2月19日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第3月曜日 旧暦  1月10日、仏滅(癸丑)、月齢  9.2  
グレゴリオ暦で年始から50日目、年末まであと316日。
誕生花 木蓮・キンギョソウ(白)・タンポポ・オークの花・リュウキンカ・プリムラ。

二十四節気・雑節等
雨水。
二十四節気の1つ、旧暦正月中気。太陽の黄経が330度の時で、空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころ。暦便覧には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。実際は、積雪の多い地域では積雪量のピークであり、それ故、この時節から寒さも峠を越え、衰退し始めると見ることもできる。春一番が吹き、鶯の鳴き声が聞こえ始める地域もある。「春一番」とは、北海道と東北、沖縄を除く地域で例年2月から3月の半ば、立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風である。主に、太平洋側で観測される。春一番が吹いた日は気温が上昇し、翌日は西高東低の冬型の気圧配置となり、寒さが戻ることが多い。これを「寒の戻り」と言う。春一番の発生条件、及び認定基準は、地域、或いは気象台により、多少異なる。概ね、立春から春分までの間に、日本海を進む低気圧に向かって、南側の高気圧から、10分間平均で風速が秒速8m以上の風が吹込み、前日に比べて気温が上昇することを発生条件とする。但し、「日本海を進む低気圧に向かって」という条件は、比較的幅広く解釈されることもある。また、春一番は、必ずしも毎年発生する訳ではなく、風が春分の日までに気象台の認定基準に当て嵌まらず、「春一番の観測なし」とされる年もある。江戸時代の商家では、「雨水」からひな人形を飾ると良縁に恵まれると言われ、昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。日本に生息する、さえずりが美しい鳥類スズメ目の3つの種、日本三鳴鳥の1つ、鶯は、山梨県と福岡県の県鳥であり、日本の多数の市町村等の自治体指定の鳥である。日本ではほぼ全国に分布する留鳥であるが、寒冷地の個体は冬季に暖地へ移動する。警戒心が強く、声が聞こえても、姿は見えないことも多い。平地で鳴き始める季節が早春であることから、春告鳥(ハルツゲドリ)の別名があり、「ホーホケキョ」とさえずるのを初めて聞いた日を『ウグイスの初鳴日』と呼び、気象庁が生物季節観測に用いている。なお、生物季節観測は、気象庁が行なう、生物季節現象(気温や日照等、季節の変化に反応して生物が示す現象)で、目や耳で確かめ、現象の確認できた日を記録する観測であり、季節の循環とその変動、それによって植物や動物の生きるために作る周期が、季節と経年の気候の変化でどのように影響されるかを研究する、季節学に基づいて行なっている。
土が潤い起る。
七十二候の1つ(4候)。

万国郵便連合加盟記念日。
1877(明治10)年2月19日、日本が万国郵便連合(UPU)に加盟したことを記念するもの。万国郵便連合(UPU)は、郵便に関する国際機関である。加盟国間の郵便業務を調整し、国際郵便制度を掌る。最も古い国際連合の専門機関の1つであり、1874(明治7)年10月9日、国際郵便条約によって設立され、国際連合の設立後の1948(昭和23)年には、国際連合の専門機関の1つとなった。国際郵便条約には、国際郵便業務の提供・料金等に関する規定が含まれている。当該規定を取出して作成されたのが「万国郵便条約(平成17年条約第16号)」であり、それ以外の規定は、最高規則である万国郵便連合憲章(UPU憲章)に継承された。万国郵便連合の設立によって、地球上のほぼ全ての地域から、固定料金に近い形で郵便物が送れること、国際郵便、国内郵便(内国郵便)が共に同様の扱いがなされること、国際郵便料金は、それぞれの国で徴収し、使用すること、の3点が合意形成された。特に、切手を貼った郵便物については、どの国家の切手でも国際的に通用することを、万国郵便連合憲章(UPU憲章)で定めている。また、国際返信切手券の発行事務等を行なっている。日本の郵便事業においても、相手先から日本への返信用に国際返信切手券を販売しており、相手国が万国郵便連合(UPU)加盟国であれば、相手国の郵便料金に係わらず、1枚で航空便(手紙)の基本料金相当として、日本宛に返信することができる。万国郵便連合の本部は、スイスの首都ベルンに置かれている。万国郵便連合(UPU)の公用語はフランス語であるが、1994(平成6)年より。作業言語として英語が指定されている。また、発行する文書は、国際連合公用語6言語(英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語)に翻訳されることが規約で定められている。日本はこの日に万国郵便連合に加盟したが、加盟国としては23ヶ国目、アジア諸国としては初めてであった。なお、第二次世界大戦中には脱退していたが、1948(昭和23)年6月1日に再加盟している。1864(元治元)年、アメリカ合衆国の政治家で、第23代アメリカ合衆国郵政長官を務めたモンゴメリー・ブレアの提唱の下に15ヶ国が参加し、フランスの首都パリで国際郵便の原則が協議されたが、合意には至らなかった。1874(明治7)年、ドイツの郵政事業を統括していた政治家、ハインリッヒ・フォン・ステファンの草案を元に、万国郵便連合(UPU)に関する国際会議が、スイス中部にある都市で、スイス連邦の首都でもあるベルンで開催された。この第1回大会議で調印された14条からなる国際郵便に関する批准条項の中に、一般郵便連合に関する国際総合機関の設置が定められた。4年後の1878(明治11)年、フランスの首都パリにおける第2回大会議で、一般郵便連合は「万国郵便連合(UPU)」に改称された。万国郵便連合(UPU)の公用語がフランス語である理由は、こうした経緯によるものである。日本における国際郵便の取扱いについては、「郵便法(昭和22年12月12日法律第165号)」に基き、総務省が監督する特殊会社である日本郵便株式会社が、「郵便の業務」として国際郵便の業務を行なっている。なお、万国郵便連合(UPU)が結成された1874(明治7)年10月9日を記念し、1969(昭和44)年に10月9日が「万国郵便連合記念日」とされ、1984(昭和59)年に「世界郵便デー(World Post Day)」となった。さらに、1948(昭和23)年6月1日、第二次世界大戦中は脱退していた日本が、郵便に関する国際機関である万国郵便連合(UPU)に再加盟したことから、6月1日は「万国郵便連合再加盟記念日」とされている。
雛人形飾付けの日。 
雛人形をこの日に飾付けると、良縁に恵まれるという。女子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事である雛祭りは、江戸時代までは和暦(太陰太陽暦、月の満ち欠けの周期を基にした暦法である太陰暦を基にしつつも、閏月を挿入して実際の季節とのずれを補正した暦)の3月の節句(上巳、桃の節句)である3月3日(現在の4月頃)に行なわれていた。明治の改暦以後は、一般的にグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なうことが一般的になった。一部の地域では、引続いて旧暦3月3日に祝うか、新暦4月3日に祝う(東北・北陸等、積雪・寒冷地に多い)。旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であるため、「桃の節句」と呼ばれることが多い。雛人形は、宮中の殿上人(平安時代の貴族)の装束(平安装束)を模している。古くから嫁入り道具の1つとされたため、雛人形は母方の実家から贈ることが一般的とされたが、現在では家庭により異なる。雛人形を飾るのに適した時期は、節分の次の日(立春)から2月の中旬までとされ、雛人形を飾るのが遅れると、嫁に行くのも遅れるとも言われる。日本の暦の中でも有名な暦注(暦に記載される日時や方位等の吉凶、その日の運勢等の事項)の1つで、一般のカレンダーや手帳にも記載されていることが多い六曜は、今日の日本においても影響力があり、「結婚式は大安がよい」「葬式は友引を避ける」等、主に冠婚葬祭等の儀式と結び付いて使用されている。六曜の中で、最も吉の日とされるのが大安で、大事な行事は大安に行なうのが良いという風習がある。二十四節気の1つである雨水は、空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃とされる。昔から農耕の準備を始める目安とされてきた、この雨水の日に雛人形を飾付けると、良縁に恵まれるという。2月19日は、雨水の日となることが多いため、「雛人形飾付けの日」になったと考えられる。なお、2017(平成29)年の雨水は2月18日であったが、六曜の中で最も凶の日とされる仏滅で、2月19日が大安となっている。因みに、祭りの日が終わった後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れる、という話は、昭和初期に作られた俗説ともされ、旧暦の場合、梅雨が間近であるため、早く片付けないと人形や絹製の細工物に虫喰いやカビが生えるから、ということが理由とされる。また、地域によっては「おひな様は春の飾りもの。季節の節できちんと片付ける、等のけじめを持たずにだらしなくしていると嫁の貰い手も現れない」という、躾の意味からも言われている。大阪では、早春の頃から、雛人形のテレビCMが目立つようになる。これは、主に松屋町にある人形店が流しているものとなっている。大阪市中央区南東部にある松屋町には、大阪市を南北に縦断する全長約4.1kmの主要地方道、松屋町筋沿いに人形、菓子、花火等の卸問屋街が存在するが、その中でも、特に人形店の数は群を抜いている。松屋町一帯は、江戸時代から菓子問屋の集中する町であったが、人形、玩具、紙、文房具等の問屋は、概ね明治以降に移転してきたもので、とりわけ大阪市の中心部を南北に縦断する御堂筋の幅員を、6mから44mに拡幅した際の移転が多い。なお、松屋町筋の周辺に瓦屋町という地名がある。江戸幕府と豊臣家(羽柴宗家)との間で、1615(慶長20)年に行なわれた大坂夏の陣で焼失した町を復興するために、大量の瓦屋根が必要になり、この土地に瓦職人が集まって瓦を焼くようになった。その名残が町名に残っているが、ある程度の復興が進むと、鬼瓦(厄除けと装飾を目的とした、棟の末端に付ける雨仕舞いの役割も兼ねた板状の瓦)等、創作が得意な瓦職人が仕事の合間に、素焼きの人形を作り始めた。それが評判となって、瓦に代わって人形作りが主となり、瓦屋町周辺で売り始めたという。