2月25日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第4日曜日 旧暦  1月16日、仏滅(己未)、月齢 15.2  
グレゴリオ暦で年始から56日目、年末まであと310日。
誕生花 ユッカ・ラナンキュラス・バラ・カランコエ。

夕刊紙の日。
1969(昭和44)年2月25日、日本初のタブロイド判(新聞用紙の半分のサイズ)で、駅売り専門の夕刊紙『夕刊フジ』が創刊したことに因む。『夕刊フジ』は、創刊翌年の1970(昭和45)年、産業経済新聞社(産経新聞社)から子会社として分離されたフジ新聞社へ発行元を移行したが、1987(昭和62)年にサンケイスポーツ新聞社と共に産業経済新聞社(産経新聞社)と合併。日本で唯一の、全国紙を発行元とするタブロイド紙である。大衆紙的な内容で、関東・近畿での即売が中心となっている。創刊当初から見出しにオレンジ(橙)色を採用したことから、「オレンジ色のニクい奴」というキャッチコピーが付いた。新聞題名は、関東広域圏を放送対象地域とするテレビジョン放送の特定地上基幹放送事業者、フジテレビジョンに由来する。創刊当時は、東西産経新聞の精鋭が集められ、エース級のライターが集結した。創刊号の1面を飾ったのは、当時参議院議員であった作家・政治家の石原慎太郎で、見出しは「慎太郎新党躍り出る」。僚紙である産経新聞同様、保守的な記事が多く、夕刊紙の中では経済・株式に関する記事に力を入れていることも特色である。1996(平成8)年8月からは、公式ウェブサイト「ZAKZAK」を開設し、日本におけるインターネット普及初期からネットでのニュース記事配信を行なっている。『夕刊フジ』の紙面からの転載だけでなく、ネット限定記事の配信も行なっており、中には、「ZAK THE QUEEN」や「アニメ☆声優」のような、内容的に『夕刊フジ』の紙面では見ることが希な記事も配信している。夕刊紙とは、夕刊を専門に発行する新聞のことで、夕刊専売紙とも言う。一般に、原則は店頭販売であり、帰宅するサラリーマンを主な想定読者とした小型サイズ(タブロイド判)のものが多い。紙面構成としてはスポーツ新聞に近いが、記事はスポーツよりも娯楽への比重が置かれ、性風俗関連記事も多い。金・土曜日発行の場合は、翌日の中央競馬レースの予想も掲載される。夕刊紙の大きな転換期として、1990年代後半より海外チームへ移籍したプロスポーツ選手(野球やサッカー)の登場や活躍により、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)を始め、海外のスポーツ自体が注目され始めたことが挙げられる。それにより、時差の関係で夕刊紙が他紙よりも早く速報を伝えられる状況であったため、夕刊紙の一面でスポーツ記事が掲載される割合も多くなった。日本での夕刊紙の第1号は、1877(明治10)年11月12日創刊の『東京毎夕新聞』という夕刊の専売とされている。一般紙では、1915(大正4)年に第123代天皇、大正天皇の即位の礼が開催されることから、大阪朝日新聞社と大阪毎日新聞社が提携し「御大典記念」として、その年の10月10日に10月11日付けで夕刊を発行したのが起源とされている。第二次世界大戦の激化による新聞の統廃合や製紙事情により、1944(昭和19)年を最後に夕刊は一旦廃止されたが、第二次世界大戦後の1950(昭和25)年前後から夕刊が復活している。第二次世界大戦後から1980年代には、大阪市では『大阪新聞』『大阪日日新聞』『関西新聞』『新大阪』等の地元夕刊紙が多く発行されており、地下鉄御堂筋線梅田駅の地下通路等に毎日各紙が張り出されていた程の盛況で、1つのジャンルを形成していたが、東京資本新聞社の販売攻勢によって2000(平成12)年頃までに発行の中止、或いは朝刊紙への転向で、長年親しまれた大阪の地元夕刊紙は姿を消した。『夕刊フジ』の他の主な夕刊紙としては、東京スポーツ新聞社が発行する夕刊スポーツ新聞である『東京スポーツ』(略称は「東スポ」)と、大手出版社の講談社系の出版社、日刊現代が発行するタブロイド判夕刊紙である『日刊ゲンダイ』が挙げられる。『東京スポーツ』は、明治時代からの老舗新聞である日刊新聞『やまと新聞』の流れを汲む。『やまと新聞』最後のオーナーで、暴力団からプロレス界まで幅広く顔が利いた右翼運動家の児玉誉士夫がそのままオーナーとなり、現在は、児玉誉士夫の側近であった太刀川恒夫が発行元の会長を務めている。そうした経緯から、概ね保守的・右派的な論調を持っている。1面の奇抜な見出しが特徴で、これらの見出しの下には、小さく「?」「か」「も」「説」「絶叫」等の語句・記号が書かれ濁されていることが多いが、それらは、新聞スタンドに陳列されている状態や、折畳んである状態では見えないように、紙面のレイアウトが計算されている。創刊当時からプロレスを大きく扱い、他に、競馬・風俗関係の記事に強い。1980年代半ばまで、赤い見出しとインクで手が汚れるプロレス新聞として知られた。但し、長年女子プロレスは扱わず、1面に来るのは大抵男子プロレスの記事であった。尤も、東京スポーツ新聞社制定のプロレス大賞に、1995(平成7)年より「女子プロレス大賞」が新設される等の変化が見られる。2000年代辺りからは、日本人スポーツ選手の海外進出が本格化したため、時差の関係から、日本のスポーツ紙の中で最も早く、国外スポーツの試合結果を伝えられるケースが多いという特性を生かし、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)やゴルフのPGAツアー(アメリカ合衆国、及び北アメリカにおける男子プロゴルフツアーを運営する団体が運営するツアートーナメント)、ヨーロッパ各国のサッカーリーグ等、欧米のスポーツに関する記事に力を入れるようになっており、娯楽性の強いゴシップ記事は減少傾向にある。『日刊ゲンダイ』は、創刊時、発行元の日刊現代が週刊誌を発刊している講談社系の会社であることを理由に、日本新聞協会への加盟を拒否されたため、雑誌扱い(日刊誌)となっている。世界で最も発行部数が多い英語日刊紙であるイギリスの大衆紙『ザ・サン』を参考に、センセーショナリズム(ニュースを誇張して、大衆の好奇心を煽り立てる興味本位の報道姿勢)、タブロイド判を特色として創刊された『日刊ゲンダイ』の紙面の構成は、先行紙『夕刊フジ』に追随したものとなる。『夕刊フジ』は新聞として創刊されたのに対して、『日刊ゲンダイ』は雑誌的なおもしろさを強みにするものとされた。1975(昭和50)年10月の創刊時には25万部を発行したが、1976(昭和51)年1月には、実売が約1万部から約2万部にまで落込む。この廃刊の危機を救ったのが、1976(昭和51)年2月に発覚した、アメリカの航空機製造大手のロッキード社(現在はロッキード・マーティン社)による、主に同社の旅客機の受注を巡って明るみに出た世界的な大規模汚職事件、ロッキード事件であった。『日刊ゲンダイ』は、事件の情報を毎日送出し、高官の実名を伏せる新聞と速報性の低い週刊誌との隙間を衝いて差別化に成功し、1976(昭和51)年2月から低迷を脱し、8月に売上はピークに達した。これにより、『日刊ゲンダイ』は窮地を救われ、この人気により、以後も、田中角栄元首相の動向を追う反権力的な政治記事等が定着する。マスメディアを含む権力層に対する批判に定評がある『日刊ゲンダイ』は、ライバル関係にある『夕刊フジ』とは、論調でも保守対革新の関係にある。また、得手分野としては競馬(中央競馬)を持ち、週末版にはスポーツ新聞と同様に、競馬に関する特集を組んでいる。