2月14日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

バレンタインデー、聖バレンタインデー(続き)。
2010(平成22)年頃より、日本の花業界(主に、花小売店)が「フラワーバレンタイン推進委員会」を結成し、バレンタインデーを「男性から女性に花を贈る日」として定着させようとする動きが起こっている。バレンタインデーの市場規模は2017(平成29)年以降、縮小傾向にある。2020(令和2)年は前年比約4%の増加が見られたが、2021(令和3)年には、前年比約20%減の約1,050億円に留まる見通しである。西ヨーロッパ等では、男性も女性も、花やケーキ、カード等、様々な贈り物を、恋人や親しい人に贈ることがある日となっている。イギリスではカードには、「From Your Valentine」と書いたり、「Be My Valentine.」と書いたりもする。西ヨーロッパやアメリカでは、日本に見られるような、ホワイトデー(バレンタインデーと対になるような日で、日本が営利のために考案した)の習慣はない。贈り物の種類はさまざまであるが、チョコレートも贈る習慣は、19世紀後半のイギリスで始まった。イギリスの菓子・飲料メーカー、キャドバリー社の2代目社長リチャード・キャドバリーが、1868(昭和43)年に美しい絵の付いた贈答用のチョコレートボックスを発売した。これに前後して、キャドバリー社はハート型のバレンタインキャンディボックスも発売した。これらのチョコレートボックス等が、バレンタインデーの恋人等への贈り物に多く使われるようになり、後に、他の地域にこの風習が伝わっていったという。
チョコレートの日。
バレンタインデーのギフトアイテムとして使われるチョコレートを、更にPRしようと、東京都港区新橋に事務局を置く、チョコレート、及びココア製品の製造者の業界団体、日本チョコレート・ココア協会等が制定したもの。1952(昭和27)年1月に設立された、日本チョコレート・ココア協会の活動内容は、チョコレート等の消費促進のための広報活動や統計の実施、チョコレート等の原材料や技術面の取組み、国内外の関係機関や会員相互の連絡・強調に関する取組み等、となっている。チョコレートは、中央アメリカから南アメリカの熱帯地域を原産とする常緑樹、カカオの種子を発酵・焙煎したカカオマスを主原料とし、これに砂糖、ココアバター、粉乳等を混ぜて練り固めた食品である。固形チョコレートは、油分に粉乳や砂糖等の粉末が分散している状態であり、水に不溶である。固形チョコレートを水分と乳化させた物は、ガナッシュ、生チョコレートと呼ばれる。固形チョコレートは一般的に、熱に弱く溶け易い。日本が、チョコレートという食べ物を知ったのは、幕末の頃である。1858(安政5)年に、江戸幕府が最初の使節団としてヨーロッパへ派遣した文久遣欧使節がチョコレートの工場を見学している。日本で初めてチョコレートが加工されて販売されたのは、1878(明治11)年のこととされる。この頃、チョコレートは猪口令糖、貯古齢糖、知古辣、千代古令糖等と書かれ、カカオは甘豆餅と表記された。保存は、気温15℃から17℃、湿度50%以下が好ましく、香りを吸収するのを防ぐために、他の食べ物から遠ざけたり、ラップに包む等する。質量当たりの熱量が大きく携行が容易であることから、固形チョコレートは軍隊のレーション(行動中、各兵員に配給される戦闘糧食)に同封されたり(アメリカ軍用チョコレート等)、登山等の際の非常食として携帯されたりする。カロリーの面だけでなく、非常の際に、甘味やテオブロミン(チョコレートやココアの苦味成分であるアルカロイド[窒素原子を含み、殆どの場合、酸と対になって作用する塩基性を示す天然由来の有機化合物]の一種)が心身の安らぎをもたらすという意味合いも大きい。チョコレートを食べるとニキビができるという迷信があり、経験的にニキビができ易いとする者も多いが、科学的根拠は現在のところない。なお、イヌやネコ、鳥類等、ヒト以外の殆どの動物は、チョコレートを食べると中毒を起こす。これは、チョコレートやココア等に含まれるテオブロミンを代謝できないことが原因で、死に至ることもある。東京都港区芝に本社を置き、1918(大正7)年、日本で初めてチョコレート一貫製造による国産ミルクチョコレート、森永ミルクチョコレートを発売した日本有数の菓子メーカー、森永製菓株式会社は、1899(明治32)年に創立された、トレードマークに「エンゼル」を使ったキャラメル等を製造している老舗メーカーである。大手乳製品メーカーの森永乳業株式会社とは兄弟会社の関係で、同一敷地に本社を構えており、モリナガグループを形成している森永製菓株式会社のライバルは、東京都中央区京橋に本社を置く大手食品会社、株式会社明治を始めとする「明治グループ」である。「森永」と「明治」には、それぞれ「乳業」と「製菓」があり、設立時期が近く(明治製菓の前身となる東京菓子株式会社が設立されたのは1916[大正5]年で、明治ミルクチョコレートの発売は1926[大正15]年)、製菓と乳業の2部門間には歴史的に似た経緯があり、かつ、似た商品構成であるため、業績面でよく比較される。明治グループは、2011(平成23)年4月に事業再編を行ない、持株会社の明治ホールディングス株式会社を頂点とした体制を構築したが、モリナガグループも、2018(平成30)年4月を目処に持株会社形態で経営統合すると報じられており、実現すれば、明治グループに次ぐ規模の総合製菓・乳業メーカーとなる。しかし、その後、経営統合は実施されないことになった。主に士気高揚とカロリー補給を目的として、アメリカ軍は、チョコレート製品兵士に配給しており、これは、アメリカ軍用チョコレートと呼ばれる。士気高揚の効果も見込まれた、ポケットサイズの高エネルギー非常食として、1937(昭和12)年から標準配給品(軍隊において、軍事行動中に各兵員に配給される糧食[コンバット・レーション])の1つとなり、野戦配給品の一部として支給されている。重量、サイズ、耐熱性の面から、軍仕様の特別なロットで製造されており、アメリカ軍用チョコレートの大部分は、アメリカのチョコレートメーカー最大手、ハーシーが製造していた。高温下で持歩いても簡単に溶けないよう配合が工夫されているが、士気高揚や救援物資として配られる場合には、一般的なチョコレートと味や原材料には大差のない、包装や形状を変えた程度の物が配給されることもある。「Kレーション」と通称される第二次世界大戦期のK号携帯非常食には、太い直方体状のハーシー・スイートチョコレートが含まれていた。「Kレーション」は本来、空挺部隊や戦車部隊、オートバイ部隊、その他の移動部隊が、短期間に喫食する非常携帯食として開発されたものである。非常携帯食として開発されたにも係わらず、「Kレーション」は、一般用のレーション(戦闘糧食)として広く支給された。そのため、連食に起因するビタミン不足、重作業に従事したり過酷な環境下にある兵士へのカロリー不足、食味の単調さを指摘された。これは、体重の急激な減少として現れ、「Kレーション」に飽きた将兵が内容物の一部を捨てることで、摂取カロリーがさらに減少する悪循環ともなった。問題の発生により、「Kレーション」は、一般戦闘糧食としては最終的に「Cレーション」に取って代わられた。「Cレーション」は、アメリカ軍が第二次世界大戦時から1980年代にかけて製造、配給したレーション(戦闘糧食)である。頭文字の「C」は、駐屯地給食用の未調理生鮮食材である「Aレーション」、同じく包装済み未調理食材である「Bレーション」の次に区分されるレーション(戦闘糧食)を意味する。それぞれのレーション(戦闘糧食)は缶で供給された。装備も含めるとかなりの重さになったが、食糧を放棄する訳にもいかず、また、缶の開封や処理の問題もあり、兵士達は苦労したという。