2月29日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第5木曜日 旧暦  1月20日、友引(癸亥)、月齢 19.2 
グレゴリオ暦で年始から60日目、年末まであと306日。
誕生花 ワスレナグサ・ハマカンザシ。

二十四節気・雑節等 
草木萌え動く。
七十二候の一つ(6候)。 

閏日。
閏日とは、太陽暦において暦と季節(天動説では太陽の運行)のずれを補正する暦日のことである。ユリウス暦では4年に1度、グレゴリオ暦では400年に97度を閏年とし、2月の日数を1日増加させる。この時、付加えられた日が閏日である。1年の日数は365日ではなく365.2422日なので、そのずれを調整する為に置かれている。グレゴリオ暦では、加えられる日は2月29日である。ユリウス暦からグレゴリオ暦に改暦した歴史的な理由から、2月24日を閏日とする国もある。閏日を2月に置くことの由来は、初期のローマ暦では年始は3月1日であり、2月は年末の月であったため、年末の2月が日数の調節に使われたことに起因している。その後、ローマ暦を改暦したユリウス暦やグレゴリオ暦でも、閏日を置く月を2月とし、現在に至っている。西暦の年が100で割り切れ、かつ、400で割切れない年は、閏日を入れない平年になる。紀元前713年、最初のローマ暦を改変し、閏年では2月の日数を減らして23日とし、2月23日と3月1日の間に27日間、又は28日間の閏月を入れた。この規則がその後も踏襲され、2月24日の翌日に閏月を入れることが続いた。最終期のローマ暦は、平年の1年の長さは355日とした。4年に2度、22日間、又は23日間の閏月を交互に挿入した。22日間の閏月は2月23日の翌日から、23日間の閏月は2月24日の翌日から挿入した。挿入した日から月末までの27日間を閏月とした。このローマ暦を改変したユリウス暦では、閏日の置かれる日は引続き2月24日の翌日とした。但し、置かれる閏日は1日間となった。ユリウス暦を改変したグレゴリオ暦では、閏日を置く日をそのまま引継がず、2月28日の翌日である2月29日を閏日とした。欧州連合(EU)は、閏日としてより相応しい日は、2000(平成12)年2月29日であると決めた。ローマ・カトリック教会も2月29日を閏日であると宣言した。グレゴリオ暦を定めたローマ・カトリック教会がこの決定をしたことにより、今後は2月29日が閏日として定着する可能性は高い。2月24日が閏日とされてきた理由は、もう1つある。ローマ暦、ユリウス暦では、逆算式で日付を数えた。例えば、5月の末日を「5月31日」ではなく「6月月初の前日」と数えた。ユリウス暦での閏日の挿入方法を厳密に表わすと「閏年には3月1日の6日前と5日前の間に1日間の閏日を挿入する」となる。閏日に当たる日は、「bissextus(2度目の6日前)」と呼んだ。当時の書き方であると、「2月28日」は「3月の月初の前日」になる。ここで2月28日の翌日に閏日を挿入すると、「3月の月初の前日」は元々、この名前が付けられている2月の第28番目の日を指しているのか、それとも言葉の意味通り、3月1日の前日である2月29日を指しているのか分からなくなる。この混乱を防ぐための措置が、その後も続けられた訳である。日本では、グレゴリオ暦を採用する際、2月29日を閏日と定めた。日本においては、閏年の判定は、西暦ではなく、神武天皇即位紀元(皇紀等とも称される、初代天皇とされる、神武天皇が即位した年を元年とする紀年法[年を数えたり、記録する方法]、年を数えたり、記録する方法で、日本に伝存する最古の正史『日本書紀』の記述に基づき、元年は西暦[キリスト紀元]前660年とされている)によって行なうことが、法令により定められ、現在に至っている。1898(明治31)年に公布された「閏年ニ関スル件(明治31年5月11日勅令第90号)」では、「神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス(神武天皇即位紀元年数[皇紀年数]を4で割って、割切れる年を閏年とする」「但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス(但し、皇紀年数から660を引くと100で割切れる年で、かつ、100で割った時の商が4で割切れない年は平年とする)」とされるが、これは、西暦年数から閏年を判定する方法と同値である。コンピュータシステムにおいて、閏年を判定するアルゴリズムの記述には問題がある場合が多く、これが原因で、システムは重大な障害を起こすことがある。例えば、「4で割切れる年」としかしていなかったり、「year == 2000 || year == 2004」のように。ある程度先の閏年しかコードしていない等が挙げられる。この他、年数処理のバグにより、年自体を誤って判断することで、閏年関係のシステムに重大な障害が発生したケースもある。2010(平成22)年には、二進化十進表現(コンピュータにおける数値の表現方式の1つで、十進法の1桁を、0から9までを表わす二進法の4桁で表したもの)の問題から、2016(平成22)年と認識され、「閏年である」と誤認したバグが多くみられた。閏年は、季節と月相に対する暦のズレを補正するシステムであるが、現行の協定世界時(UTC)において、世界時のUT1との差を調整するために追加、若しくは削除される秒、閏秒は、これとは全く別の目的のためのもので、暦とは無関係であり、原子時計により決められる協定世界時(UTC)と、地球の自転で決まる世界時との差を補正するためのシステムである。従って、閏秒が実施される年であっても、その年を閏年とは言わない。近代オリンピックの夏季オリンピックは、4年に1回、西暦年が4で割切れる年に開催される。そして、1924(大正13)年に開始された冬季オリンピックも、1992(平成4)年のアルベールビルオリンピック(第16回オリンピック冬季競技大会)までは、夏季と同じ西暦年が4で割切れる年に開かれていた。このため、閏年は、スポーツ関係を中心に、「オリンピックイヤー」という名称で呼ばれている。しかし、パリオリンピック(第2回オリンピック競技大会)が開催された1900(明治33)年は、閏年ではなく平年であった(100で割切れるが、400で割切れない)ので、この呼称は正しいとは言えない。年齢の計算方法を定めた、民法の附属法の1つに位置付けられる法律、「年齢計算ニ関スル法律(明治35年12月2日法律第50号)」により、誕生日前日の終了時(午後12時)をもって加齢するため、2月29日生まれの者は、平年・閏年を問わず、毎年2月28日午後12時に加齢されており、平年にあっては3月1日生まれの者と同じである。2月29日生まれの者は、「戸籍法(昭和22年12月22日法律第224号)」上、2月29日生まれとして記載され、2月28日や3月1日と記載されることはない。なお、誕生日を基準に何かを定める場合(行政手続、誕生日会等のイベント、割引等の特典等)、平年においては誕生日が存在しないため、その前後の日(2月28日又は3月1日)のいずれかを「みなし誕生日」とする必要が生じる。日本の法律上の資格には、資格者の誕生日を基準として有効期間や更新期間を定めているものが3つあり、いずれも、手続上平年の誕生日は2月28日と見做すことになっている。尤も、これらは当該行政手続における「みなし誕生日」であり、一般的な年齢計算とは無関係で、また、日常生活における「みなし誕生日」を強制するものでもない。日常生活においては、「月単位ではあくまで2月生まれのため、(2月末日という意味で)2月28日と見做す」という考え方と、「日単位ではあくまで2月28日の次の日のため、(或いは、年齢計算では3月1日生まれの者と同じため)3月1日と見做す」という考え方の二通りがある。因みに、運転免許の書換え等の場合は、免許の効力の満期日が2月28日となるので、その1ヶ月前の1月28日から書換えができる。