2月23日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

富士山の日(続き)。
富士山についての最も古い記録は、奈良時代初期に成立した常陸国(現在の茨城県の大部分)の地誌『常陸国風土記』における「福慈岳」という語であると言われている。他にも多くの呼称が存在し、「不二山」、若しくは「不尽山」と表記する古文献もある。また、成立年、作者共に未詳の物語『竹取物語』における伝説もある。それは、つわもの(兵士)らを大勢連れて山へ登ったことから、その山を「富士の山(士に富む山)」と名付けた、となっている部分である。「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と称されたという説もある。近代以降の語源説としては、アイヌの父と呼ばれ、明治・大正期に主に北海道で活動したイギリス人宣教師ジョン・バチェラーが、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フンチヌプリ」に由来するとの説を提示した。しかし、これは囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表わす「アペフチカムイ」からきた誤解であるとの反論がある。その他の語源説として、マレー語説・マオリ語説・原ポリネシア語説等がある。明確に「富士山」と表記されるのは、駿河国富士郡に由来するとするものがあり、記録としては平安時代前期の官人・文人、都良香の伝承記録『富士山記』に「山を富士と名づくるは、郡の名に取れるなり」とある。『富士山記』には富士山頂上の実情に近い風景描写がある。これは、都良香本人が登頂、又は実際に登頂した者に取材しなければ知り得ない記述であり、富士登山の歴史的記録として重要である。富士山が日本を代表する名峰であることから、各地に「富士」の付く地名が多数存在する。富士山の麓として静岡県に富士市・富士宮市、富士郡、山梨県に富士吉田市・富士河口湖町がある他、よくあるものとして富士が見える場所を富士見と名付けたり(例:埼玉県富士見市)、富士山に似ている山(主に成層火山)に「富士」の名を冠する例(信濃富士等)がある。日本国外に移住した日本人達も、居住地付近の山を「○○富士」と呼ぶことがある。また、全国各地には少なくとも、321座を超える数の富士と名の付く山があり、それらを郷土富士と呼ぶ。最後に富士山が噴火したのは、1707(宝永4)年の宝永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4cmの火山灰が降り積もった。また、宝永大噴火によって富士山の山体に宝永山が形成された。その後も火山性の地震や噴気が観測されており、今後も噴火の可能性が残されている。宝永大噴火以来300年に亘って噴火を起こしていないこともあり、1990年代まで、小学校等では、富士山は休火山と教えられていた。しかし、富士山では今も、活発な活動が観測されており、また、気象庁が休火山という区分を廃止したことも重なり、現在は活火山に区分されている。2013(平成25)年7月20日、産業技術分野におけるさまざまな研究開発を総合的に行なう経済産業省所管の研究組織、産業技術総合研究所は、15年分の観測データを調査したところ、富士山が過去2,000年間に少なくとも43回、噴火したという調査結果を発表した。 
富士見の日。 
長野県諏訪郡富士見町観光協会が制定した日。日本の象徴「富士山」を望めることから名付けられた富士見町が、より地域に愛される町名となるようにと、2月23日の「2」と「23」で、「富士山(ふ[2]じ[2]さん[3])」の語呂合わせから制定された。この日には、町を挙げてアピールするイベントを予定している。富士見町は、長野県中部、諏訪地域(岡谷市、諏訪市、茅野市、及び下諏訪町、富士見町、原村からなる旧諏訪郡全体のことで、長野県を10地域に分ける時に用いられる)の東端、八ヶ岳(山梨・長野両県に跨る山々の総称で、特定の一峰を指して呼ぶ名前ではなく、南北約30km余りの山体で、大火山群であり、最高峰は赤岳の2,899m)と赤石山脈(長野県、山梨県、静岡県に跨って連なる山脈で、南アルプスとも呼ばれる)北端の入笠山に挟まれた、標高約900mから約1,400mの高原地帯に位置し、山梨県と県境を接する。富士川水系と天竜川水系の分水界(地上に降った雨が2つ以上の水系に分かれる境界)があり、富士川の上流の釜無川や立場川が南東方向に、諏訪湖に注ぐ宮川が北西方向に流れる。標高が高いため、夏は冷涼で、冬の寒さは厳しい。1955(昭和30)年4月1日、長野県諏訪郡に属する4村、富士見村、境村、本郷村、落合村が合併して発足した。スキー場で、夏季にはゲレンデをマウンテンバイクのコースとして活用している他、ゴンドラ山頂駅周辺には山野草公園や入笠湿原があり、多くのハイキング客で賑わっている「富士見パノラマリゾート」や、ファミリー向けスキー場の「富士見高原スキー場」の他、「KPS富士見高原パラグライダースクール」や「富士見高原ゴルフコース」等からなる「信州八ヶ岳富士見高原リゾート」、標高1,250mにあるスポーツと学びの総合施設「ジュネス八ヶ岳」等が所在する。富士見町には、アメリカ人ヒッピーがかつて住み着いたことから、日本のヒッピームーブメントの発祥地と言われる。ヒッピーは、伝統や制度等の既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし、また、文明以前の自然で野生生活への回帰を提唱する人々の総称で、1960年代後半に、主にアメリカの若者の間で生まれたムーブメント(世の中に在る動きや流れを指す言葉)で、後に世界中に広まった。日本では「団塊の世代」(第二次世界大戦直後の第一次ベビーブームが起きた時期、1947[昭和22]年から1949[昭和24]年までに生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代)が伝統と制度の破壊を担うこととなり、学生運動(学生が行なう、主に社会的・政治的な運動)の流れが各方面へ分散された。筑摩県諏訪郡上蔦木村(後の筑摩県諏訪郡落合村、現在の長野県諏訪郡富士見町)出身の人物に、実業家の名取和作がいる。アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区に本部を置く私立大学で、世界屈指の名門大学として知られ、全世界から多くの優秀な研究者、留学生が集まっているコロンビア大学に留学した後、ヨーロッパ視察を経て帰国し、1908(明治41)年、日本初の電力会社である東京電燈(1939[昭和14]年、東京電燈を始めとした電力会社は、9つの配電会社に統合され、かつてテリトリーとしていた地域は、首都圏1都7県、及び静岡県の富士川以東を供給区域・事業地域とする東京電力の供給・営業エリアとなる)に入社した名取和作は、1923(大正12)年には、大型電気機器を主力製品とする重電機メーカー、富士電機製造の設立に関わり、初代社長となる。電線等の製造を行なう大手非鉄金属メーカーで、古河財閥(現在の古河グループの前身)の中核企業である古河電気工業と、ドイツに本社を置く多国籍企業で、電信、電車、電子機器等の製造会社であるシーメンス社が資本・技術提携を行ない、銅の消費を促す為の電機機器製造会社を設立した。これが富士電機製造で、社名の命名に際して、親会社古河電気工業の「ふ」と、設立時に技術提携をしたシーメンス社(ドイツ語での標準発音は「ジーメンス」AGとなる)の「じ」を、一音ずつ取ったことによる。漢字は、富士山をイメージできるところからこの表記となった。因みに、1935(昭和10)年6月20日に富士電機製造の電話部所管業務を分離して、現在の大手総合エレクトロニクスメーカー、富士通の前身となる富士通信機製造が独立している。即ち、富士電機製造は、富士通の出身母体である。 
霧島湯路223の日。
鹿児島県霧島市隼人町嘉例川に所在する妙見温泉振興会が制定。妙見温泉のある国道223号線沿いには、環境省より「国民保養温泉地」として指定されている多くの温泉地が連なっている。古くは、奈良時代の貴族で勤皇の忠臣、和気清麻呂公や、幕末に活躍した坂本龍馬、西郷隆盛が愛したとされるこの温泉の路を「霧島湯路」と呼び、記念日を通して、多くの人に知ってもらうことが目的。1993(平成5)年から、国道223号線の「223」という数字に因んで、2月23日に交通安全運動や通りの清掃美化活動を行なっていることから、この日を記念日としたもの。妙見温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム・マグネシウムを含む炭酸水素塩泉。液性による分類は中性、浸透圧による分類は低張性、泉温による分類は42℃以上の高温泉となっている。天降川(あもりがわ)の河畔に旅館が集まっており、自然が豊かで各旅館とも露天風呂に力を入れており、近年は人気の高い温泉地の1つとされている。離れを持った超高級旅館等もあるが、元々は湯治場であり、自炊宿も多い。その歴史は1895(明治28)年の開湯で、妙見神社の旧跡から発見されたことに因む。1967(昭和42)年に隼人・新川(しんかわ)渓谷温泉郷の一部として、国民保養温泉地に指定された。