2月16日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1918年 - ロシア帝国領となっていた、バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中で最も南の国で、北東ヨーロッパに位置するリトアニアにおいて、リトアニア協議会が独立を宣言。リトアニア王国が成立する。 
1936年 - スペイン総選挙で、当時のソビエト連邦の繁栄の影響を受けた人民戦線派が圧勝し、社会主義連合政権が成立する。 
1937年 - アメリカの化学者、ウォーレス・カロザースが、合成繊維の1つであるナイロンの特許を取得する。アメリカ合衆国の化学系複合企業、デュポン社の有機化学部門のリーダーとして、世界で初めて高分子から成る化学繊維、ナイロンを発明したウォーレス・カロザースは、若い頃からうつ病を患っており、ナイロンで成功したが、「達成できているモノは何もなく才能が枯渇した」と考えるようになる。妹が死去するという不幸も重なり、1937年4月28日、チェックインしたアメリカ合衆国北東部、ペンシルベニア州の南東部にあるフィラデルフィアのホテルの一室で、青酸カリ(毒物の代名詞的存在とされるシアン化カリウムで、経口致死量は、成人の場合で約150mg/人から約300mg/人と推定されている)を混ぜたレモンジュースを飲んで死亡する。ウォーレス・カロザースの発明したナイロンは、綿から合成繊維への転換をもたらし、世界を変える偉大な発明である。しかし、死亡した当時、ナイロンはデュポン社の企業秘密であったため、功績の大きさにも係わらず、ウォーレス・カロザースは無名のまま、この世を去っている。女性のストッキング用として使われたことが始まりとなるナイロンは、当時のキャッチフレーズとしては、石炭と水と空気から作られ、鋼鉄よりも強く、クモの糸より細い、というもので、軽量で水分を吸う性質があり、登山用のロープとしても使われたが、突然切れるという事故が発生し、問題になったことがある。現在では主に、合羽やウインドブレーカー、スキーウェア等、冬用のスポーツウエア等の衣類に用いられる他、ギターの弦、ストッキングや水着、釣り糸等にも用いられている。  
1940年 - 第二次世界大戦: アルトマルク号事件。当時中立であったノルウェーの領海に逃込んだドイツ海軍のタンカー(補給艦)『アルトマルク』に、イギリス海軍の駆逐艦『コサック』の乗員が乗込み、『アルトマルク』乗組員7名を殺害。捕われていたイギリスの商船乗組員を奪還する。
1944年 - 南アメリカ南部に位置するアルゼンチンで、後に大統領となるフアン・ペロン陸軍大佐がクーデターを起こす。 
1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: アメリカ軍機約1,200機が関東各地を攻撃。以降、空襲が激化する。 
1948年 - 「当用漢字別表」(教育漢字と呼ばれる、小学校の学年別に学習する漢字)881字と、「当用漢字音訓表」(当用漢字1,850字の漢字の読み方を制限したもの)を内閣告示。 
1949年 - 民主自由党(現在の自由民主党[自民党]の源流政党の1つ)総裁の吉田茂が第49代内閣総理大臣に任命され、第3次吉田茂内閣が発足する。第3次吉田茂内閣は、3次に亘る内閣改造を実施しており、国務大臣の任命、資格、罷免について、日本国憲法第68条で規定された、内閣総理大臣の国務大臣任免権による初の内閣改造である。1950年には、アメリカ合衆国側からも、日本側からも、戦争状態を終結させるための講和条約を締結する気運が上昇している中、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が、国境線と化していた38度線(第二次世界大戦末期に朝鮮半島を横切る北緯38度線に引かれた、アメリカ軍とソビエト連邦軍の分割占領ライン)を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した、朝鮮半島の主権を巡る国際紛争、朝鮮戦争が開始され、吉田茂首相は、サンフランシスコ講和条約締結と朝鮮戦争に対処するため、第3次吉田内閣の強化を図って、同1950年6月28日に第1次内閣改造を行なう。その後、1951年7月3日と同1951年12月26日にも内閣改造を行なっており、第3次吉田茂内閣は、1952年10月30日まで続く。
1949年 - 日本社会人野球協会(現:日本野球連盟[JABA])が発足。日本の社会人野球を統括する団体、日本野球連盟(JABA)は、1985年に財団法人となり、2013年に公益財団法人に移行している。アマチュア社会人硬式野球チームは、この団体に全て加盟することとなっており、さらに、全国各地にある支部団体に振分けられる。また、公式戦は全てこの団体が管理・運営することとなっており、毎年夏季に行なわれる都市対抗野球大会と、秋季の日本選手権を頂点に、各地で公式戦を開催している。クラブチームによる全日本クラブ野球選手権大会も、毎年秋季に開催されている。社会人野球は、しばしば実業団野球と混同されるが、実業団野球は現在、軟式野球チームのみを対象としており、別物である。2002年までは、JABA公式大会、JABA公認大会、JABA準公認大会が開かれていたが、2003年から、公認大会と準公認大会を一本化し、大会名の前に「JABA」を冠することとなっている。一般的には、社会人野球の連盟として認知されており、実際にも、成年以上が対象で構成された殆どの加盟所属チームは、社会人野球チームである。但し、連盟の規定上は、加盟登録条件を満たす全てのアマチュア野球チームが登録可能となっている。つまり、大学や専門学校等のチームも加盟可能であり、大学生や専門学校の生徒がクラブチームに所属し、選手登録することも可能ではあるが、日本プロ野球のセントラル・リーグ、及びパシフィック・リーグを統括する一般社団法人、日本野球機構(NPB)が、日本プロ野球の選手契約等の手続きを定めた協約、日本プロフェッショナル野球協約(野球協約)により、公益財団法人日本学生野球協会(公益財団法人日本高等学校野球連盟[高野連]と全日本大学野球連盟[硬式大学野球の統轄組織]を傘下に置く組織で、学生野球[大学野球、及び高校野球]の監理組織である事業者団体)所属団体に登録されている部員は登録できない。1990年代に入り、長期不況の影響から、多くの企業チームが休部(廃部)に追込まれて、その大半はクラブチームという形態を取って存続(移行)する傾向が多い。その場合でも、企業チーム時代からの母体企業が支援するケースが多いが、愛媛県松山市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チーム、NTT四国硬式野球部等を母体とする社会人野球のクラブチーム、松山フェニックスのように、母体企業の支援を受けないで、市民規模のチームとして存続する場合、或いは、愛知県東海市に本拠地を置く新日鐵住金東海REXや、千葉県君津市に本拠地を置き、その他、千葉県の木更津市、富津市、君津市、袖ケ浦市を含む「かずさ4市」で活動する新日鐵住金かずさマジックのように、広域複合企業チーム(この場合は、企業チームと同等扱いで、ユニフォームは統一のものを使うが、所属の企業を示すワッペンを付けることができる)として活動することもある。21世紀に入り、元プロ野球選手、或いは、山本譲二や萩本欽一といった、野球愛好家のタレントが結成したクラブチームが設立されたり、プロ野球選手の監督や選手等での現場復帰のケースも増えている。第二次世界大戦後、1960年までは、プロ野球経験者の社会人野球復帰が1チーム3人まで認められていたが、1961年の柳川事件(シーズン中に、西日本を代表する社会人野球の名門企業チーム、日本生命の外野手であった柳川福三を、強引に中日ドラゴンズが獲得した問題)が決定的亀裂となり、これ以後、プロ選手の社会人野球復帰が禁止されてしまう。しかし、1992年のバルセロナオリンピック(第25回オリンピック競技大会)の際に行なわれたプロ・アマ交流試合をきっかけに、プロ野球チームとの交流も盛んに実施されるようになり、段階を追って選手の社会人野球への復帰が認められたり、練習試合でも、主として二軍チームとの交流戦を積極的に実施されるようになる。また、広島東洋カープの二軍チームが、広島大会(5月)に限定して、2002年度から社会人野球大会の公式戦出場を果たし、2003年度から2年連続で同大会優勝を飾り、2008年度から三連覇、2012年度からも連覇を果たしている。