月7日法律第49号)」、及び「労働関係調整法(昭和21年9月27日法律第25号)」と共に、労働関係の代表的な法律、労働三法の1つとされている。また、増加する個別労働紛争(労働者が、自らの労働条件の向上を目指して行なう様々な活動)への法律による対応として、2008(平成20)年3月1日に「労働契約法(平成19年12月5日法律第128号)」が施行された。労働組合の結成の保証や使用者との団体交渉とストライキ等、労働争議に対する刑事上・民事上の免責要件等を定めている。なお、資本家に対抗するために労働力の集団的取引を確保するため、労働組合の結成を妨害することは、不当労働行為等の条文によって保護され、合法的に労働組合の結成を妨害することは不可能な構造となっている。日本において「労働法」は、法律の名称ではなく、労働事件の最高裁判所裁判例等における法律判断を含めた法体系を指す、主として講学上の用語である。日本で「労働法」という語が用いられるようになったのは早い。1920(大正9)年には、既に東京帝国大学(現在の東京大学の前身)で、末弘厳太郎(民法、労働法、法社会学を研究対象とする法学者)による「労働法制」という講義が行なわれていた。1924(大正13)年に「労働法」という名称での講義を、日本の高等教育機関で初めて行なったのは、東京商科大学(現在の一橋大学の前身)の孫田秀春(労働法の研究で知られた法学者)であり、労働事務次官を務めた労働官僚(現在の厚生労働省の前身の1つである労働省の官僚)、富樫総一等も孫田秀春のゼミナールで学んだ。富樫総一は、大学卒業後、内務省(現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身)社会局に入り、以来、奈良県警務課長、長崎県警務課長を務めた他は、一貫して労働行政に携わり、第二次世界大戦後は労働三法である「労働組合法」や「労働関係調整法」といった重要法案の立案も担当、著書も多数執筆し、労働行政において重きをなした。しかし、「労働法」は、労働運動に関するものであると政府当局に危険視されたことや、履修した学生が警戒され企業から採用されなくなったことから、この東京商科大学の労働法講義は名称を変更させられることになった。日本では、1911(明治44)年に「工場法(明治44年3月29日法律46号)」が制定されたが、内容的には低水準のものであった。日本の労働法の本格的な形成は、第二次世界大戦後に始まり、1945(昭和20)年に「労働組合法(旧法、昭和20年12月22日法律第51号)」、次いで1946(昭和21)年には「労働関係調整法(昭和21年9月27日法律第25号)」、そして1947(昭和22)年に「労働基準法(昭和22年4月7日法律第49号)」「職業安定法(昭和22年11月30日法律第141号)」「失業保険法(昭和22年12月1日法律第146号)」が制定され、独自の法分野として確立されるに至った。その後は、主として裁判所の判例法理等を取込み、労働法の体系を整備していった。「労働組合法」や「労働関係調整法」は、使用者と労働組合との関係についての法律である集団的労働関係法(労使関係法)に分類される。労働組合とは、労働者の連帯組織であり、誠実な契約交渉の維持・賃上げ・雇用人数の増加・労働環境の向上等の共通目標達成を目的とする集団である。その最も一般的な目的は、「組合員の雇用を維持し改善すること」である。略称は、労組(ろうくみ、ろうそ)、ユニオン等で、単に組合と呼ぶことがある。労働組合の歴史は18世紀に遡り、産業革命(18世紀後半のイギリスに始まった、綿工業[木綿工業]での手工業に替わる機械の発明、さらに蒸気機関の出現と、それに伴なう石炭の利用という生産技術の革新とエネルギーの変革)によって、女性・児童・農民労働者・移民労働者が多数労働市場に参加するようになった時代である。こういった非熟練労働者の集団が自主的に組織を編成したことが起源であり、後の労働組合として重要な役割を果たした。日本における労働組合は、一企業、及びそのグループ企業の従業員だけで、職種の区別なく構成する企業別労働組合を主とし、産業、地域、職種等によって組織されるヨーロッパ諸国の労働組合とは異なる特色を有している。その上で、企業別組合では対応できない課題に取組むため、これらが産業別に集まって連合体(単産)を結成し、通常、各産業の主力企業の組合が単産の主導権を握っている。一方、大手銀行や商社等の企業別組合は、こうした上部組織のいずれにも加盟せず、企業内の組合に留まっているものが多い。なお、1945(昭和20)年12月22日に「労働組合法(旧法、昭和20年12月22日法律第51号)」が公布されたことから、12月22日が「労働組合法制定記念日」となっている。
マーチの日/行進曲の日。
英語の「3月」と「行進曲」が、「March」という同じスペリングであることに因んだ記念日。行進曲の日ともいう。英語の「3月」である「March」は、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家、古代ローマで伝えられたローマ神話の、勇敢な戦の神であり、農耕の神でもある「マルス(Mars)」の月を意味する「Martius」から取られている。古代ローマの暦においては、年の最初の月は現在の3月に当たる。それを祝し、音楽と共に軍隊が行進したことから、集団が行進するための伴奏音楽、及びその情景を描写した音楽、「行進曲」の名ともなった、という説も見られる。その歴史は古く、文献や絵画等の資料によれば、古代ギリシャにまで遡ることができる。17世紀の終わり頃、オスマン帝国(現在のトルコ共和国の前身)の軍楽隊は、当時のヨーロッパ人に強烈な印象を与えた。オスマン帝国軍が強かったこともあり、これが非常にヨーロッパに流行して、模した作品が数多く書かれ、その音楽は「トルコ行進曲」と言われた。オスマン帝国の伝統的な軍楽、メフテルを演奏する軍楽隊は、メフテルハーネ (メフテルハーネ)と呼ばれ、合奏ならば、大太鼓、シンバル、トライアングルを含んだ。また、それら楽器を含む音楽が「トルコ風」として、トルコを表わすものとして使われたこともある。特殊な儀礼のための行進曲としては、結婚行進曲と葬送行進曲がある。祝典行進曲の一種として、結婚式を祝賀して作曲された行進曲が結婚行進曲で、多くの場合、新郎新婦の入場、又は退場の時に流れる。葬送行進曲は、葬儀において遺体を墓地まで搬送する時の行進(葬送)をモデルとして作曲された行進曲である。通常、葬送行進曲は、やや遅めの速度で、2拍子で書かれる。葬送行進曲は、死のイメージと直結するため、明るく華やかな長調は避けられ、主に、暗さを感じる短調で書かれることが多い。