2月20日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1872年 - アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨークにあるメトロポリタン美術館が一般公開される。メトロポリタン美術館は、全館を1日で巡るのは難しい程の規模を誇る、世界最大級の美術館の1つである。特色は、そのコレクションの幅が極めて広く、古今東西問わずあらゆる時代、地域、文明、技法による作品を収集していることにある。そして最大の特色は、これだけの規模の美術館が、国立でも州立でも市立でもない、純然とした私立の美術館である点である。入館料が美術館側の「希望額」として表示されているのも名物で、懐事情の苦しそうな美術大学生であると、少々欠けても大目に見てくれたり、いかにも裕福そうな紳士淑女には、気前の良さを期待していることが言外に仄めかされたりする。
1913年 - 山本権兵衛が第16代内閣総理大臣に就任し、第1次山本内閣が発足。薩摩国/大隅国薩摩藩藩士を経て海軍軍人となり、第2次山縣内閣では海軍大臣(1945年11月30日に廃止された、日本帝国海軍の軍政[軍事組織を管理運営するための行政活動]機関、海軍省の長)として入閣し、以降、第4次伊藤内閣、第1次桂内閣でも海軍大臣を務め、大臣として、日露戦争下の海軍を支えた山本権兵衛は、陸軍首脳とも強い繫がりのある海軍の重鎮の1人として存在感を強め、また、藩閥(明治維新後、有力な特定藩の出身者が政府の要職を独占して結成した、政治的な派閥)に属するも、政党、及び国会を尊重し、初代内閣総理大臣で、大日本帝国憲法の作成者である伊藤博文が結成した立憲政友会(政友会、資本家や地方の地主を主な支持基盤とした政党)に好意的な立場を取る等、立憲政治を擁護する護憲運動にも理解を示したことにより、内閣総理大臣の候補に名前が挙がるようになる。そして、同じ薩摩閥の元老(天皇の輔弼[天皇の行為としてなされ、或いは、なされざるべきことについて進言すること]を行ない、内閣総理大臣の奏薦[天皇に推薦を行なうこと]等、国家の重要事項に関与した重臣)、大山巌(初代陸軍大臣[1945年11月30日に廃止された、日本帝国陸軍の軍政機関、陸軍省の長]等を歴任し、陸軍を代表する存在となっていた)の支持で、山本権兵衛に組閣の大命が下る。山本権兵衛は、立憲政友会を与党として内閣総理大臣に就任し、第1次山本内閣は、軍部大臣現役武官制(軍部大臣[陸軍大臣と海軍大臣]の就任資格を、現役の大将と中将に限定する制度)を事実上廃止し、それ以後は、陸軍大臣が決まらないので組閣できないといった、軍部の横暴が抑止される。しかし、ドイツの国内事件から、シーメンス事件(ドイツの多国籍企業、シーメンスによる日本海軍高官への贈賄事件)が検察によって調査され、予算案が不成立となる等して内閣は瓦解し、1914年4月16日、第1次山本内閣は総辞職する。 
1913年 - 東京府東京市神田区(現在の東京都千代田区神田)一帯で大火が発生し、2,376戸が焼失する。この火災を契機として、書店が出店するようになる。書店には文学や理工学の専門書以外に、古書や一般書籍を扱う書店が加わって書店の商店街となり、現在では、世界最大となる古本屋街、神田古書店街を形成するに至っている。
1921年 - ペルシャ(現在の西アジア・中東に位置するイランを表わす古名)で、陸軍軍人のレザー・ハーンがクーデターを起こす。後にレザー・ハーンは、国民の人望を得て、自ら帝位に就き、パフラヴィー朝(パーレビ朝)イラン帝国を創設し、初代皇帝レザー・パフラヴィーとなる。レザー・パフラヴィーは、国内統治に尽力し、司法改革や国民銀行創設、義務兵役制度(徴兵制度)の制定等に取組む。さらに、アメリカから財政顧問官を招聘して財政改革に当たり、差別的な風潮をなくすため、女性解放の制度を定めたり、教育改革を行なったりする等、国家の近代化に努めている。対外的には国際連盟に加盟した他、1935年には、国号をペルシャからイランに改名し、中央集権化を確立する。
1923年 - 現在の東京都千代田区丸の内にある東京駅前に、オフィスビル『丸の内ビルヂング』が竣工する。通称で「丸ビル」とも呼ばれる『丸の内ビルヂング』は、日本人初の英国公認建築士である建築家、桜井小太郎の設計で建てられた、昭和の第二次世界大戦の戦前期で最大のビルであり、「東洋一のビル」と称される(写真で見ると8階建てで、地下1階地上9階)。オフィスビルの低層階を一般客に開放し、ショッピングモール等を展開する形態も、『丸の内ビルヂング』が、日本においては先駆的に導入したものであり、近代的なイメージから1929年に発売された歌謡曲『東京行進曲』等多くの歌や、小説の舞台にもなる。当時を代表する巨大な建築物であったことから、建造物の大きさの比較単位として「丸ビル何杯分」等と引用されることもあったという(後の、霞が関ビルや東京ドーム何杯分といったところである)。親しまれてきた『丸の内ビルヂング』は、建築に関する学術・技術・芸術の進歩発達を図ることを目的とする学術団体、日本建築学会が1997年に保存要望書を、所有者である大手不動産会社で総合デベロッパー(開発業者)の三菱地所に提出していたものの、三菱地所はこれを聞入れずに1999年に取壊し、2002年に「新しい丸ビル」が竣工する(道路を挟んだ向かい側に「新丸ノ内ビルヂング = 新丸ビル」があったため、まぎらわしい状態であったが、2004年に「新丸ビル」は取壊され、2007年には「新しい新丸ビル(新丸の内ビルディング)」が竣工している)。 
1928年 - 第16回衆議院議員総選挙(日本における初の男子普通選挙)。
1932年 - 第18回衆議院議員総選挙。 
1933年 - 飲料用アルコールの製造・販売等を禁止する、アメリカ合衆国憲法修正第18条(禁酒法)を撤廃するための憲法修正第21条が、アメリカ合衆国連邦政府の立法府、連邦議会で発議される。悪法の代名詞として後世に記憶された禁酒法は、実際にはザル法(抜け穴が多い法律)であり、うまく機能しなかったと言われている。飲酒禁止によって犯罪を抑止しようとしたが、逆に酒を巡る犯罪が増加したためである。ただ、アメリカ合衆国では現在でも、18州が酒類の販売を州営の店舗等、特定店舗のみに規制している他、酒類販売を全面的に禁止したり、様々な制約を設けている禁酒郡も、アメリカ合衆国南部、及び中西部を中心に多数存在する。   
1933年 - プロレタリア作家の小林多喜二が、特別高等警察(特高警察)の拷問により、築地警察署で死亡する(築地署事件)。 
1935年 - アメリカの子役女優、シャーリー・テンプルが、6歳の史上最年少でアカデミー賞(アメリカ映画の健全な発展を目的に、キャスト、スタッフを表彰し、その労と成果を讃えるための映画賞)特別賞を受賞。シャーリー・テンプルは、アメリカ映画界で最も格が高く、アメリカを象徴する1930年代のスター女優とされ、女優、政治家、企業の重役等、幾つもの分野で顕著な功績を挙げ、6歳から85歳で亡くなるまで、アメリカの名士であり続けている。 
1942年 - 第二次世界大戦: バリ島沖海戦で、日本海軍が連合軍艦隊に勝利する。インドネシア中部にあるバリ島の攻略と、同島飛行場確保を企図する日本軍に対し、オランダを中心とする連合軍は、水上艦艇や潜水艦、航空機を投入して反撃する。軽巡洋艦3隻、駆逐艦7隻等、連合軍は戦力で勝っていたが、部隊間の連携がうまくゆかず、船団を護衛していた日本海軍の駆逐艦4隻に撃退される。 
1946年 - ソビエト連邦が、北海道本島の東、根室海峡からカムチャツカ半島の南、千島海峡までの間に連なる列島、千島列島と、南樺太(オホーツク海の南西部にある、現在のロシア連邦サハリン州の島、サハリン島の南半分で、日露戦争後のポーツマス条約により、サハリン島は北緯50度線を境界として南北に分割され、サハリン島の南半分は日本領となり、南樺太と呼ばれていた)の領土編入を正式に宣言する。 
1949年 - 昭和24年能代大火(第一次能代大火)。秋田杉の集散地であり、製材木工業が盛んな秋田県能代市は、木材の町として有名な一方、火事の町としても、その名が知れ渡っている。100戸以上を焼失した大火だけでも、江戸時代に8回、明治期から第二次世界大戦終戦までに、19回の火災に見舞われている。木材産地であるため、大部分の家が木造板張りであるが、これまでの大火の経験から資力のある人は殆ど土蔵を持っていたが、ストーブの残火の不始末が原因で、前日夕方から強く吹いていた西風の影響により火の手が広がり、約7時間燃え続けた火災は、能代の中心地帯を焼尽くす。土蔵は焼失区域内に473棟あったが、この内の346棟、約73%が焼け落ちている。秋田県能代市では、この日を「昭和24年大火の日」として、毎年訓練等の防火行事を行なっている。