2月23日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第4金曜日 旧暦  1月14日、友引(丁巳)、月齢 13.2    
グレゴリオ暦で年始から54日目、年末まであと312日。
誕生花 コブシ・アンズ・ジンチョウゲ・ヒナゲシ。

天皇誕生日。
第126代天皇、今上天皇(天皇徳仁)が1960(昭和35)年に生誕された。第125代天皇、上皇明仁の第1皇子で、御称号は浩宮。1989(昭和64)年に第125代天皇、天皇明仁(当時)の皇位継承に伴ない皇太子となり、1991(平成3)年には立太子の礼(内外に皇嗣たる皇太子に就任したことを宣言する儀式)が執り行なわれた。皇太子となって以降、国会・政府の用いる正式表記では皇太子を冠し「皇太子徳仁親王」とされる。1993(平成5)年に外務省職員の小和田雅子と結婚の儀を挙げ、2001(平成13)年に長女の敬宮愛子内親王をもうけた。2005(平成17)年に愛知県で開催された日本国際博覧会(愛知万博、通称「愛・地球博」)では、名誉総裁を務め、2007(平成19)年には国際連合「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁に就任。英語での講演を、スペイン、トルコ、アメリカ等で開かれたフォーラム、及びシンポジウムで行なっている。1987(昭和62)年より2016(平成28)年まで計21回、第125代天皇、上皇明仁の海外訪問の期間、又は病気療養の期間、天皇から委任を受けて国事行為臨時代行を務めている。2016(平成28)年1月28日には、平成時代の臨時代行として初の閣僚に対する認証式を行なった。2019(平成31)年4月30日の第125代天皇、天皇明仁の退位に伴ない、2019(令和元)年5月1日に、上皇となった父帝、明仁より皇位を継承し、日本国憲法、及び、特別措置法である「天皇の退位等に関する皇室典範特例法(天皇退位特例法、平成29年6月16日法律第63号)」に基づき、第126代天皇に即位する。男性皇族としては珍しく、歴史学(主に交通史・流通史)を専門とする。また、ヴィオラ演奏・登山・ジョギングを趣味とし、国民にもその姿を度々披露している。東京都千代田区の宮内庁病院で誕生した徳仁親王は、懐妊に際しては母子手帳が発行され、皇居宮殿内の御産殿で出産を行なわない等、それまでの皇室の慣例によらない、第二次世界大戦後初の内廷皇族(独立した宮家[宮号を賜った皇族の一家]を持たない宮廷内部の皇族を指す語)の親王誕生は、広く国民に注目された。皇太子夫妻(第125代天皇、上皇明仁と上皇后美智子)による子育ても、国民の関心の的となった。中でも、生後約7ヶ月の徳仁親王から離れて夫妻が14日間の公務訪米旅行の際に、皇太子妃(上皇后美智子)が世話係へ書き置いた育児メモ「ナルちゃん憲法」は、子どもを預けて働く母親達の子育て指針としても共感を呼んだ。夫妻は、専任の養育係を置かず、子育てを行なった。両親の下で、弟の礼宮文仁親王、妹の紀宮清子内親王と共に育つ徳仁親王達の様子は、報道を通じてしばしば公表され、一般国民の感覚に近い第二次世界大戦後の幸せな家庭像を描くと共に、新しい皇室像の形成にも大きく寄与した。皇太子となってからは、度々外国を訪問し、皇室外交の進展を図っている。2017(平成29)年6月9日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し、6月16日に正式公布された。このため、天皇明仁は、その地位と職務を全て皇太子徳仁親王へ譲り、自らは第119代天皇、光格天皇以来約200年振りに、上皇(譲位により、皇位を後継者に譲った天皇の尊号)となった。また、退位日については、2017(平成29)年12月1日開催の皇室会議において、「2019年4月30日に天皇陛下が退位し、5月1日に皇太子徳仁親王殿下が即位し、新元号への改元を行なう」とする意見集約が行なわれ、12月8日開催の定例閣議で、施行期日を規定する政令案が閣議決定された。当初は「3月31日退位、4月1日即位」の日程も提案されていたが、4月に第19回統一地方選挙が実施される為、選挙後の静かな環境で皇位継承を行なうべき、との意見から回避された。この政令、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行期日を定める政令(平成29年12月13日政令第302号)」は12月13日に公布され、同日付の官報(国としての作用に関わる事柄の広報、及び公告をその使命とする政府の機関紙)に掲載された。12月23日の天皇誕生日は、天皇明仁退位日である2019(平成31)年4月30日をもって、皇太子徳仁親王の誕生日である2月23日に移動した。但し、2月23日は、2019(令和元)年5月1日の新天皇即位日より前に迎えることになるため、2019(令和元)年には、天皇誕生日が存在しない。なお、上皇の存命中に上皇誕生日が祝日となることは、上皇と天皇の二重権威回避の面から行なわれない。   
富士山の日。
筑波大学附属高等学校の地理教諭、田代博が運営責任者を務めるパソコン通信「NiftyServe」内のフォーラム「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」が1996(平成8)年の元日に制定。2月23日の「2」と「23」で、「富士山(ふ[2]じ[2]さん[3])」の語呂合わせと、この時期は富士山がよく望めることが日付の理由。その後に、山梨県南都留郡河口湖町(現:山梨県南都留郡富士河口湖町)が2001(平成13)年12月に同様の宣言をして、静岡県も2009(平成21)年に県条例(「静岡県富士山の日条例[平成21年12月25日静岡県条例第72号]」)で制定している。「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」では、オンラインを通じて、全国一斉に富士山の見え具合をネット上で報告し合う等、富士山をテーマとした活動を活発に行なっている。フォーラムの中に「富士山の広場」を新設したことがきっかけとなって、新設記念イベント「富士山の日」を催した。 富士山は、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)と静岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)に跨る活火山である。標高3,776m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、その優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られている。数多くの芸術作品の題材とされ、芸術面でも大きな影響を与えた。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。日本三名山(三霊山)、日本百名山、日本の地質百選に選定されている。また、1936(昭和11)年には富士箱根伊豆国立公園に指定されている。その後、1952(昭和27)年に特別名勝、2011(平成23)年に史跡、さらに2013(平成25)年6月22日には関連する文化財群と共に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の名で国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界文化遺産に登録された。日本の文化遺産としては13件目である。富士山の別称に、富嶽がある。江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎の手になる名所浮世絵揃物の1つで、世界的にも著名な画家でもある葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景』は、富士見のできる各地を織り交ぜながら、富士山の在る景観を描いたものである。地名の富士見は、富士山、或いは各地の郷土富士(日本各地にある「富士」と呼称される山のことで、その多くは山容が富士山に似ていることによるが、歴史的に富士山と何らかの関係がある山や、その土地を代表する山にも「富士」を付したものがある)が見える場所という意味となり、日本最高峰の富士山が見えることに由来するものは、関東地方、中部地方に数多い。